2013年1月10日木曜日

みちのくの






業平,『伊勢物語』からはまた
いくとおりもつながりがある。

まずは,河原左大臣
源融(みなもとのとおる,822-895)。


『伊勢物語』の冒頭
昔ある男が成人したばかりの話。

鷹狩りに出かけた春日の里に
たいそう美しい姉妹が住んでいた。

ものの透き間からのぞき見た男は
心まどひにけり。

狩衣の裾を切り
それに歌を書いて送った。

  春日野の 若紫の 摺衣
           しのぶの乱れ かぎり知られず


この歌
どっかで聞いたような?

そう,百人一首でおなじみ
河原左大臣の歌を踏まえたもの。

源融は業平より3つ上なだけなので
当時すでにこの歌を詠んでいたのか?

ちょっと気になるけれど
そこは『伊勢物語』なので。


源融が左大臣のとき
藤原基経が陽成天皇の摂政に。

かれはこれが不満で
自宅に引きこもっている。

融は
嵯峨天皇の子。

業平もそうだが,天皇家の貴公子たちと
摂関家は権力をめぐって仲が悪かったよう。

(光孝天皇即位の際
政務に復帰。)


融は光源氏のモデルといわれる
風流人。

六条河原に,陸奥・塩釜の風景を
なぞった庭をつくったことで知られる。

河原の左大臣と
呼ばれるゆえん。

世阿弥の能『融』は
この話を踏まえたもの。

歌といい,庭といい
よほど陸奥に思いいれがあったのか。

庭の塩は,大阪湾の汐をくんで
わざわざ運ばせたんだとか。

すごい情熱なのか
権力者の道楽なのか。


陸奥の震災がれきを九州まで運ぶかどうか
議論されている。

月の世の融もさぞかし
びっくりしていることだろう。

  陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに
           乱れそめにし われならなくに
                          河原左大臣

 

 

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