2024年2月15日木曜日

『使える禅』

 

 『使える禅』(曹洞宗住職桝野俊明監修・朝日新聞社刊)。京都国立博物館「東福寺展」のグッズコーナーで購入した。

「東福寺展」を鑑賞することにより、禅・禅宗に関するバラバラな知識が集約され体系的な理解がうながされたことは先述のとおり。さらに、この本を購読することで、その理解が深まった。

栄西は喫茶の習慣を日本にもたらし、喫茶の週間はわれわれの朝食から夕食まで日常一日の生活の隅々までインプットされている。

おなじく禅の考え方も、われわれの生活のあちこちに染みこんでいると感じた。まず「主人公」にはじまり「日々是好日」まで、われわれが普段禅とは無関係と思って使っている言葉が禅語であることに驚く。

禅の最大の特徴は「禅即行動」。「身体での実践」を重視している。まずは「調身、調息、調心」。身(姿勢)を調えれば息が調う。息が調えば心も調う。

過去や未来でなく「いまここ」「自分がやるべきこと」だけに集中する。過去は変えられない。失敗や恥ずかしいことは何度考えてもモヤモヤする。未来は考えれば考えるほど不安になる。一番よいのは「いまここ」に集中して「自分がやるべきこと」をひとつずつ実践していくことだ。

高校時代の校長先生が朝礼で「稲刈りで重要なことは目の前の稲束に集中することだ、田全体をみわたすと気が遠くなりやる気が失せる」とおっしゃっていた。

弁護士の顧客に多いのは「いまここ」に集中できず、過去や未来について堂々巡りをして悩んでいる人たちだ。

そのような人たちの注意を「いまここ」に引きつけ、いまやるべきことを一つずつ実践していただく。われわれの仕事をいいかえれば、そういうことだ。校長先生のお言葉をお借りすることも多い。

一度しかない人生、心を強く持ち、「今」なすべきことだけに全力を傾けられる自分を身体の実践「行」を通して作る。このような考え方は、禅を学んだわけではないが、自分も日々実践しているところだ。

修行を通じて悟りに至る。修行で重視されているのは坐禅と禅問答。前者を重視するか、後者を重視するかで、臨済宗や曹洞宗といった流派の違いとなる。

しかし日常生活の行いすべてが修行となる。自分は山歩きは歩く禅だと考えてきた(禅のことは知らないままに)。

禅のもとの意味は「静慮」。心を集中して正しく思惟するため坐禅を組むこと。坐る禅だけでなく、歩く禅でも、心を集中して正しく思惟することができるのではないだろうか。

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