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2025年4月15日火曜日

出版不況と読書案内(1)100分de名著ー『ねじまき鳥クロニクル』

 

 いまの人たちはほんとうに本を読まなくなった。西鉄電車に乗っていても、95%の人がスマホをいじっている。そしてゲームをしている。

 結果、天神の街角からもつぎつぎと書店が姿を消していっている。ま、Amazonや電子書籍に喰われていることも大きいが。

 新聞もおなじ。うちの若い先生がたも、少なくともこの辺ではいちばんの高学歴・知識人のはずだが、読んでいない。一般は推して知るべし。

 われわれの時代は大学に教養部があったが、いまはない。きょういまから使えない、実用性のない知識には価値がないという。教養主義の終焉である。

 小豆島へ事務所旅行に行ったとき、ホテルの窓から瀬戸内海をへだてて屋島が見えた。夕日に映える台形状の姿が美しく印象的。

 当然のこととして話題は屋島の戦いに・・・行かなかった。みなさん屋島の戦いを知らないのである。日本史でも習わないし「平家物語」も読んでいない。あれまぁ。

 こうした状況に危機感をおぼえ、出版文化のテコ入れを試みる人がおおいのか、読書案内をする番組がいくつか存在する。

 まずはNHK、100de名著。これは2011年3月からやっている。もはや長寿番組である。

 いまは村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』をやっている。きのうはその第2回「大切な存在の喪失」だった。

 主人公トオル(法律事務所の元事務員)の妻であるクミコがある日失踪する。トオルは初めて、自分は本当に妻の何を知っていたのだろうと思い至る。失踪の理由が分からない。この謎が大きな言動力となって、物語を動かしていく(NHKテキストから)。

 ねじまき鳥とはカササギのことである。黒に白のストライプが目をひく。うちの事務所の近くの電柱にも営巣している。巣作りが下手なのか雑なのか、集めた木の枝が地面に落下して散乱している。そのために巣があることに気づくぐらいだ。

 佐賀あたりではカチガラスともいう。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、加藤清正が縁起がよいとして連れ帰ってきたからカチガラス。鳥まで戦利品として持ち帰ったのだろうか。そうであるとか、ちがうとか。

 ギィィィィ・・・。まさしくネジを巻くような音をたてて鳴く。ねじまき鳥の声がこの世界を動かしている、あるいは、その音であるという。そういわれれば、そうかなと信じてしまいそうになる。

 一節の朗読を聞いて、伊集院光が「これはデイヴィッド・リンチの世界に似ていますね」などとコメントする。すると解説者の沼野充義が「村上春樹はデイヴィッド・リンチに傾倒していますね。」などと答える。

 かくて伊集院光があいかわらず、外見に似合わず鋭いコメントをしたことが分かる。頭のなかで、ツイン・ピークスの映像がフラッシュする・・・。

 というわけで、むかし単行本で通読したにもかかわらず、ついつい書店で文庫本を買い、再読してしまう。番組制作者の思惑どおりである。わが頭のなかのネジもいつしか巻かれてしまった。

2024年3月26日火曜日

NHK Eテレ・高校国語をみたら

 

 先週の木、金は青森の残雪の山めぐりにでかけていたため、ブログが書けなかった。きのう書けなかったのは、ひとつはその間にたまった仕事が山積みになっていたから。

もうひとつの理由は、NHK eテレ・高校国語をみたから。ビデオ・デッキの調子が1か月ほど悪かった。最初はアンテナの不具合かと思った。

しかしリアル視聴はあまり問題がない。これはビデオ・デッキの問題だ。そこで買い換えた。そうすると録画容量がぐんと増えた。それまでは「にっぽん百名山」ほかの山番組、駅ピアノ・街ピアノなどの録画だけで容量いっぱいいっぱいだった。

録画容量が増えたため、それまでは見送っていた番組も録画をしはじめた。NHK Eテレ・高校国語もそうした番組のひとつだ。

高校国語の内容は、むかしとだいぶちがう。目新しいのは情報の収集・整理・発表の方法、集団的意見の交換・集約の仕方、ディベートの仕方など。

ビジネス直結ノウハウというべきか、情報化社会の生き方ノウハウというべきか、民主主義の必須ノウハウというべきか、そのようなメニューが並んでいる。

むかしのような小説の鑑賞のようなものはない(ようだ)。しかし、エッセイの読み方・書き方というのはあった。書き方のコツなどはブログを書いている身としてはなるほどなるほどだった。

いろいろあるが、まずは冒頭の工夫の大切さ。ここでぐっと読者をつかまなければならない。はたして本ブログの書き出しは適切か。

いまエッセイといえば、ファーストサマーウイカである。これでピントきた人には「光る君へ」ファンの称号を差し上げよう。

ファーストサマーウイカはいま「光る君へ」で清少納言をやっている。あの感じで『枕草子』を書きましたといわれるとピンとこない。ほんとうに彼女が書いたのだろうか。ま、それをいえば吉高由里子が『源氏物語』を書いたといわれても・・・

・・・などとつらつら考えていたことも、きのうのブログを書き損ねた理由である。そんなことを考えていたら、とてもブログなど書けない。あまり高望みをするのはよそう。きょうはそう思って、いつもどおりの書出しである。

2023年12月8日金曜日

マジカルミステリーツアー(3)

 





 赤倉温泉駅から陸羽東線を古川に戻る。そこから東北新幹線で盛岡へ向かう。列車は全席指定のはやぶさだ。なんと1両貸切。他に客はいない。これも山の神のご接待か。恐れ多い。

北上駅あたりから東をのぞむ。あのあたりが遠野だろうか、早池峰山だろうか。まもなく新花巻を通過。時間があれば訪ねたいところだ。最近でいえば早池峰山に登ったときに訪ねたきりだ。それでももう10年以上前になる。

盛岡でおり、ホテルに向かう。北上川にかかる開運橋を渡る。北を見ると、岩手山が美しい姿をみせていた。西側に雲がすこしかかっているので、上空は風が強そう。でもこれなら、明日は登れそうだ。開運橋は開雲橋。

岩手山の美しい姿をみると、NHKの朝ドラ「どんど晴れ」(2007年)を思い出す。比嘉愛未が旅館の若女将を好演した。旅館の格式と奮闘しながら成長し、民話との運命的な再会を果たす。その不思議な魅力に、まわりは彼女に開運の座敷童(ざしきわらし)を幻視する。

ドラマ制作のねらいは、目に見えるものしか価値をもたなくなった現代人に欠けている「見えないものを信じる勇気と力」を描こうとしたとされる。

『星の王子さま』や『ロード・オブ・ザ・リング』を共通するテーマ。『遠野物語』の遠野があり、『銀河鉄道の夜』などを書いた宮沢賢治の拠点であった岩手を舞台としたことで、テーマを効果的に描くことができた。欠かさず見た記憶だ。もちろん、オーディションで選ばれた比嘉愛未の可愛いさにハートを打ち抜かれたせいもあったが。

翌日は岩手山に登った。標高2038メートルの百名山。宮沢賢治も中学時代から登り、30回以上は登ったという。ぼくは13年ほどまえに1度、今回が2度目である。以前は迫田弁護士夫婦、石井弁護士の4人で登った。宿で握ってもらった秋田こまちのおにぎりの味が絶品だった思い出がある。

岩手山は、どこよりも地元の人たちに愛されている山だ。東北なまりが行き交い、雰囲気があたたかい。若者から高齢者まで。70歳、80歳とお見受けするおじいさん、おばあさんがたくさん登られている。あの年齢で、足は、腰はだいじょうぶか?といらぬ心配をしてしまう。

70歳、80歳のかたがたに混じって最初は余裕だったが、くだりではそうとうバテてしまた。それもそのはず、この日の万歩計は37,000歩を歩いたと告げていた。平地ならともかく、その半分は登りである。バテたはずだ。

2023年10月2日月曜日

木曽駒ヶ岳、霧ヶ峰、乗鞍岳、美ヶ原(1)諏訪湖

 

 先週は投稿をお休みしました。すみませぬ。先々週末、木曽駒ヶ岳、霧ヶ峰、乗鞍岳、美ヶ原という日本百名山を4座登ってきたので、その間たまった仕事等に追われていたのでした。

きょうから、その報告。今回の旅のテーマはナウマンの偉業をたたえるです。

写真がどこかわかりますか。諏訪湖です。諏訪湖ときいただけでナウマンとのつながりがわかった人はなかなかの通ですね。

諏訪湖は、フォッサマグナの西端・糸魚川静岡構造線と中央構造線が交差する位置にあります。日本列島のヘソといってよいでしょう。今回の山行との関係でいえば、霧ヶ峰の山麓です。

たまたまそこに位置しているのではなく、中央高地の隆起活動と糸魚川静岡構造線の断層活動により地殻が引き裂かれてできた構造湖です。

このコースは以前にも経験したことがあるのですが、前回は諏訪湖をスルーしてしまいました。今回は、NHKジオ・ジャパンのシリーズにより日本列島のなりたちの理解が進んだので、是非、現地を訪ねてみようと思いました(八ヶ岳から遠望したことはありましたが)。

中央線の上諏訪駅を降ります。北側に改札口があるので、左折して線路沿いに行くと、さらに左折。線路をくぐると、むこうに諏訪湖が見えています。

モニュメントがあり、そこを抜けると諏訪湖の絶景が開けています。写真をみて、湖の向こう側の左手(諏訪湖南西側)には諏訪湖南岸断層群があります。同じく右手(諏訪湖北東側)には諏訪湖断層群があります。

湖を取り囲むように諏訪大社4社が位置しています。上社本宮、上社前宮、下社春宮、下社秋宮。諏訪大社は諏訪湖と密接な関係があるにもかかわらず、上社は諏訪湖からずいぶん離れたところに立っています。なぜでしょう。

諏訪湖には流入する河川がたくさんあるにもかかわらず、流出する河川は南西側の天竜川しかありません。土砂の堆積が進み、年々、面積が縮小しています。そのため、上社は離れたとこにあるのだとか。むかしは湖面に近く建てられていたそう。ごらんのとおり、写真でも湖面の縮小を実感することができます。

2023年9月20日水曜日

月は隈なきをのみ見るものかは

 


 NHK BSで「絶景にっぽん月の夜」をやっていた。案内役は橋本マナミ。いわく。世界で類をみないほど月を愛してきた日本人。上弦の月、十六夜、立待月、眉月など、四季や月日の移ろいに合わせた月の名は数知れず。そんな月との営みは今も全国に残っている。三日月信仰、徹夜踊り、屋久島の夜・・・。夜の日本を旅して〝月の愛で方”を探る。

世界で類をみないほど月を「愛してきた」日本人。というけれども、現代日本人のうちどれほどの人が月を愛しているだろうか。

白楽天の詩に「雪月花時最憶君(雪月花の時 最も君を憶ふ)」とあり、われわれ日本人は雪月花を最も美しいとおもい、愛してきたとされる。しかし自身、雪と花の愛し方に対し月はやや比重が劣るような気がする。

芭蕉などは長い旅をして月見を楽しんでいる。鹿島紀行や更科紀行である。前者は江戸深川から茨城県の鹿島まで出かけて月見を試みている。後者は美濃から信州更科(姨捨山)まで旅をして月見を試みている。どちらも当時、月見の名所である。

対するわれわれはどうだろう?花見をするために弘前、高遠や吉野へ出かける。雪を見るために、蔵王、八甲田や八ヶ岳、北アルプスに出かける。しかし月見をするために遠出を計画することはない。生活様式の変化なのか、嗜好の変化なのか。それとも個人的な趣味の問題か。

ところで、「絶景にっぽん月の夜」では、〝月の愛で方”として兼好法師の言葉を引用していた。いわく。「月は隈なきをのみ見るものかは。」。せっかくだから『徒然草』第137段全文を引用してみよう(角川ソフィア文庫から)。

 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ。歌の詞書にも、「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ」とも、「障ることありてまからで」なども書けるは、「花を見て」といへるに劣れることかは。花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさることなれど、殊にかたくななる人ぞ、「この枝かの枝散りにけり。今は見どころなし」など言ふめる。

なるほど。すばらしい。おっしゃるとおり。このような感覚はいまなおわれわれにも脈々と受け継がれている。

書棚から先の『徒然草』をひっぱりだそうとしていたら、『源氏物語(二)』のオビに目がいった。いわく。「朧月夜に似るものぞなき」。

歌宴にて、源氏が朧月夜の君を愛するきっかけになった。もとは大江千里の和歌。

 照りもせず曇りも果てぬ春の夜の 朧月夜に似るものぞなき

これも「隈なき月より朧月でしょ」ということだから、兼好法師の言うところと同じ意味だろう。というより、大江千里、紫式部のほうが先行しているので、兼好の趣向は彼らに学んだものというべきか。

すこし時代がさがって芭蕉の『野ざらし紀行』にも次の句がある。

 関こゆる日は雨降て、山皆雲にかくれたり。

 霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き

これは間違いなく『徒然草』に学んだものだろう。「雨に対ひて月を恋ひ」、そしてまた富士を恋ふ。

さらにずっと時代が下って、次のような文章もある。

 山でご来光を拝めたときの感激はひとしおだ。とにかく幸せな気持ちになる。太古、人類は恐ろしくて長い夜をすごし、日の出を心待ちにしていただろう。日が昇ったときの幸せは生存に直結した根源的なものだったろう。われわれのDNAにはそれが刻みこまれている。
 ご来光が拝めるかどうは、お天気の気まぐれ。曇ればダメだし、まったく雲がないのも風情がない。うまいぐあいに雲がかかるのが大切なのだ。夜明け前に茜色に染まる空を東雲と呼ぶのは意義深い。・・

どこで読んだんだったっけ?

2023年7月7日金曜日

どうする家康?

 


 『どうする家康』をめぐる議論がかまびすしい。「あれはちがう。」「歴史はそうじゃない。」などと訳知り顔でコメントする人がおおい。そうなんだろうか?

最初に断っておくけれども、NHKファンでもないし、松潤ファンでもない。どちらかといえば嫌いといってもいい(ただし、NHKの一部の山番組を除く。)。

『どうする家康』は松潤主演の大河ドラマ。脚本は古沢良太。

先日、有村架純が演じる瀬名(築山殿)が自刃した。瀬名は、敵である武田勝頼に内通し、それが織田信長にバレて自刃をせざるをえなくなったといわれる。「あれはちがう。」と言われている問題は、この内通の理由。

一般には、家康と瀬名の子である信康に所領(天下)を与えるという密約があったとされる。しかるに、本ドラマでは、信長の覇権主義による戦乱の世がつづくことを嫌い、隣国との信頼・互恵関係による平和社会(というユートピア)の実現をめざしたという筋立てになっている。

「あれは歴史とちがう。」と断じている人たちの論拠は、山岡荘八や司馬遼太郎だろうか(一次資料を読んでいる方がいたら、ごめんなさい。)。自分で読んだわけではないので申しわけないのだけれども、おそらく山岡荘八の小説は前者で書かれているのであろう。ひょっとしたら、司馬遼太郎もそのような説を書いているのかもしれない。

しかし、ウィキを読むかぎり、この問題の決めてとなる一次資料は存在せず、江戸期の文献がおもな典拠のようである。そのため、歴史家の間では「築山殿殺害の謎」として諸説いりみだれている。

そもそも大河ドラマは文字どおりドラマである。ドラマとは演劇・芝居すなわち劇のことである。歴史に忠実に描かなければならないという制約はもともとないはずである。

山岡荘八や司馬遼太郎の小説だって、歴史そのものではなく、歴史を素材にして彼らの見立てや思想・見解が語られていることはみな承知のはずだ。

しかしここにきて、『どうする家康』は歴史とちがうと声高にいう人が多いのはどうしたわけか?

1つは、アンチ松潤派ということが考えられる。築山殿問題だけでなく、あわせて彼の演技を問題にする人が多い。ネットで主張している人たちのバックグラウンドは知らないが、ぼくの回りはそんな感じだ。ジャニーさんの問題もあり、アゲンストであることは確かだろう。

2つは、アンチNHKの空気もあるだろう。旧N党の存在だけでなく、一般の家庭における受信料をめぐる最近の攻防が影響していることはあるのではなかろうか(ぼくがNHKが嫌いなのは彼らの取材態度の横着さが原因だ。)。

3つは、いちばん気がかりなのだけれども、築山殿の考えが憲法の平和主義と通底していることに反発しているのではないかということ。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。かかる憲法前文の考えは、築山殿の思想と共通するものである。

築山殿の崇高な理想は、残念ながら、勝頼の俗物根性により裏切られた。残念無念。

しかし、家康が江戸幕府を開き、265年間におよぶ天下泰平の世を築いたのは、瀬名の平和主義の影響を受けている。こう「解釈」をしても、許されないということではあるまい。

いままたウクライナ戦争の渦中。どうする家康?の問いかけは、どうする日本人?という問いかけとしてわれわれの前に提出されている。そう考えたとしても、なんら不都合はないと思われる。

2023年4月5日水曜日

トランプ前大統領34の罪で起訴、罪状認否で無罪を主張

 


 今朝の出がけのNHKのニュース。トランプ前大統領が34の罪で起訴され、罪状認否で無罪を主張しているとのこと。

 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230405/k10014028341000.html

この件は、本ブログ3月31日の投稿「トランプ前大統領を起訴 不倫口止め料を巡る疑惑」でも書いた。その際、不倫口止め料を巡る疑惑なるものがなんとことか分からない、日本の刑法でいう証拠隠滅罪もしくは偽証教唆罪のことだろうかと書いた。

 http://blog.chikushi-lo.jp/2023/03/blog-post_31.html

しかし違うようだ。顧問弁護士が支払った口止め料をトランプ氏の会社が弁護士側に返済した際、「弁護士費用」として処理したことが業務記録の改ざんにあたる可能性があるなどと報じている。

これもよく分からない。虚偽文書作成の問題だろうか。少なくとも日本では私文書について虚偽文書作成は犯罪とされていない。会社の文書なので、会社法の刑事罰違反なのだろうか。

経費性のないものを経費として処理したのであれば、脱税の可能性がある。税法違反といってもバカにできない。むかしケビン・コスナー主演で「アンタッチャブル」という映画があった(その前にはドラマも)。実話にもとづき、財務省捜査官がギャングのボスであるアル・カポネを逮捕する姿を描いたものだ。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%96%E3%83%AB_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

本命は密造酒摘発だったが、うまくいかない。そのため搦め手から攻め、脱税容疑で起訴にもちこむのである。本件もひょっとしてそうだろうか。

しかし起訴された34もの罪のなかで、不倫口止め料を支払ったとか、それを「弁護士費用」として処理したことが本件の核心なのだろうか。

罪状認否後、捜査を指揮している検察官はこう述べたとも報じられている。「2016年の大統領選挙に関連する犯罪を隠すため改ざんを行ったということが証拠によって明らかになるだろう」。

ますます意味が分からない。不倫口止め料を巡る疑惑→顧問弁護士が支払った口止め料をトランプ氏の会社が弁護士側に返済した際、「弁護士費用」として処理したことが業務記録の改ざんにあたる可能性がある→2016年の大統領選挙に関連する犯罪を隠すため改ざんを行ったということが証拠によって明らかになる・・・。

何を言っているのか、さっぱり分からない。日本の法廷で、検察官がこのような冒頭陳述を行えば、裁判官から間違いなく叱られるだろう。

問題は当該捜査検事にあるのではないだろう。日本のマスコミの不勉強にあると思われる。米国マスコミが流したニュースを何の裏付けもとらず、何の勉強もしないで、そのまま横流しにしているだけだから、訳がわからないのではなかろうか。

34もの罪で起訴されていることが関係しているのだろうか。いろんな事件の断片を関連を明らかにしないまま報道しているので、訳がわからない可能性もある。

前大統領がポルノ女優と不倫したとか、口止め料を支払ったなどという話は週刊誌ネタとしてはセンセーショナルで面白いかもしれない。しかしNHKが朝から報道するのであれば、それがいかなる罪を構成するのかぐらい勉強して報道してほしいものだ。

2023年2月21日火曜日

ウェルビーイング(2)

 

 NHKウェルビーイングのシリーズ2回目は「〝幸せ革命”が企業を変える」。富士通、日立製作所、京セラといった名だたる日本企業がウェルビーイングの向上に取り組んでいる姿がリポートされた。

各社がいまウェルビーイングの向上に取り組んでいるのは、グーグルの調査でウェルビーイングの高い組織のほうが生産性・業績が高いという結果が出たから。

これに触発されて仕事の常識が変わってきた。歯を食いしばってフラフラになりながら「24時間働けますか?」よりずっといい。〝幸せ革命”と呼ばれるゆえんである。

ウェルビーイングを向上させる方法は、企業ごとにさまざま。勤務時間中にみんなでヨガをする、若手主導による運動会の復活(上からの組織的な運動会は廃れていた。)、働きやすい快適なオフィス、ライフスタイルにあわせて働ける制度、失敗を許容するボスの功績など。

鍵を握るのは、自由に意見が言える「心理的安全性」の確保。まずは、意見をいいやすい職場であること。空気を読むな、発言しないのが悪。

つぎに、失敗を許容する職場であること。寛容性。失敗は挑戦した結果、失敗はみんなの財産、共有しよう。失敗を次なる学びに変えていく。

たしかにそのとおり。わが事務所もそのように考えている。しかし、なかなかそうならない。表面的にはそういっているけれども、実際はそうでないよという受けとめなのだろう。

どうすればよいのか。

2022年7月4日月曜日

ウィ・シャル・オーバーカム


  あることを知ると、それまでバラバラだった知識がそのことのまわりに凝集してくることがある。

先日、葉加瀬太郎のコンサートに森山良子がゲストできていた。その際、清水ミチコもゲストだった。清水のあとが森山の出番だった。清水は森山にうまくつなげるため、森山のかって歌った「禁じられた恋」の歌まねをした。

「禁じられた恋」は1969年のヒットソング。10歳、小学校3年のときだ。曲は知っていたが、森山良子の歌とは知らなかった。いまどきのヒットソングである「さとうきび畑」や「涙そうそう」とはかなりちがう。

きのう、世界の果てまでイッテQだったろうか、イモトが狂言まわししながらAIが信州の星空のしたで「アルデバラン」を歌っていた。NHKの朝ドラで毎日聴いていたはずだが、森山直太朗の作詞・作曲というのはきのう初めて知った。

いまNHKの朝ドラアンコールは「芋たこなんきん」をやっている。2007年の番組で田辺聖子の自伝的ドラマ。きょうは徳永家の長女が成長し、フォークをきき集会などにもでかけていくようになる場面。部屋では「禁じられた恋」が流れていた。

集会で歌われていたのは「ウィ・シャル・オーバー・カム」。ぼくらはすこし遅れてきた世代だから、リアルタイムでの記憶はない。ウィキで検索すると、邦題「勝利を我等に」。米国ではジョーン・バエズ、日本では上条恒彦らが歌い、反戦・平和運動、歌声喫茶などでひろく歌われていたらしい。

この曲の存在を知ったのは弁護士になってから。なりたてのころ、弁護士会では自由な接見交通権の確立に取り組んでいた。知恵をお借りしに九大刑事訴訟法の横山晃一郎先生の研究室を訪ねた。その際、横山先生から聞いたのが、この曲。

その後ほどなくして先生はご病気で亡くなった。葬儀はプロテスタント教会で。仏教による葬儀と異なり、すべて平明な言葉で心の痛みが表現されて、感銘を受けた。

2022年6月7日火曜日

今度生まれてきたら


  NHK-BSでやっている内館牧子原作のドラマ『今度生まれてきたら』にはまってしまった。毎週欠かさず楽しみにみている(リアルタイムではなく録画でだが)。

主役は松坂慶子、風間杜夫の70代夫婦。その他、松坂の姉である藤田弓子と平田満の夫婦など。若者とちがう、あけすけな会話が小気味よい。内館牧子の筆力なのか、ベテラン俳優陣の演技力なのか、妙なリアリティを感じる。

70代にもなると、過去の選択に対する後悔はたくさんあるけれど、将来の選択肢はすくない。なにをするにも「先が見えている」。どのセリフのあとにも、「と言ったって、先は知れているけどね。」とか、「と言ったものの、どこかで聞いたセリフね。」みたいな感慨が漂う。

そうした枠組みのなかでなされる主人公たちの「最後の」あがきの滑稽さが笑わせるけれども、人間存在の素晴らしさをおしえてもくれる。

同窓会に参加した平田満が学生時代のマドンナと再婚しようと、藤田弓子と離婚を言い出す。マドンナはジュディオングで、学生時代は自分のことをバンビちゃんと呼び、「わたし、日本食食べらんない~」などと甘え言葉で言い、男子には超人気があったけれど、女子には嫌われていた存在。あはは。いたね、そういう子。

離婚を切り出された藤田弓子のふてくされた演技が秀逸。それを他人事として感想を述べる松坂慶子の「人生って、いろいろね~」みたいなセリフが笑わせる。番組のはじめのほうで、藤田弓子が別の文脈でおなじセリフを言っている伏線がとても効いている。あはは。

松坂慶子は「今度生まれてきたら、この人とは結婚しない」とつぶやいたけれど、みなさんはどうでせう?

2022年6月6日月曜日

六月博多座大歌舞伎


  雨の日と日曜日は博多座。ということで、大歌舞伎の観劇。コロナ禍後、初かな。お客さんもやや少なめ。

昼の部の演目は、橋弁慶、鷺娘、義経千本桜からすし屋の段。鎌倉殿の影響だろうか、義経にはじまり義経に終わる。間奏は菊之助の鷺姫。暗闇でしか見えぬものがある、暗闇でしか聞こえぬ歌がある。カムカムの桃剣さんと同一人物とはおもえぬ女方舞踊。

義経千本桜といいつつ、すし屋の段には義経はでてこない。でてくるのは死んだはずの平維盛。絶世のイケメンだったらしい。鎌倉殿では濱正悟が演じていた。

死んだはずというのは、平家物語によるから。一の谷の戦から戦線を離脱した維盛は熊野灘で補陀落をめざして自死したことになっている。しかし、そこははっきりしないらしい。そのため、義経千本桜の作者らの創作意欲を刺激のだろうか。

すし屋の段の主役は維盛でもない。すし屋のドラ息子のいがみの権太。かれは母は騙してお金をせびりとったり、親不孝の数々。この日は父親がかくまっていた維盛とその妻子を鎌倉方に売り渡してしまう。これに怒った父は彼を斬ってしまう。

・・・。刃傷で息も絶え絶えとなった権太は、大どんでん返しの真相を語る。ここは菅原伝授手習鑑の寺子屋の段によく似ている。江戸期の庶民はこのような、ほんとうは自己犠牲で義理堅い、どんでん返し、取り返しがつかない、といった場面が好きだったんでしょうね。

ちなみに、「維盛」を追い、その首を受け取った鎌倉殿の武将は梶原景時。演じるのは中村芝翫。私生活も忙しいらしい。NHKドラマでは中村獅童がしぶく演じている。

2022年3月30日水曜日

「カムカムエヴリバディ」


  NHKの朝ドラはいよいよ最終回がちかづいてきた。大正時代から現代まで母娘三代(上白石→深津→川栄)の悲喜劇を描く。

深津は回転焼屋を営んでいるが、ライバルとして「団子3兄弟」の曲が流れる。この曲がヒットすると客が回転焼から団子に流れてしまう。でもドラマのほうも曲にあわせて、上白石、深津、川栄の時代のいろんなエピソードが串団子のように一本にまとまる展開になってきた。

「カムカムエヴリバディ」はわが事務所のスローガンとしてもぴったり。昭和の時代、稲村弁護士は裁判所前の門前町を離れ、お客さまのなかに飛び込んた。それまで福岡市内の赤坂や城内に事務所をかまえ、来られる人は来なさいというやり方だった。それを180度転換し、カムカムエヴリバディというやり方に変えたのだ。

虚無蔵さんの名セリフも、若手弁護士に聞かせたい。

「日々鍛錬し、いつ来るとも知れない機会に備えよ」

虚無蔵がこのセリフを言うと、アーヴィングの『オウエンのために祈りを』を思い浮かべてしまう。主人公2人は何の役にたつともしれぬスラムダンクの練習に日々励む。このような日々の鍛錬が意味をもつ日は来るのか。

むかし駆け出しの弁護士だったころ、水俣病の裁判で会場の場所とりや弁当の手配など、弁護士の仕事とも思えぬ下働きをやらされていた。その後、ハンセン病裁判を主導するようになった。下働きを一緒にしていたK弁護士は「この日のためにやっていたんだ。」としみじみと言った。後になって下働きの経験が役にたったのである。

カムカムでは母娘三代にわたり、あんこを作っている。その場合のスタンスが他のあんこ屋さんと違っている。人間側の都合ではなく、徹底してあずきの側に立っている。その呪文。

「あずきの声を聴け、なにゅうしてほしいか、あずきが教えてくれる。
おいしゅうなれ、おいしゅうなれ、おいしゅうなれ・・・」

当職の弁護士としてのモットーは「人事を尽くして天命を待つ」である。人事を尽くす際には、やはりおなじように祈っている。「よい結果になれ、よい結果になれ、よい結果になれ」。

2022年3月11日金曜日

アルデバラン


 カムカムはいま3代目・川栄李奈が活躍中、そろそろ終結かと思われる。

主題歌はAIの「アルデバラン」。アルデバランは牡牛座のα星、冬のダイアモンドを構成する。歌詞の冒頭はこう。

 ♪君と私は仲良くなれるかな
  この世界が終わるその前に・・・

カムカムは日常的ドラマの流れのなかに、突然異質なものが挿入されて面食らう。「暗闇でしか見えぬものがある。暗闇でしか聞こえぬ歌がある。」以前紹介した時代劇シーンなどがそうだ。

川栄李奈になってからは「およげたいやきくん」や『サラダ記念日』など、ときどきの流行歌や流行したセリフを使って昭和という時代とその流れを感じさせてくれる。

なかでもこれはと思ったのがノストラダムスの大予言。「1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってくる」。あったあった、あったね~。

その後の展開で川栄は恋人の五十嵐と別れる展開に。時代劇が廃れ、食えなくなったからだ。あれれ。「アルデバラン」の歌詞どおりではないか。

そう思っていたら、ロシアによるウクライナ侵略。プーチンによる核兵器威嚇。NATOや欧米各国とロシアによる全面戦争になりかねない事態に。・・・。

俄然、歌詞の重みが増している。SMAPの「Triangle」も最注目されている。

先輩時代劇俳優が五十嵐に贈った言葉が沁みる。

どこで何をして生きようと
お前が鍛錬し培い身につけたものはお前のもの
決して奪われることのないもの
一生の宝とせよ。

2021年7月6日火曜日

あたらしい歌枕・登米


(モネの睡蓮@ビュールレ展)

  思ひかけずかかる所にも来たれるかなと、宿を借らんとすれど、さらに宿貸す人なし。やうやうまどしき小家に一夜を明かして、明くればまた知らぬ道迷ひ行く。袖の渡り・尾ぶちの牧・真野の萱原などよそ目に見て、遙かなる堤を行く。戸伊摩といふ所に一宿して、平泉に至る。その間二十余里ほどとおぼゆ。

思いがけず石の巻に来て、宿を借りようとしたけれども借りられず、平泉にむけて出発したけれどまた道に迷い、袖の渡りなどの歌枕には行き損ねたらしい。またまたほんとうでしょうか。

ここも『曽良随行日記』によれば、事実と異なっていて、実際はそれなりのもてなしを受け、道迷いもなかったらしい。芭蕉がこのように旅程を困難に暗く書いているのは、念願の目的地である平泉や金色堂をより光かがやかすためであるとされています。

芭蕉は『笈の小文』で、紀行文とは何かについて、こんなことを書いています。

 抑、道の日記といふものは、紀氏・長明・阿佛の尼の、文をふるひ情を盡してより、餘は皆俤似かよひて、其糟粕を改る事あたはず。まして淺智短才の筆に及べくもあらず。其日は雨降、昼より晴て、そこに松有、かしこに何と云川流れたりなどといふ事、たれゝもいふべく覚侍れども、黄奇蘇新のたぐひにあらずば云事なけれ。

小・中学校のときに、日記の書き方について、先生から指導されたとおり。朝起きて、顔洗って、歯を磨いて、ご飯を食べて、着替えて・・・ということを書いてもしかたがない。なにかしら新しいことや興味あることを書かないと、面白くないし意味がないというわけです。

 されども其所ゝの風景心に残り、山館・野亭のくるしき愁も、且ははなしの糧となり、風雲の便りともおもひなして、わすれぬ所ゝ跡や先やと書集侍るぞ、猶酔者の妄語にひとしく、いねる人之譫言するたぐひに見なして、人又亡聴せよ。

とは言っても、いろいろと旅の思い出などを書き連ねるので、フィクションと思って話半分に聞いて欲しい。なるほど、分かりました。

松島から平泉まで、姉歯の松、緒絶えの橋、袖の渡り、尾ぶちの牧、真野の萱原という5つの歌枕がありましたが、全部スルー。各歌枕の地元の観光協会としてはさぞかし悲憤慷慨でしょう。

「昔より詠み置ける歌枕多く語り伝ふといへども、山崩れ、川流れて、道改まり、石は埋もれて土に隠れ、木は老いて若木に代われば、時移り、代変じて、その跡たしかならぬことのみ」(多賀城碑の段)なので、歌枕を尋ねる気力が失せたのでしょうか。

そして歌枕をスルーして遙かなる堤を行く。遙かなる堤は北上川の土手です。そして芭蕉一行は、戸伊摩(といま)といふ所に一宿しました。

戸伊摩って、どこか分かりますか。いまの登米町(とよままち)です。登米って、どこか分かりますか。いまのNHK朝ドラ『おかえりモネ』で、主人公の百音ちゃんが夏木マリの家に下宿して森林組合の職員として働いているところです。

百音ちゃんは、いま気象予報士めざして勉強に励んでいます。ひとつまえの石の巻で、日和見(観天望気)の話をしましたので、うまいぐあいに響きあっています。

モネちゃんは百音と表記されていることから、音と関係が深いのでしょう。主題歌はBUMP OF CHICKENの「なないろ」です。なないろは、もちろん虹の色でしょうが、百音ともひびきあっているのでしょう。

歌を歌った場所が歌枕だとするなら、登米は最新の歌枕じゃないでしょうか。♪闇雲にでも信じたよ きちんと前に進んでいるって・・それでもいい これはぼくの旅

ということで、道迷いしながらも、芭蕉の旅は念願の平泉に至ったのでした。パチパチ。

2013年5月31日金曜日

カードあれこれ






先日の東京出張のおり
山手線のなかをウロウロしました。

その際感じたのは交通系カードが
全国一本化され便利になったこと。

ボクは「ニモカ」しか持っていないので従来
モノレール,JRはOKだけれども,地下鉄はダメでした。

それが地下鉄もOKになったので
とても便利でした。


さいきんは飛行機のチェックインも
携帯電話でやっている人がいます。

さすがにあれはいまのところ
ようしきりません。

そもそも携帯電話での支払いを
ようしきりません。

原理的にはカードとおなじなのでしょうが
生理的に不安です。

こうして世の流れから
取り残されていくのでしょうか。


きのうジュンク堂で
NHK制作のDVD『百名山』を購入。

いつもどおり,ジュンク堂のポイントカード「honto」
を提示しました。

すると,女性の店員さんが
「DVDには使えません」。

え~っ,と説明書きを読むと
たしかにそう書いてある。

でも
なんで?

などと店員さんと会話したのでした。
ポイントより,こちらのほうが楽しかったりして。


セブンでは
「nanaco」というカードを使っています。

これだと1円単位のおつりをもらわなくて済む
というのが最大のメリットです。

今朝のこと,いつもどおりカードを提示すると
店員がけげんな顔をして固まっています。

あれあれ新人さんかな?と思って手元をみたら
JCBのカードでした。

セブンの接客マニュアルには,このような客の
あしらい方はどうも書いていないようですね。

「お客さま,517円のお買い上げですが
JCBカードで決済されるということですね?」と聞けばよいものを。

そうすれば
「あ~ごめん,ごめん。カードの出し間違い。」となるのに。

こちらは男性店員だったせいか
採点が辛口になりました。あはは。

2011年2月22日火曜日

 聖地はなぜ“癒す”のか



 NHK教育テレビで「千住明さんの聖地学」をやっています。

 わが意を得たりという内容だったのは第2回
 「聖地はなぜ“癒す”のか」

 センロトニン研究の第一人者とされる
 有田秀穂さんのお説は以下のとおり。

 現代の日本人はおおくのストレスにさらされ
 精神的・心理的に疲れ、癒されたいと望んでいます。

 3万3000人もの人が自死し
 うつ病がその原因の3割にのぼっています。

 うつ病の原因は、脳内のセロトニンの減少にあり
 脳内からストレスを消すにはセロトニンを活性化させる必要あり。

 セロトニン(神経)を活性化させるには歩行が一番
 サプリや薬は必要なし。

 セロトニン(神経)を活性化させる達人は空海で
 熊野古道や大自然を歩くことがもっとも有効。

 四国遍路は弘法大師のご利益もさることながら
 歩くことによるセロトニン(神経)の活性化こそが健康の秘訣だとか。

 空海・修験道の行者らの修行、お遍路さんの健康などの諸現象を
 医学的、脳神経的に説明すると、そういうことなのでしょう。

 たしかに、山道を歩いていると、大自然に癒されて脳が活性化し
 心身がリフレッシュしたように感じられます。