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2024年3月26日火曜日

NHK Eテレ・高校国語をみたら

 

 先週の木、金は青森の残雪の山めぐりにでかけていたため、ブログが書けなかった。きのう書けなかったのは、ひとつはその間にたまった仕事が山積みになっていたから。

もうひとつの理由は、NHK eテレ・高校国語をみたから。ビデオ・デッキの調子が1か月ほど悪かった。最初はアンテナの不具合かと思った。

しかしリアル視聴はあまり問題がない。これはビデオ・デッキの問題だ。そこで買い換えた。そうすると録画容量がぐんと増えた。それまでは「にっぽん百名山」ほかの山番組、駅ピアノ・街ピアノなどの録画だけで容量いっぱいいっぱいだった。

録画容量が増えたため、それまでは見送っていた番組も録画をしはじめた。NHK Eテレ・高校国語もそうした番組のひとつだ。

高校国語の内容は、むかしとだいぶちがう。目新しいのは情報の収集・整理・発表の方法、集団的意見の交換・集約の仕方、ディベートの仕方など。

ビジネス直結ノウハウというべきか、情報化社会の生き方ノウハウというべきか、民主主義の必須ノウハウというべきか、そのようなメニューが並んでいる。

むかしのような小説の鑑賞のようなものはない(ようだ)。しかし、エッセイの読み方・書き方というのはあった。書き方のコツなどはブログを書いている身としてはなるほどなるほどだった。

いろいろあるが、まずは冒頭の工夫の大切さ。ここでぐっと読者をつかまなければならない。はたして本ブログの書き出しは適切か。

いまエッセイといえば、ファーストサマーウイカである。これでピントきた人には「光る君へ」ファンの称号を差し上げよう。

ファーストサマーウイカはいま「光る君へ」で清少納言をやっている。あの感じで『枕草子』を書きましたといわれるとピンとこない。ほんとうに彼女が書いたのだろうか。ま、それをいえば吉高由里子が『源氏物語』を書いたといわれても・・・

・・・などとつらつら考えていたことも、きのうのブログを書き損ねた理由である。そんなことを考えていたら、とてもブログなど書けない。あまり高望みをするのはよそう。きょうはそう思って、いつもどおりの書出しである。

2013年2月20日水曜日

夢のような幸福





三浦しをんさんの
『夢のような幸福』(新潮社)。

読了してしまいました。
寂しい。

残るエッセイも
あとわずか。

最新刊からさかのぼって読んでいっているので
順に読んだ人にとっては逆走。

わかりにくくて
すみません。


あいかわらずすごい生活で
読んでいて,手に汗にぎったり,電車のなかで吹きだしたり。

映画や漫画への没頭,熱愛ぶりも並大抵ではないので
すべての作品がとても魅力的に思えます。


『ロード・オブ・ザ・リング』はもちろん観ていましたが
こんかい,三浦さんにあおられてDVDを観てしまいました。

むろんヴィゴ・モーテンセンの
アラゴルンを中心に。

たしかに“ヴィゴさま”からながめる
『ロード・オブ・ザ・リング』はまたちがう世界。

「男ばかりの旅の仲間」
がいやに気になりました。


そんなある日(ことしのバレンタインデーのころ)
うちの秘書さんが意味深な顔をしてちかよってきました。

すわチョコレートかとおもいきや
差しだされたのは,なんとBLマンガ。

ガク。
ムク。

(ガクはチョコレートではなかったので
ムクはBL世界への手がかりをつかんだので)

ボクがブログであまりにBLの世界に興味を示したので
差しいれてくれたわけです。

ありがとう~。


さっそく
読んでみました。

なんやこれ?
つまら~ん。

ボクはまったく
その世界の趣味がないことが検証されました。

安心したような
残念なような。

おもえば
幸福な夢をみていただけなのでした。

三浦さんがあまりにその世界を
魅力的に紹介するものだから。

おしまい。

2013年1月17日木曜日

蛍光灯をかえるべきか悩んだら





きのうの記事は,書いてしまってから
お客さんからクレームが来ないか心配した。

心配したが,仕事の時間になったので
書きかえるヒマもなく,アップした。

さいわい
表だってのクレームはなかった。

みなさまの心のひろさと寛容さに
感謝します。


言葉づかいは難しい。
他意はなくとも誤解されることもある。

他意はないかもしれないが
潜在意識にあることもあろう。


きのう隣席の新人弁護士から
話かけられた。

蛍光灯が
切れてますねぇ,と。

たしかに,われわれの上にある
蛍光灯がきれぎれに点滅している。

むむ。これは
ボクにたいする(婉曲な)要求か?

蛍光灯を変えろ!
ということか?まさか…。

いくら厚かましい新人といえど
25年先輩にそこまでいうか?


先日,司法修習生がたくさん
事務所訪問に来られた。

その際,わが事務所のアピールポイントとして
新人さんは言っていた。

家族的な雰囲気であり
なんでも言える雰囲気である,と。

新人さんは
修習生諸氏になんども強調した。

それって,新人がのさばってる
ともいうよね。

先輩をないがしろにしてる
ともいうよね。

ボクの心には
疑惑がうずまいた。

けれども,お客さまの手前
言うのは控えた。


そこにもってきて
きのうの蛍光灯事件だ。

なんでもいえる雰囲気ってのは
先輩に蛍光灯をかえさせることも含むのか?

心はちぢに
乱れたのであった。

まるで
切れかけの蛍光灯のように。


そうやって心がつかれたときは
三浦しをんのエッセイが効く。

このところ
心が疲れるとしをんに逃避する。

いつもなら
読破して終わりだ。

でも,しをんのエッセイのばあい
ちょっとちがう。

心を癒す薬のような作用があるため
一気に読み終わらないよう注意している。

心が疲れたときだけ
ちびちびと読む。

できるだけ途中で
他の本を読んだりして。

それなのに,ああ
読んでしまった。

『乙女なげやり』
(新潮文庫)。

かのじょのエッセイ
残りがすくなくなってきた。

もう少しペースを
落とす必要がありそうだ。

2011年11月2日水曜日

 『柴引荒神』をめぐる一考察



 『柴引荒神』は、おととい書いたとおり
 阿蘇神社の長野・岩戸神楽の演目のひとつ。

 お話は、荒神が柴(榊)を集めてきて神前に供える
 という単純なもの。

 ただし、5本ほど舞台に置かれた柴には、地元の子どもたちが
 「土」として張りついています。

 見どころは、抜かれまいと必死の抵抗をする子どもたちと
 荒神さまとの柴の引き合いです。

 荒神さまは、舞を踊りながら簡単に引き抜きにかかりません。
 じらしにじらし…、子どもたちのバクバクが伝わってきます。

 いざ抜くときは、聴衆と舞台が一体となって
 かけ声をかけあいクライマックスを迎えます。

 ん?このスペクタクル、この興奮、この緊張とカタルシスは
 たしか、どこかでおなじみ…。

 そのときは、小・中学校の運動会の綱引きかなぁ~
 でも、ちょっとちがうなぁ~とおもっていました。

 それが、村上さんの『おおきなかぶ、むずかしいアボガド』
 読んでいて、「あっ、そうか!」と謎がとけました。

 『柴引荒神』の興奮とカタルシスは、綱引きよりも
 ロシア民話の『おおきなかぶ』により近いものだと思います。

 みなさん知ってますか?
 ロシア民話の『おおきなかぶ』を。

 作: A・トルストイ、絵: 佐藤 忠良、訳: 内田 莉莎子で
 福音館書店から味わいのある絵本になっています。

 子どもたちに何度もよんであげました。
 大人的にはなんということはないのに、子どもに受けるんですねぇ。

 子どもたちから
 おおきなかぶが抜けたときの快感が伝わってきました。

 村上さんが書いているように、幼稚園のお遊戯の定番です。
 子どもたちの幼稚園でもやっていました。

 こうして『柴引荒神』の興奮とカタルシスに関する
 謎がとけました。

 その結果、この謎解きに関するカタルシスもまた生じたのでした。
 新幹線車中で、村上さんのエッセイを読みながら。

 岩戸神楽と村上さんのエッセイという、おもわぬつながり
 これがまた快感の質を高めたのでした。

 さて、抜かれたあとの、おおきなかぶはどうなったでしょう?
 それは村上さんのエッセイをお読みください。

 さて、抜かれたあとの、荒神さんの柴(榊)はどうなったでしょう?
 それは…地元の方々がもちかえり、家々に飾っているようです