(焼け落ちるまえのノートルダム大聖堂まえにて)
憲法は、国内移動の自由・海外渡航の自由という人権を保障している。人権というのは本質的に少数者のものである。多数派は、憲法が別に保障する選挙、国会・議院内閣制を通じて自己の政治的意思を実現できるから。
コロナ禍はその例外だ。多数派も含め、国内移動の自由・海外渡航の自由が制限されるようになった。公衆衛生という公共の福祉による制限である。それもようやく今日から緩和された。
空気とおなじで、人権も制限されるまでは、なかなかその重要性に気づかない。フランスの市民革命で人権を勝ち取った人たちにとっては命がけであった人権も、われわれにとっては空気のような存在になりがちだ。でもこんかい、移動の自由・海外渡航の自由を制限され、これを失ってから、その貴重さを切実に体感することになってしまった。
「サイズの問題」の次の章、そして『移動祝祭日』全体の結びの章のタイトルは「パリに終わりはない」である。サイズはともかく、タイトルって重要だなと思う。
「パリに終わりはない」に書かれていることのほとんどは、パリのことではない。ヘミングウェイ夫婦が冬のパリを脱出して、オーストリアのシュルンスでスキーを楽しむ幸せな姿が詳細に描かれている。
では「看板にいつわりあり」かというと、そうではない。シュルンスでの描写が美しければ美しいほど、なぜかパリの懐かしさ、パリでの幸せが読者の心のなかに浮かび上がってくるのである。
『スタートレック・ヴォイジャー』は、ある事情で宇宙の果てに飛ばされてしまったヴォイジャー号とクルーが地球を目指す物語である。そこに地球は登場しない。しかしクルーたちが地球での思い出を語るたびに、美しい地球、懐かしい地球がみんなの心のなかに輝く。そんな感じ。
「パリに終わりはない」とタイトルをつけたら、ふつうはパリのよさを一生懸命に描こうとするだろう。でもパリの素晴らしさを描くのに、必ずしもパリじたいを描く必要はないのだ。
このタイトルはもう一つのことも示唆している。「パリに終わりはない」ということは、別の何かは終わったということだ。ネタバレになるけれども、その答えはヘミングウェイの最初の妻であるハドリーとの幸せな結婚生活である。
ハドリーとの幸せな結婚生活が終わったのは、ヘミングウェイの2番目の妻となったポーリーン・ファイファーとの不貞が原因である。ポーリーンは『ヴォーグ』誌の女性記者。まるで小説か映画の筋立てのよう。運命だったのだろう。
本書では、ハドリーとの幸せな結婚が破綻したのは、ヘミングウェイ自身の責任ではなく、ポーリーンら「リッチな連中」の術策によるものとされている。ところが解説を読むと、ヘミングウェイ自身の責任を認める原稿も存在するようだ。
そりゃそうだ。ヘミングウェイは61歳で自死したのであるが、『移動祝祭日』はそのすこし前に書かれている。若気の誤りを認めるのに十分な年齢である。
ヘミングウェイはアラ60歳となり、パリ時代、作家としての修業時代、最初の妻との幸せを懐かしんで、この回想録を書いた。そして自死したのである。
まとめると、最初の結婚が破綻した原因と責任について、それが2番目の妻にあるという原稿と、ヘミングウェイじしんにあるとする原稿がある。『移動祝祭日』はそのうち前者の原稿によっている。
この選択をしたのは、じつはヘミングウェイではない。亡くなる前の妻であるメアリー夫人のようである(解説)。メアリー夫人はいかなる動機にもとづき、この選択をしたのだろうか。純粋に文学的なものだろうか、それともポーリーンに対する反感や嫉妬も含まれていただろうか。
『移動祝祭日』はつまるところ、パリにおける最初の妻との幸せな結婚生活について、ヘミングウェイが描いた回想録である。本書が出版されたのはヘミングウェイの死後、メアリー夫人によってである。メアリー夫人は、ハドリーには嫉妬しなかったのだろうか。
いずれにせよ、ヘミングウェイは自死した。3人の裕福で美しい妻と結婚し、名作といわれる数々の短編・長編をものにし、それらが映画化され、ノーベル文学賞を受賞したのに。ことほどさように、人生はなかなかに難しいものなんだなぁと思う。
同書のエピグラフをもういちど紹介して結びとしよう(このエピグラフもメアリー夫人の選択によるものである)。
もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ。
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