2024年2月21日水曜日

太宰府路散策(第2回)(3)

 




 大宰府政庁跡に到着。南門跡をぬけ、中門跡に立つ。いつもながら広々としてヌケ感がすごい。背後の四王寺山・大野城ととりあわせて、おだやかな気持ちになる風景だ。

右手大宰府展示館へ向かう。展示館前に教科書にのっていた有名な万葉歌の碑がある。

 あをによし奈良の都は咲く花のにほうがごとく今盛りなり 小野老

大宰少弐として着任した際の歓迎宴で詠まれた。先の大伴旅人とほぼ同時期。歌の趣旨も旅人が着任の際に詠んだ歌と同旨か。大宰府の官人たちへの挨拶。奈良の都は花盛りに栄えていましたよ。

政庁跡の北西角、坂本八幡宮に向かう。大伴旅人邸跡と推定されている(可能性の一つ)。仮にそうだとすれば、万葉集の「梅花の宴」はここで催されたことになる。

「梅花の宴」には前書きがある。このあたりが令和の里と呼ばれるゆえんである。

 初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、欄は珮後に香を薫らす・・

「梅花の宴」収載の三十二首もここで詠まれたはず。このあたりには先の三十二首のうち、いくつかの歌碑がある。まず巻頭歌。

 正月立ち春の来らばかくしこそ梅を招きつつ楽しきを経め 紀男人

主人である大伴旅人の歌(8番)

 我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも

筑前国守であった山上憶良の歌

 春さればまづ咲くやどの梅の花ひとり見つつや春日暮らさむ 

坂本八幡宮から東、観世音寺へ向かう。左手に旅人の歌碑がある。

 世の中は空しきものと知る時しいよよますますかなしかりけり

妻を亡くした後の歌だ。山上憶良も追悼歌を寄せている。

 大野山霧立ち渡るわが嘆く息噎の風に霧立ちわたる

大野山はいまの四王寺山(大野城)のこと。四王寺山に霧が流れると、旅人の嘆きが立ちわたってくる。

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