本年3月26日から9月1日まで『おくのほそ道』を連載した。慧眼な読者はお気づきだと思うが、筆者もすべての土地に行ったことがあるわけではない。6割ぐらいか。だいたい写真を見れば行ったことがあるかどうか分かると思う。
書きながら、行ったことないけどなぁと思っていた。誰かから「そこは違うよ」と言われるのではないかと、ビクビクものだった(笑)。
今般、白神岳、鳥海山を登るため、青森、秋田から山形にかけて移動したので、例によってすき間の時間に芭蕉の足跡も訪れた。時系列でいうと象潟、酒田、最上川くだり、鶴岡だが、芭蕉が訪れた順に再構成してお伝えしたい。
まずは最上川くだり。最上川は日本三大急流の一つ。球磨川、富士川と並ぶ。芭蕉一行は、尾花沢・大石田から最上川を舟でくだって出羽三山へむかった。そのくだりである。
これまでに陸羽西線に乗り、余目から新庄まで行ったことはあった。車窓から左手にずっと最上川が流れていた。尾花沢に行き、大石田で最上川を渡ったこともあった。しかし、最上川を舟でくだったことはなかった。今回、初挑戦である。
芭蕉の当時、新庄(本合海)から清川まで、もちろん鉄道はなく、道もなかった。移動は最上川の舟運によるしかなかった。その感動が名句を生み出した。
現代、本合海から清川まで一連の舟運はなく、観光クルーズが上流、中流、下流の3つに分かれている。今回はネットで一番人気の中流の「最上川芭蕉ライン船下り」を選択してみた。
酒田の駅から余目で乗り換え、陸羽西線を新庄方面へ向かう。清川駅のてまえあたりからは左手に最上川が見えている。古口駅で降りて、10分ほど上流へむけて歩くと、乗船場。むかしの番所が再現されている。
ふつうであれば、ここから清川まで1時間で下る。しかしこの日は残念ながら下流で風が強く水量が不足して操船がむずかしいという理由でくだれず、周回することに。残念、しかし雰囲気を味わうことはできた。
船頭さんの語り口が達者で軽妙だ。小1時間、乗客を飽きさせない。クルーズ会社の興隆の歴史をおもしろおかしく語ったり、おくのほそ道を暗唱してみせたり、民謡を唄ったり。
4つ目の写真は「おしん」のロケ地。親子別れの感動のシーン。昭和58年1月というから、ぼくは司法試験に合格して後輩の指導にあったていたころ。記憶はうすいが、回想シーンなどでなんとなく見たような気がする。
舟会社もNHKに1週間、全面的に協力したらしい。その間、リアルさを追求するということで、実際の船頭さんも1週間撮影につきあわされたらしい。その結果、やく2秒船頭が映っただけで、しかも顔は見えなかったらしいが(船頭さんの語り口だともっと面白い)。
ほっておかれれば、田舎の川にすぎなかった最上川が、芭蕉とおしんの2大スターにより日本中に知れ渡ったらしい。そしてクルーズ会社に「莫大な」利益をもたらしたらしい。芭蕉さま、おしんさまさまらしい。かくて、帰りは2人のスターになりきり、映え?写真を撮ることができる。
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