思ひかけずかかる所にも来たれるかなと、宿を借らんとすれど、さらに宿貸す人なし。やうやうまどしき小家に一夜を明かして、明くればまた知らぬ道迷ひ行く。袖の渡り・尾ぶちの牧・真野の萱原などよそ目に見て、遙かなる堤を行く。戸伊摩といふ所に一宿して、平泉に至る。その間二十余里ほどとおぼゆ。
思いがけず石の巻に来て、宿を借りようとしたけれども借りられず、平泉にむけて出発したけれどまた道に迷い、袖の渡りなどの歌枕には行き損ねたらしい。またまたほんとうでしょうか。
ここも『曽良随行日記』によれば、事実と異なっていて、実際はそれなりのもてなしを受け、道迷いもなかったらしい。芭蕉がこのように旅程を困難に暗く書いているのは、念願の目的地である平泉や金色堂をより光かがやかすためであるとされています。
芭蕉は『笈の小文』で、紀行文とは何かについて、こんなことを書いています。
抑、道の日記といふものは、紀氏・長明・阿佛の尼の、文をふるひ情を盡してより、餘は皆俤似かよひて、其糟粕を改る事あたはず。まして淺智短才の筆に及べくもあらず。其日は雨降、昼より晴て、そこに松有、かしこに何と云川流れたりなどといふ事、たれゝもいふべく覚侍れども、黄奇蘇新のたぐひにあらずば云事なけれ。
小・中学校のときに、日記の書き方について、先生から指導されたとおり。朝起きて、顔洗って、歯を磨いて、ご飯を食べて、着替えて・・・ということを書いてもしかたがない。なにかしら新しいことや興味あることを書かないと、面白くないし意味がないというわけです。
されども其所ゝの風景心に残り、山館・野亭のくるしき愁も、且ははなしの糧となり、風雲の便りともおもひなして、わすれぬ所ゝ跡や先やと書集侍るぞ、猶酔者の妄語にひとしく、いねる人之譫言するたぐひに見なして、人又亡聴せよ。
とは言っても、いろいろと旅の思い出などを書き連ねるので、フィクションと思って話半分に聞いて欲しい。なるほど、分かりました。
松島から平泉まで、姉歯の松、緒絶えの橋、袖の渡り、尾ぶちの牧、真野の萱原という5つの歌枕がありましたが、全部スルー。各歌枕の地元の観光協会としてはさぞかし悲憤慷慨でしょう。
「昔より詠み置ける歌枕多く語り伝ふといへども、山崩れ、川流れて、道改まり、石は埋もれて土に隠れ、木は老いて若木に代われば、時移り、代変じて、その跡たしかならぬことのみ」(多賀城碑の段)なので、歌枕を尋ねる気力が失せたのでしょうか。
そして歌枕をスルーして遙かなる堤を行く。遙かなる堤は北上川の土手です。そして芭蕉一行は、戸伊摩(といま)といふ所に一宿しました。
戸伊摩って、どこか分かりますか。いまの登米町(とよままち)です。登米って、どこか分かりますか。いまのNHK朝ドラ『おかえりモネ』で、主人公の百音ちゃんが夏木マリの家に下宿して森林組合の職員として働いているところです。
百音ちゃんは、いま気象予報士めざして勉強に励んでいます。ひとつまえの石の巻で、日和見(観天望気)の話をしましたので、うまいぐあいに響きあっています。
モネちゃんは百音と表記されていることから、音と関係が深いのでしょう。主題歌はBUMP OF CHICKENの「なないろ」です。なないろは、もちろん虹の色でしょうが、百音ともひびきあっているのでしょう。
歌を歌った場所が歌枕だとするなら、登米は最新の歌枕じゃないでしょうか。♪闇雲にでも信じたよ きちんと前に進んでいるって・・それでもいい これはぼくの旅
ということで、道迷いしながらも、芭蕉の旅は念願の平泉に至ったのでした。パチパチ。
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