2024年2月5日月曜日

石山寺と『源氏物語』と「光る君へ」

 



 今回は石山駅から石山寺へは行かず近江神宮を訪ねたことは先週書いたとおり。だが、今年になってんNHK大河「光る君へ」をみながら、石山駅のポスターの奨めに従い石山寺を訪ねるべきだったかなと後悔しきり。

調べてみると、2012年6月に石山寺を訪ねていた。本尊は如意輪観音。縁起によれば、聖武天皇の発願により、東大寺開山の良弁が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音を祀ったのが始まりとされる。

琵琶湖から流れ出る瀬田川沿いにあり、MIHO MUSEUMへの往復路から見えていた。幻住庵からは裏山という位置で、歩いて30分もいけば着きそうだった。

本堂は国宝。硅灰石(天然記念物)の上に建築され、石山寺の名の由来になっている。

紫式部が参籠した際、『源氏物語』「須磨」「明石」の巻の着想を得たとか。「紫式部の間」というのがある。その他、清少納言の『枕草子』、藤原道綱母の『蜻蛉日記』等、文学作品にも多数登場する。

今回、「光る君へ」をみていて、あらためて驚かされたことがある。日本の古典の多くが、この時代に書かれていることである。清少納言が中宮定子に、紫式部が同彰子に仕え、互いにライバル関係にあったことは授業でも習いよく知られている。

しかし藤原道綱母も同時代人であったことはどうだろう。第6回では上地勇輔が藤原道綱として登場した。かれは藤原兼家(段田安則)と母寧子(やすこ、財前直見)の子。道長とは異母兄弟である。そういえば、『蜻蛉日記』には、不実な兼家に対する愚痴が書き連ねてあった。

兼家が道兼と二人で共謀して花山天皇を退位させたくだりは『大鏡』で有名。受験中ラジオ講座で学んだとおりだ。

紫式部の『紫式部日記』、道長の『御堂関白記』は知られているが、ロバート秋山が演じる藤原実資は『小右記』を、渡辺大知が演じる藤原行成は『権記』という呼ばれる日記をそれぞれ書いている。

書く側、読む側の教養・素養や情熱や官僚たちの日常行動が、和紙・筆・墨などの貴族階級への普及などとあいまって、このような状況を生んだのだろうか。

安倍晴明(大鏡にも出てくる陰陽師)や藤原公任(三船の才、百人一首など)も有名。こうしてみると、これまでバラバラに存在していた人たちがきら星のごとく星座配列をなしたかんじ。

ちなみに石山寺は西国三十三所の第13番札所。西国三十三所は花山法王の唱道によるものだ。

花山天皇(本郷奏多)は寵愛した女御藤原忯子(井上咲楽)が妊娠中に死亡。その失意から兼家らの策謀にはまって出家するのであるが、そこから西国三十三所を遍歴するに至る。なにがどう転ぶかわからない。

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