人間がやることは
人間らしい。
人間のもっとも人間らしい性格は
わがままだろうか。
いまふうにいえば
自己ちゅう。
どうしても自分中心的な見方から
離れられない。
裁判制度は
人間のわがままを前提とするものだ。
われわれがやっていることは
数千年前のローマ時代とそう変わらない。
依頼人が公平な人間であっても
相手方がわがままであれば,やはり紛争になる。
相手方が理不尽な要求をくり返し
はなはだ困惑することがおおい。
そのようなときは
相手方にも弁護士がついてくれたほうが助かる。
少なくとも
法的な枠内でのわがままになるから。
人間は熱くなる
熱くなって我を失うこともある。
これも裁判制度が
必要な理由だ。
裁判をやっているうちに
クールダウンすることがおおい。
弁護士も人間だ。
やっているうちに熱くなる。
そうなると当事者化してしまって
わけのわからないことをわめくこともある。
なんじゃそれ?
もうすこし冷静に法的な議論をしようよ!
はい。それをそのまま
お返しします。
なんだと!
…。
てなぐあいだ。
あまりにも人間的。
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