大宰府政庁跡に到着。南門跡をぬけ、中門跡に立つ。いつもながら広々としてヌケ感がすごい。背後の四王寺山・大野城ととりあわせて、おだやかな気持ちになる風景だ。
右手大宰府展示館へ向かう。展示館前に教科書にのっていた有名な万葉歌の碑がある。
あをによし奈良の都は咲く花のにほうがごとく今盛りなり 小野老
大宰少弐として着任した際の歓迎宴で詠まれた。先の大伴旅人とほぼ同時期。歌の趣旨も旅人が着任の際に詠んだ歌と同旨か。大宰府の官人たちへの挨拶。奈良の都は花盛りに栄えていましたよ。
政庁跡の北西角、坂本八幡宮に向かう。大伴旅人邸跡と推定されている(可能性の一つ)。仮にそうだとすれば、万葉集の「梅花の宴」はここで催されたことになる。
「梅花の宴」には前書きがある。このあたりが令和の里と呼ばれるゆえんである。
初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、欄は珮後に香を薫らす・・
「梅花の宴」収載の三十二首もここで詠まれたはず。このあたりには先の三十二首のうち、いくつかの歌碑がある。まず巻頭歌。
正月立ち春の来らばかくしこそ梅を招きつつ楽しきを経め 紀男人
主人である大伴旅人の歌(8番)
我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも
筑前国守であった山上憶良の歌
春さればまづ咲くやどの梅の花ひとり見つつや春日暮らさむ
坂本八幡宮から東、観世音寺へ向かう。左手に旅人の歌碑がある。
世の中は空しきものと知る時しいよよますますかなしかりけり
妻を亡くした後の歌だ。山上憶良も追悼歌を寄せている。
大野山霧立ち渡るわが嘆く息噎の風に霧立ちわたる
大野山はいまの四王寺山(大野城)のこと。四王寺山に霧が流れると、旅人の嘆きが立ちわたってくる。
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