陽成院の子も百人一首の歌人だが
ひとまず母へ。
陽成院は
清和天皇(850~881)の第一皇子。
母は,藤原基経の妹
かの藤原高子(たかいこ)。
清和天皇即位にともなう大嘗祭で
五節舞姫をつとめた。
数々のスキャンダルで知られ
恋多き女性だったよう。
入内まえ
在原業平と恋愛関係にあったとされる。
これを重要なエピソードとして踏まえ
『伊勢物語』が書かれている。
物語では
二条后と呼ばれる。
2人は駆け落ちしたが
姫は鬼に食べられてしまった…(芥川)。
実際には,高子の親族に連れ戻されたわけだが
若い2人は「鬼!」と叫んだことだろう。
現代でも駆け落ちした2人をどうにかしてほしい
と相談を受けることがある。
しかし未成年なら話はべつだが
成人していれば本人たちの自由である。
とはいえ,業平の素性はいやしくなく
阿保親王の五男である。
ただ業平は政治的には
反摂関家。
ために
藤原一族には嫌われたらしい。
こうなると,さきの駆落ちは
日本版ロミオとジュリエットだろう。
容貌はすばらしく,自由きままに生き
すばらしい和歌を詠む男だったとされる。
古今集では
六歌仙のひとり。
心あまりて言葉たらず。しぼめる花の
色なくして匂い残れるがごとし(仮名序)。
百人一首の歌は
この屏風歌。
ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川
からくれなゐに 水くくるとは
なお56歳で逝ったときの
辞世の歌。
つひに行く 道とはかねて 聞きしかど
昨日今日とは 思はざりしを
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