(西国第三十三番札所・谷汲山華厳寺)
(四王寺山三十三石仏第一番札所如意輪観音)
(四王寺山三十三石仏第三十三番札所十一面観音)
(四王寺山三十三石仏第十二番札所千手観音)
宇治の三室戸寺に参拝したので、西国三十三所巡礼の旅は29/33となった。残り4霊場である。
日本百名山の旅もそうだったのだけれども、やはり手近なところから手をつけていくことになるので、どうしても遠方のところが残ってしまう。
残るは第26番一乗寺@兵庫県加西市、第27番圓教寺@姫路市、第28番成相寺@京都府宮津市、第29番松尾寺@舞鶴市の4寺。いずれも奈良・京都からちょっと足をのばすというわけにはいかず、一日仕事になりそう。
29/33まできたことには感慨がある。なぜ西国三十三所巡礼をしているかというと、いつも登っている四王寺山三十三石仏巡拝の影響だ。
太宰府市、大野城市、宇美町の2市1町にまたがる四王寺山は山頂部がお鉢状になっている。それが古代山城が築かれたゆえんであり、周回することができる。三十三石仏はだいたいそのお鉢を取り囲むように設置されている。
第十二番札所の左側の岩の壁面にきざまれているところによると、寛政12年(1800年)に四王寺の僧とと博多の人々が発起人となり、西国三十三所の霊場の土を集めて建立したらしい。
江戸時代、庶民にとって関西をめぐる旅は簡単なものではなかったろう。四王寺山の僧と博多の有志が庶民にも西国三十三所のご利益をもたらそうとしてくれたことはありがたい。霊土をもちかえったところなど甲子園球児を思わせる。
四王寺山三十三石仏の第一番札所は滝の横にあり如意輪観音であるから、西国三十三所第一番札所の那智山青岸渡寺になぞらえたことは明らかである。
四王寺山三十三石仏第一番札所は花崗岩の岩間にあり千手観音であるから、西国三十三所第十二番札所の岩間山正法寺になぞらえたのであろう。
四王寺山三十三石仏第三十三番札所は十一面観音であるから、西国三十三所第三十三番札所の華厳寺になぞらえたのであろう。
ただし、対応関係が疑問な札所もある。これらは明治初年に行われた神仏分離令・廃仏毀釈の影響によるものだろうか。
花山天皇(院)が妻を亡くし、兼家・道兼親子の策謀に乗せられて出家させられ、西国三十三所を巡礼なさった。それが近世になって四王寺山まで伝来した。現代、そこをわれわれが巡拝しているわけである。「光る君へ」から目が離せない所以なり。
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