きのう、わが事務所の仲間であった落合真吾くんの墓参りに行ってきました。平成24年7月12日が命日、31歳でした。お墓を水で浄め、花を捧げ、線香をたき、冥福を祈りました。
かれは、福岡地裁における最初の裁判員裁判を先進的に引き受けるなど弁護士として有能であったことはもちろん、お客さんだけでなく事務所スタッフにも心配りができるなど、すぐれた人でした。ほんとうに惜しい人をなくしました。
当ブログもかれがはじめてくれました。すこしめんどうくさいですが、過去ログを2010年6月17日までさかのぼれば「ブログ始めました。」という照れ気味の挨拶をきけることでしょう。
花を捧げて死者を追悼する人類の行為は1万2,000年前まで遡ることができるそうです。われわれはなぜ死者を追悼するのでしょうか。
おくのほそ道の旅の大きな目的の一つは、悲劇の死をとげた義経、奥州藤原氏らを弔うこと、すなわち鎮魂にありました。ようやくその目的地である平泉に到着しました。
三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたにあり。秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。
清衡、基衡、秀衡と三代つづいた奥州藤原氏の栄耀栄華もあっという間、夢のよう。一睡は一炊。お能に『邯鄲』というのがあります。学校でも「邯鄲の夢」もしくは「邯鄲の枕」という言葉を習ったと思います。人の栄枯盛衰は所詮夢にすぎないという言葉です。
ある若者がわずかな畑を耕すだけの人生に疑問を抱き、田舎をでて都をめざして邯鄲に。そこで出会った導師に夢が叶う枕を授けられました(魔法のランプのよう)。枕をつかって眠ると、みるみる出世、名声をえ、嫁をもらい、ところがえん罪を受け、自殺をしようとしたり、波瀾万丈の人生を送り、そして死にました。ふと目覚めると、寝る前に火にかけた粟飯が炊き上がりました。かれは導師に「人生の栄枯盛衰すべてを見ました。ありがとうございました。」と礼をいい、故郷に帰りました。とさ。
さて夢のあひだは粟飯の、一炊のあひだなり 『邯鄲』
秀吉の辞世の歌も、これを踏まえているのかな。
露と落ち露と消えにし我が身かな 浪速のことも夢のまた夢
大門の跡は一里こなたにあり。奥州藤原氏の栄華はすさまじく、門から屋敷まで4キロメートルもあったというのです。
ジェームス・ディーンがでていた『ジャイアンツ』という映画だったと思いますが、都会出身のエリザベス・テーラーがテキサスの大富豪のところへ嫁入り。門から屋敷まで車でぶんぶんとばしてもなかなかた辿り着かないシーンがありました。門から屋敷までの距離は、どれだけたくさんお金をもっているかを示すバロメーターになるようです。
芭蕉のころ、秀衡が跡は田野でしたが、いまは柳之御所跡として整備されています。金鶏山はいまも残っています。写真の小山がそうだった記憶ですが、もしかすると高館のある小山だったかもしれません(平泉の旅は夢のようだったので、そこのところの記憶がはっきりしません・・)。
栄耀栄華が一睡の夢だとしても、山は最後まで残る。やはり山に登らねば!強引?いやいや人為に対する自然、不易流行の考えにもとづく見解です(笑)。
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