2024年5月8日水曜日
怪鳥会の春遠征(4)光る君誕生の地・石山寺へ
2024年4月23日火曜日
怪鳥会の春遠征(1)
怪鳥会の春遠征。まずは伊吹山に登ろうと金曜の夜に出発し、彦根に宿泊。ホテルの窓から国宝をのぞむことができた。ぜいたく。
痛恨のリサーチ不足。やむなく行き先変更。選択肢は1 ドライブウェイで伊吹山、2 翌日予定していた武奈ヶ岳の前倒し、3 霊仙山、4 京都一周トレイル(稲荷山~蹴上)。翌日の天気予報が悪かったことから2とすることとした。
山科から湖西線で比良へ。比良で降りた。タクシーは待機していない。タクシー会社に電話。しかし、来られないという。この時間帯、高齢者の施設・病院への送迎で忙しいのだろう。
2024年4月18日木曜日
ちくし法律事務所の春研修@嬉野温泉
本年度も、ちくし法律事務所の春研修をおこなった。もう38年やっている。前年度の業績や課題を確認し、次年度の課題や担当を確認する。
法律事務所をめぐる環境は年々変化している。38年前と比べると激変している。
そうしたなか、弁護士の使命としての人権擁護・社会正義の実現をはかり、地域に根ざしつつ、持続的な発展をとげなければならない。言うは易く行うは難し。そのため、年に一度は2日間をかけて議論を尽くす。
ことしも耳の痛い議論が多かった。しかし、耳の痛い議論ができることはよいことだ。耳の痛い課題は解決できていないが、少なくとも耳の痛い意見をいえる環境は整っているということだ(そうかな?)。
耳の痛い議論ばかりやっていると疲れるので、合宿はリラックスできる場所でおこなう。ことしは嬉野温泉だ。12年ぶり。美味しい食事をして、美人の湯にも入る。つるつるする。癒やされた。
翌朝、温泉街を散歩した。写真は豊玉姫(トヨタマヒメ)神社。姫は神武天皇の祖母。日本百名山である祖母山は、豊玉姫が降臨したとして、そう呼ばれる。
宝満山に降臨した玉依姫(タマヨリヒメ)とは姉妹の関係である。いつも妹さんの山にはお世話になっています・・・。礼拝。
豊玉姫は、海神わたつみの娘。竜宮に住む。浦島太郎を接待したのは彼女だろうか。
豊玉姫はじつは「八尋の大ワニ」である。一尋(ヒロ)は1.8メートルだから八尋は14.4メートル。ワニというよりクジラのサイズ感である。因幡の白兎にでてくるワニはサメだというから、サメかもしれない。
合宿のあとは、西九州新幹線に乗り、長崎へ向かった。薬害肝炎九州原告団総会に出席するためである。総会では八尋の大アニ※が待ち構えていた・・・。
※八尋光秀弁護士、大兄貴分
2024年4月17日水曜日
南東北の雪山(4)会津若松
城のまえでは、赤べこが歓迎してくれている。会津若松地方の郷土玩具である。ゆらりゆらりと頭を揺らして笑っている。このような柔軟さがあれば・・・。
2024年4月15日月曜日
南東北の雪山(2)鶴岡
南東北の雪山、2日目は月山に登る予定だった。山形から高速バスに乗り、月山湖を目指した。日本海側に近づくにつれ雪が降りしきり、きょうは無理かなと思った。
しかもリサーチ不足で、道路が冬期閉鎖中だったため断念。月山スキー場のオープンが4月12日だったので、それ以降でないと入山できなかった。
しかたがないので、鶴岡観光に切り替えた。鶴岡は芭蕉が出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)を縦走したのち、下山した場所である。
出羽三山だけでなく、朝日連峰を東から西へ以東岳・大鳥池まで縦走すると、やはり下山するのはここである。
高速バスの到着は鶴岡駅横。市内は歩いて回れる距離感である。駅前の道を南下すると、山王日枝神社に着く。
芭蕉の句碑がある。
珍らしや山をいで羽の初茄子び
おくのほそ道の旅で、出羽三山をおりた芭蕉は鶴岡藩士長山重行の世話になった。そして珍しいかたちの茄子をご馳走になった。そのお礼の句である。山をいで羽は、出羽山を出た(下りた)ということ。
鶴岡は米どころ・庄内平野の南の拠点。北の拠点は酒田である。芭蕉は鶴岡から酒田へは舟で向かった。大泉橋のたもとに、乗船した場所が名所として残されている(長山重行宅跡も近く)。
スズメたちが1本の木に集まって、かしましくしていた。寒い冬にたえ、庄内米のおこぼれにあずかれる秋をまっているのだろう。
大泉橋からは西に向かう。まもなく鶴ヶ岡城跡だ。城跡といっても城壁がすこしで、建物は残っていない。庄内神社があるのみ。
鶴岡といえば、藤沢周平の出身地。小説中にでてくる海坂藩は、鶴岡がモデルである。記念館がある。藤沢の小説家人生と信念がよく分かった。
あとはお堀を一周してバスセンターへ戻った。ときおり雪が舞う不安定な天気だった。冬の季節風の影響だ。これが山々に雪を降らせ、おいしい水となり、おいしい米、ひいてはおいしい酒となるのだ。
2024年2月15日木曜日
『使える禅』
『使える禅』(曹洞宗住職桝野俊明監修・朝日新聞社刊)。京都国立博物館「東福寺展」のグッズコーナーで購入した。
「東福寺展」を鑑賞することにより、禅・禅宗に関するバラバラな知識が集約され体系的な理解がうながされたことは先述のとおり。さらに、この本を購読することで、その理解が深まった。
栄西は喫茶の習慣を日本にもたらし、喫茶の週間はわれわれの朝食から夕食まで日常一日の生活の隅々までインプットされている。
おなじく禅の考え方も、われわれの生活のあちこちに染みこんでいると感じた。まず「主人公」にはじまり「日々是好日」まで、われわれが普段禅とは無関係と思って使っている言葉が禅語であることに驚く。
禅の最大の特徴は「禅即行動」。「身体での実践」を重視している。まずは「調身、調息、調心」。身(姿勢)を調えれば息が調う。息が調えば心も調う。
過去や未来でなく「いまここ」「自分がやるべきこと」だけに集中する。過去は変えられない。失敗や恥ずかしいことは何度考えてもモヤモヤする。未来は考えれば考えるほど不安になる。一番よいのは「いまここ」に集中して「自分がやるべきこと」をひとつずつ実践していくことだ。
高校時代の校長先生が朝礼で「稲刈りで重要なことは目の前の稲束に集中することだ、田全体をみわたすと気が遠くなりやる気が失せる」とおっしゃっていた。
弁護士の顧客に多いのは「いまここ」に集中できず、過去や未来について堂々巡りをして悩んでいる人たちだ。
そのような人たちの注意を「いまここ」に引きつけ、いまやるべきことを一つずつ実践していただく。われわれの仕事をいいかえれば、そういうことだ。校長先生のお言葉をお借りすることも多い。
一度しかない人生、心を強く持ち、「今」なすべきことだけに全力を傾けられる自分を身体の実践「行」を通して作る。このような考え方は、禅を学んだわけではないが、自分も日々実践しているところだ。
修行を通じて悟りに至る。修行で重視されているのは坐禅と禅問答。前者を重視するか、後者を重視するかで、臨済宗や曹洞宗といった流派の違いとなる。
しかし日常生活の行いすべてが修行となる。自分は山歩きは歩く禅だと考えてきた(禅のことは知らないままに)。
禅のもとの意味は「静慮」。心を集中して正しく思惟するため坐禅を組むこと。坐る禅だけでなく、歩く禅でも、心を集中して正しく思惟することができるのではないだろうか。
2024年2月14日水曜日
~からの、萬福寺
そう、旅のはじまりは京都国立博物館「東福寺展」なのである。そこではじめて禅宗とは何かについて体系的に学んだ気がした。
2024年2月13日火曜日
~からの、西国三十三所巡礼
2024年2月8日木曜日
~からの、二条城
2024年2月7日水曜日
~からの、六角堂(頂法寺)
夷川通をすぎると、右手(西側)に藤原定家・京極邸跡碑がひっそりとある。嵯峨野で小倉山山荘跡を訪ねる機会はすくなくないが、京極邸を訪ねることはまれ(ところが調べてみると一条京極第跡がほんとうらしい。)。



















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