2021年10月26日火曜日

コロナ禍のなかで


 コロナ禍によるスティ・ホームの影響か、事件の傾向も異なってきているように思う。

 離婚についていえば、原因がはっきりしないものが増えている。いままでであれば、不貞、暴力など明瞭なものが多かった。さいきんは性格の不一致的なはっきりしないものが増えている。スティ・ホームのなか、顔をつきあわす機会が増え、夫婦としての存在意義が試された結果だろう。

また長らく別居状態にあった人たちも、きちんと清算しようと動いている。3年以上の別居を離婚原因としようとの考えもあるが、いまのところ明文化はされていない。しかし時間が解決するということもある。別居当時は痴情怨恨が渦巻いていて到底理性的な思考、話合いができなかった。それが長い時の経過により脱色されて意外と簡単に話がつく印象だ。

時間が解決するといえば、相続もそうだ。相続にはいくつかもめやすいパターンがある。夫が亡くなり、後妻と前妻の子どもたちが相続人となった場合がその一つだ。

前妻の子たちは、幼いころ、父母が離婚し、後妻に父をとられたと思っている人が多い。しかし、最近経験したケースでは意外とすんなりと遺産分割協議がととのった。電話でいちど話したが、育ちのよさを感じさせる口調だった。幼いころ父母が離婚すると、こういうふうに成長するのは簡単ではない。インターネットで検索すると、社会的に評価される仕事についておられる。

いままでとコロナ禍のなかの人生の違いはなんだろう。いままではあまり考えなくても、流されるようにして人生をおくれたのではあるまいか。すくなくともわれわれが成長した昭和30年代から平成にかけてはそんな感じか。

コロナ禍となり、人生とはなにか、いかに生きるべきかを考えさせられる機会が増えたように思う。暇なときに、映画を観にいったり、天神で買い物をして時間をつぶせないのだから。その結果、先が見えなくて自死を選ぶ人が増えているというのは残念だ。こういうときこそ、ほんとうの人生、悔いのない人生を模索すべきように思う。そうすれば、日はまた昇るはずだ。

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