2013年1月31日木曜日

スカイの車窓から(3)





中央の埋立地の北が
○市。

憲法判例となった
地鎮祭事件の舞台。

南はおいしい牛で
有名な○○市。

薬害肝炎の知見をうかがうため
ドクターを訪ねていきました。

帰りに是非おいしいステーキを食そうと
さがすも,店がみつからず(残念)。




台風名で知られる
○○湾。

北の方に
○○市。

四大公害裁判
の舞台の一つ。

長良川,木曽川の
河口も見えています。






中央手前は
知多半島。

その根本に
逢妻川河口。

川をさかのぼると
三河八橋があります。

『伊勢物語』の
「かきつばた」の舞台。

    その沢に、かきつばた
  いとおもしろく咲きたり。

    それを見て
  ある人のいはく

    「かきつばたといふ五文字を
   句の上に据ゑて、旅の心をよめ」

    といひければ
  よめる。

       からごろも
    きつつなれにし
   つましあれば
   はるばるきぬる
   旅をしぞ思ふ

   とよめりければ、みな人
 餉の上に涙落して、ほとひにけり。





古くは遠淡海(とおつおうみ)
ともよばれました。

右手は武田信玄と徳川家康が
たたかった三方原。

おみやげは
うなぎパイ。





手前に大井川。
空からだと,簡単に越せます。

中央あたりが
焼津。

その北,安倍川をこえると
○○県の県庁所在地。

その北に久能山,三保の松原,清水港。
(翼の真下の指をまげたようなところ)

久能山は家康が葬られた
東照宮のあるところ。

三保の松原は
天女が羽衣をかけました。

2013年1月30日水曜日

スカイの車窓から(2)





左(西)側の島から上(北)側の陸まで
海峡をはさんで橋がかけられています。

○○島 かよふ千鳥の なく声に
       いく夜寝ざめぬ 須磨の関守
                         源兼昌

来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
         焼くや藻塩の 身もこがれつつ
                         定家

海峡をはさんで,須磨の関は陸側
松帆の浦は島側にあります。




わが事務所の某弁護士が
育ったあたり。

湾につきだしている
構造物は当時ありませんでしたが。




むかし天保山,いまUSJ
あたりが見えています。

わびぬれば 今はたおなじ ○○なる
           みをつくしても 逢はむとぞ思ふ
                         元良親王




あをによし ○○の宮は 咲く花の
       にほふがごとく いまさかりなり
                  小野老 

転勤族の小野老が
太宰府から都をしのんだもの。

この高さからだと
さすがに青丹は見えません。

が,路のかたちが
むかし都があったことを物語っています。 

2013年1月29日火曜日

スカイの車窓から




先週末は
東京出張。

飛行機は福岡空港13時発で
ぎりぎり間に合いました。

進行方向むかって左側
A席に座りました。

最近は飛行機の不具合が報道されているので
ちょっとドキドキ。


しばらく飛ぶと
半島が見えてきました。

周防灘,伊予灘につきだし
ほぼ円形。

両子火山群から海に向かって
谷と丘陵が放射状に伸びている姿が美しい。

さて
どこでしょう?






しばらく海のうえをいくと
また陸がみえてきました。

城下町で
古くから温泉で有名。

夏目漱石の
『坊ちゃん』の舞台。

さて
どこでしょう?




ここは,昨年
ゆるキャラグランプリで王者を輩出。

しまなみ街道で
尾道とつながっています。

(実際には本四架橋が尾道まで
見えていたけれど,写真ではムリかな)

さて
どこでしょう?



こちらはもう一本の
本四架橋のあるところ。

『清盛』関連でいえば
源平古戦場があります。

那須与一が平家軍船に掲げられた
扇の的を射落としたことが有名。

さて
どこでしょう?

(つづく)

2013年1月28日月曜日

ヒース,エリカ





(ジャノメエリカ@天満宮参道)

外国人の名前はおぼえにくい。
おぼえてもすぐ忘れる。

でもヒースクリフの名は
頭にこびりついている。

みなさんも
ピンときますよね。

『嵐が丘』(E.ブロンテ)の
主人公の名前です。

舞台はイギリス,ヨークシャーの荒野
そこにたつ荒れ果てた館「嵐が丘」が舞台。

復讐に燃えるヒースクリフ
その愛を描いた作品。


ヒース(heath)は
イギリス北部の荒地。

そして,そこに群生する
独特の背の低い植物。

植物はおもに
エリカを指す。

エリカさまの名も
この花にちなんだんでしょうか。

ツツジの仲間
ハーブ類として使われる。

花言葉は
孤独。

そのわりには
たくさん可愛い花を咲かせています。

2013年1月25日金曜日

コオリシャッハ・テスト





みたこと
ありますよね?

そう
22日にアップした写真の1枚。

心理テスト
ですか?

と,ある人から
質問を受けた。

もちろんジョークなわけだけれど
おもしろいので,きょうの話題に。


このジョークは
ロールシャッハ・テストを踏まえたものと思う。

ごぞんじのかたも
おおいでしょう。

インクのしみを見せ
そこから何を思い浮かべるかを問う。

その答えにより
性格をわかろうとするもの。

あのコウモリみたいな
やつ。


言葉は
たいせつだ。

しかし言葉にする際に
こぼれおちるものもたくさんある。

作文の時間に,書きながら
こんなこと言いたいんじゃないんだよな~。

とか思ったこと
ありますよね?

人間の無意識は広大
言葉にできない,することが困難なこともおおい。

作家の文章を読んでなるほどと思うのは
これが見事に言語化されている場合だ。

この言語化の困難を克服するのに
役立つのがロールシャッハ・テストだ。

言語化しにくい無意識を
すくいあげるのに役にたつ。

インクの映像に
無意識の部分が投影されるので。


しかし
である。

氷の造形とくらべてみて
思うことがある。

ロールシャッハ・テストは,ネガティブな性格
と診断されやすいのではなかろうか?

暗い画像を見せられれば
暗いイメージが浮かぶから。

たいして,氷の造形を見せられれば
明るいイメージが浮かぶように思う。

(こんなことは専門家のあいだでは
当然の了解なのでしょうが。)


みなさんにはこれが
なににみえますか?

ジュエリー?
まぁ,そうでしょう。

なんとなくクリスタル?
う~ん,ふるいし,そうじゃなくて。

問題は
そのデザイン。

先の質問をした人は,数人が手をつないでいる
一番端の女の子,に見えるそう。

なるほど。
らしい。

ボクには
クワガタやハニワにみえる。

昆虫大好き,古代大好き
な性格なんでしょうか?

2013年1月24日木曜日

年々歳々





きのうロウバイ
について書いた。

(熱心な)読者から
こんなご指摘をいただいた。

どこかで読んだ
記憶があった。

調べたら
おなじような記事があった。

時期も昨年の
おなじ時期。

え~っ?
(狼狽した。)

調べると
たしかに,ほぼおなじ記事が。

う~ん(-_-)
…。

しかしそれにしてもよくぞ
覚えておられたものよのう。

注意力と記憶力に敬意を表し
感謝,感謝。


それにしても
盗作か?

いや違う。
書いた人間がおなじだもの。

じゃことしのボクが
去年のボクの記事をパクったのか?

いや違う。
そんなことはしてない。

どうやら去年とおなじ時期に
おなじロウバイをみて

おなじ感想をいだき
おなじような記事を書いたようだ。

よくいえばブレていない。
悪くいえば進歩がない。

年年歳歳,花相似たり
歳歳年年,人同じからず。

というが
歳歳年年,人相似たりということか…。


それならいっそ
開きなおろう。

毎年おなじ花をみて
おなじ感想をもつ。

そしておなじ記事を書く
それもまたよしとしよう。

2013年1月23日水曜日

ロウバイ






宝満山をおりると竈戸神社手前に
ロウバイが咲いていた。

そういえば
毎年咲いている。

ロウバイは
蝋梅。

蝋燭でコーティングしたような
半透明な光沢があるからか。

よい香がする。
かなり遠くまで薫る。

夜間でも,目には見えないけれど
あっ,咲いているとわかる。

家の近所のお庭にもあるし
二日市八幡宮前の交差点(線路側)

四王寺山に登る途中
警固バス停横などにも。

花言葉は
先導,先見。

これは他の花に先がけて
いまの時期に咲くことからか。

もうひとつは
慈愛,優しい心。

これは
優しい花姿からきたものだろう。

2013年1月22日火曜日

氷の造形








難所ヶ滝から
宝満山頂へむかう。

途中
雪景色が美しい。

そんななか
よくみると氷の造形が。

それぞれ
動物やなんかに見える。

さて
なにに見えますか。

2013年1月21日月曜日

難所ヶ滝




週末に宝満山(829m)にのぼった。
ことし初。

いまの時期
一番のおめあては難所ヶ滝である。

宇美町の昭和の森側から
のぼる。

前々日に雪が降っていたので
軽アイゼンを持参。

駐車場あたりにも雪はあったが
アイゼンが必要なほどはない。

河原谷にそって
1時間余。

あと900,あと600,あと300
丁寧に道標が導いてくれる。

最後の300mは
やはりアイゼンが必要か,装着。

標高724m地点に
難所ヶ滝はある。

高さ20m
見上げるほど。

別名
河原谷の大つらら。

たしかに滝というより
大きなつららだ。

ことしは寒いので期待したが
きょねんより小さいようだ。

難所というと恐ろしげだが
小学生低学年でものぼってきている。

いまだ未踏のかたは
是非どうぞ。

2013年1月18日金曜日

蛍光灯からのメッセージ




おとといの記事を書いたとき
念頭にあったのは本の題名。

哲学者ニーチェの
『人間的な,あまりにも人間的な』。

神が死んだあとの人生であっても
繰りかえし生き抜くことをかれは説いた。

でも,あなたのふるまいはあまりにも人間的だ
などと評されると,どうだろう?

やや角度を感じる
きょうこのごろである。

ここは『にんげんだもの』(相田みつを)
と目線をさげるのが,「いまふう」か。

そのように
反省した次第である。


そうしたなか,例の蛍光灯事件のあと
さらに「後輩に席を追われる事件」が発生した。

当事務所では
ホームページを改訂する作業ちうである。

それを話し合う弁護士の会議
でのことだった。

ボクは先に室に入り
席をあたためていた。

あとから
新人さんが入ってきた。

そして,せっかく暖めたその席を
空けるよう要求したのである。

これは…。
あまりといえばあまりな仕打ち。

おもてむきの理由は,その席が
ランケーブルなんぞというものにちかいという。

ランケーブル?
なんじゃ,そりゃ。

よくわからないが
ていよく席を追われたのであった。

このままでは,ある朝出勤したら
執務机がなくなっている!

そのような不測の事態さえ
起こりかねない。

ボクの心はふたたび蛍光灯のように
ちぢに乱れたのであった。


するとなんと
驚くべきことが発生した。

きのう出勤すると,くだんの蛍光灯が
きれいについていたのである。

まったく
チカチカしていない。

まわりの人間にきいても
だれも付け替えていないという。

たしかに,古い蛍光灯によくある変色が
両方のすみにみられる。

切れかけていた蛍光灯が
突如,復活したようだ。

う~ん
これは。

蛍光灯も
事態の推移に責任を感じたのだろうか。

ここはひとつ自分が復活して
蛍光灯事件はなかったことにしよう。

蛍光灯から,そのようなメッセージ
と受けとった。


でも,もう一日
はやく復活してくれたら。

そうすれば
ボクの心もちぢに乱れなくてすんだのに。

ま,
しょうがないか。

けいこうとう
だもの。

2013年1月17日木曜日

蛍光灯をかえるべきか悩んだら





きのうの記事は,書いてしまってから
お客さんからクレームが来ないか心配した。

心配したが,仕事の時間になったので
書きかえるヒマもなく,アップした。

さいわい
表だってのクレームはなかった。

みなさまの心のひろさと寛容さに
感謝します。


言葉づかいは難しい。
他意はなくとも誤解されることもある。

他意はないかもしれないが
潜在意識にあることもあろう。


きのう隣席の新人弁護士から
話かけられた。

蛍光灯が
切れてますねぇ,と。

たしかに,われわれの上にある
蛍光灯がきれぎれに点滅している。

むむ。これは
ボクにたいする(婉曲な)要求か?

蛍光灯を変えろ!
ということか?まさか…。

いくら厚かましい新人といえど
25年先輩にそこまでいうか?


先日,司法修習生がたくさん
事務所訪問に来られた。

その際,わが事務所のアピールポイントとして
新人さんは言っていた。

家族的な雰囲気であり
なんでも言える雰囲気である,と。

新人さんは
修習生諸氏になんども強調した。

それって,新人がのさばってる
ともいうよね。

先輩をないがしろにしてる
ともいうよね。

ボクの心には
疑惑がうずまいた。

けれども,お客さまの手前
言うのは控えた。


そこにもってきて
きのうの蛍光灯事件だ。

なんでもいえる雰囲気ってのは
先輩に蛍光灯をかえさせることも含むのか?

心はちぢに
乱れたのであった。

まるで
切れかけの蛍光灯のように。


そうやって心がつかれたときは
三浦しをんのエッセイが効く。

このところ
心が疲れるとしをんに逃避する。

いつもなら
読破して終わりだ。

でも,しをんのエッセイのばあい
ちょっとちがう。

心を癒す薬のような作用があるため
一気に読み終わらないよう注意している。

心が疲れたときだけ
ちびちびと読む。

できるだけ途中で
他の本を読んだりして。

それなのに,ああ
読んでしまった。

『乙女なげやり』
(新潮文庫)。

かのじょのエッセイ
残りがすくなくなってきた。

もう少しペースを
落とす必要がありそうだ。

2013年1月16日水曜日

あまりにも人間的





人間がやることは
人間らしい。

人間のもっとも人間らしい性格は
わがままだろうか。

いまふうにいえば
自己ちゅう。

どうしても自分中心的な見方から
離れられない。

裁判制度は
人間のわがままを前提とするものだ。

われわれがやっていることは
数千年前のローマ時代とそう変わらない。


依頼人が公平な人間であっても
相手方がわがままであれば,やはり紛争になる。

相手方が理不尽な要求をくり返し
はなはだ困惑することがおおい。

そのようなときは
相手方にも弁護士がついてくれたほうが助かる。

少なくとも
法的な枠内でのわがままになるから。


人間は熱くなる
熱くなって我を失うこともある。

これも裁判制度が
必要な理由だ。

裁判をやっているうちに
クールダウンすることがおおい。


弁護士も人間だ。
やっているうちに熱くなる。

そうなると当事者化してしまって
わけのわからないことをわめくこともある。

 なんじゃそれ?
 もうすこし冷静に法的な議論をしようよ!

 はい。それをそのまま
 お返しします。

 なんだと!
 …。

てなぐあいだ。
あまりにも人間的。

2013年1月15日火曜日

冬ボタン


(箱崎宮の冬ボタン)


箱崎宮の冬ボタン
観てきた。

立てばシャクヤク
座ればボタン,歩く姿は…。

花言葉は
富貴。


そいうえば1月4日だったが
初夢にヘビをみた。

年賀状のデザインのような
ヘビが5~6匹でてきた。

グリーンとブルーの縞模様で
いい感じの色目。

ヘビの初夢は
金運上昇だそうだ。

巳年だけに幸先がいい。
 夢が実現しますように。


5~6匹という数字に
なにか意味があるのだろうか?

5~6回は運気上昇の
チャンスがあるということだろうか?

4匹ほどは元気で
2匹ほどはさほどでもなかったが。


気になるのは
そのうち1匹を踏んでしまったことだ。

わっ,と
目が覚めた。

その意味,解釈は
どうなんだろう?

せっかくの夢が
覚めませんように。


2013年1月11日金曜日

東の尚隆か西の斡由か




というわけで,百人一首のつながりをたぐると
うまくすれば100回分のネタに困らない。

とはいえ摂関家に圧迫される
天皇家の人々の話がつづいた。

これは武家が政権をとった世に
貴族の没落をなげく定家のチョイスのせいか。

しかし当時,われわれ庶民の生活は
どうだったのだろう。

天皇家と摂関家(あるいは,武家)のどちらが
政権をとってもいいけど,そっちのほうが大事だ。

でも,われわれ庶民はそのころ文盲で
誰も生活の苦しさを書きとめていない。

生活にいそがしく
そんなヒマもなかったということもあろう。


というわけで,番組の途中だけれども
小野不由美さんの『東の海神 西の滄海』(新潮文庫)。

「十二国記」シリーズの
エピソード3。

従来,講談社から出ていたものを
新潮社がリニューアルちう。

山田章博さんの
イラストつき。

イラストにより,ワールドをイメージしやすくなった。
(逆にいれば,イメージの広がりを制限された。)


ストーリーをいえば,天命により選ばれた王・尚隆と
その政治に異をとなえた斡由との戦争の顛末。

その意味では
いつの世にもある権力争い。

でも,ちがいは
どちらが庶民のためになるかが問われていること。

下手な政治学の教科書より
よほど政治のことがわかりやすい。


現代では,神と剣で戦争するやり方から
紙とペンで論争(投票)するやり方に変わった。

その結果,より庶民のためになる側が
政権についているかどうかはひとまず措く。

でも,政権交代を求める戦争で
人命が奪われ国土が荒らされる事態はなくなった。

世のなかこれでも
すこしは良くなっているのだろう。

2013年1月10日木曜日

みちのくの






業平,『伊勢物語』からはまた
いくとおりもつながりがある。

まずは,河原左大臣
源融(みなもとのとおる,822-895)。


『伊勢物語』の冒頭
昔ある男が成人したばかりの話。

鷹狩りに出かけた春日の里に
たいそう美しい姉妹が住んでいた。

ものの透き間からのぞき見た男は
心まどひにけり。

狩衣の裾を切り
それに歌を書いて送った。

  春日野の 若紫の 摺衣
           しのぶの乱れ かぎり知られず


この歌
どっかで聞いたような?

そう,百人一首でおなじみ
河原左大臣の歌を踏まえたもの。

源融は業平より3つ上なだけなので
当時すでにこの歌を詠んでいたのか?

ちょっと気になるけれど
そこは『伊勢物語』なので。


源融が左大臣のとき
藤原基経が陽成天皇の摂政に。

かれはこれが不満で
自宅に引きこもっている。

融は
嵯峨天皇の子。

業平もそうだが,天皇家の貴公子たちと
摂関家は権力をめぐって仲が悪かったよう。

(光孝天皇即位の際
政務に復帰。)


融は光源氏のモデルといわれる
風流人。

六条河原に,陸奥・塩釜の風景を
なぞった庭をつくったことで知られる。

河原の左大臣と
呼ばれるゆえん。

世阿弥の能『融』は
この話を踏まえたもの。

歌といい,庭といい
よほど陸奥に思いいれがあったのか。

庭の塩は,大阪湾の汐をくんで
わざわざ運ばせたんだとか。

すごい情熱なのか
権力者の道楽なのか。


陸奥の震災がれきを九州まで運ぶかどうか
議論されている。

月の世の融もさぞかし
びっくりしていることだろう。

  陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに
           乱れそめにし われならなくに
                          河原左大臣

 

 

2013年1月9日水曜日

竜田川(高子と業平)





陽成院の子も百人一首の歌人だが
ひとまず母へ。

陽成院は
清和天皇(850~881)の第一皇子。

母は,藤原基経の妹
かの藤原高子(たかいこ)。

清和天皇即位にともなう大嘗祭で
五節舞姫をつとめた。

数々のスキャンダルで知られ
恋多き女性だったよう。

入内まえ
在原業平と恋愛関係にあったとされる。


これを重要なエピソードとして踏まえ
『伊勢物語』が書かれている。

物語では
二条后と呼ばれる。

2人は駆け落ちしたが
姫は鬼に食べられてしまった…(芥川)。

実際には,高子の親族に連れ戻されたわけだが
若い2人は「鬼!」と叫んだことだろう。

現代でも駆け落ちした2人をどうにかしてほしい
と相談を受けることがある。

しかし未成年なら話はべつだが
成人していれば本人たちの自由である。


とはいえ,業平の素性はいやしくなく
阿保親王の五男である。

ただ業平は政治的には
反摂関家。

ために
藤原一族には嫌われたらしい。

こうなると,さきの駆落ちは
日本版ロミオとジュリエットだろう。


容貌はすばらしく,自由きままに生き
すばらしい和歌を詠む男だったとされる。

古今集では
六歌仙のひとり。

心あまりて言葉たらず。しぼめる花の
色なくして匂い残れるがごとし(仮名序)。

 
百人一首の歌は
この屏風歌。

  ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川
             からくれなゐに 水くくるとは

なお56歳で逝ったときの
辞世の歌。

  つひに行く 道とはかねて 聞きしかど
 
             昨日今日とは 思はざりしを
   

2013年1月8日火曜日

筑波嶺




正月なので
百人一首の話題からもう少し。


きのうの光孝天皇の前の天皇は
陽成天皇。

退位して上皇になってからは
陽成院。

 筑波嶺の 峰より落つる みなの川
           恋ぞつもりて 淵となりぬる

あなたを恋そめた心が積もり積もって
深い淵となったんです!

彼が光孝天皇の第3皇女に
送った恋歌である。

百人一首に採られた名歌だけに
同女の心もとらえたのか,後に結婚している。


ん?先に天皇になった陽成天皇が
後に天皇になった光孝天皇の娘と結婚?

先に紹介したとおり光孝天皇の即位は55歳
対する陽成天皇は9歳なので。

陽成天皇については光孝天皇とちがい
悪いエピソードがおおい。

しかし,当時の権力者・藤原基経に政略的に
退位させられていることから,中傷らしい。

権力者によって
歴史が改ざんされる例だろうか。

しかし,さすがの基経も
歌までは改変できなかったよう。


筑波嶺は,茨城県にある
筑波山(876m)。

日本百名山のなかでは
もっとも楽に登れる山であろう。

おまけにケーブルカーと
ロープウェイまである。楽ちん。

百名山も低い山から順に登ると
以外と登りやすいのだ。


山容は東に女体山,西に男体山の
双耳峰になっている。

みなの川は
男女川。

女体山と男体山のあいだに
御幸ガ原という鞍部がある。

そこから
南方に流れている。

面登山道のばあい
筑波山神社から中ノ茶屋をすぎてしばらく。


百名山の基準は
1500m超であるが,例外もある。

例外的に有名である場合だとか
美しい場合だとか。

九州本島の最南端の百名山
開聞岳は美しいほうの例外である。


これにたいする筑波山は
有名なほうの例外。

その理由は
筑波山のもつ歴史。

古代,歌垣(かがひ)の場
として有名。


春と秋に
東国一円の男女が集まってくる。

歌を掛けあう求愛遊びだが
意気投合すれば一夜をすごす結婚の儀式に。

古代における
いちだい婚活イベントであったろう。

さそかし恋がつもって
淵となったことだろう。

2013年1月7日月曜日

君がため若菜摘む





新年あけまして
おめでとうございます。

21013年(平成25年)の幕開け
今年はどんな年になるだろうか。

年賀状を拝見していても
みな明るい年だと見とおせないようだ。

でもそこは言霊のくに
よい年になりますように。


きょうは1月7日で
七草の節句。

七草の原点は
古代の若菜摘みだとか。

年初に雪の間から芽を出した
草を摘む風習らしい。

若菜を食べると
邪気を払い,病気にならないと信じられた。


 
  君がため 春の野に出でて 若菜摘む
              わが衣手に 雪は降りつつ
  
                            光孝天皇


『百人一首』屈指の美しい歌とされる。
(以下も含め角川文庫のビギナーズ・クラッシクス)

「君がため…」の「君」が誰かについては
諸説あるらしい。


光孝天皇は
即位したとき55歳。

苦労人の風貌があり
家臣への気配りや清貧の逸話が。

宴席で給仕役が天皇の膳に粗相をした際
灯りを吹き消して,気遣ったという。


志賀直哉の『小僧の神様』ではないが
あえてここで擱筆しよう。

わが身や政治に言及することも考えたが
いわぬが花ということもあろう。