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2023年9月20日水曜日

月は隈なきをのみ見るものかは

 


 NHK BSで「絶景にっぽん月の夜」をやっていた。案内役は橋本マナミ。いわく。世界で類をみないほど月を愛してきた日本人。上弦の月、十六夜、立待月、眉月など、四季や月日の移ろいに合わせた月の名は数知れず。そんな月との営みは今も全国に残っている。三日月信仰、徹夜踊り、屋久島の夜・・・。夜の日本を旅して〝月の愛で方”を探る。

世界で類をみないほど月を「愛してきた」日本人。というけれども、現代日本人のうちどれほどの人が月を愛しているだろうか。

白楽天の詩に「雪月花時最憶君(雪月花の時 最も君を憶ふ)」とあり、われわれ日本人は雪月花を最も美しいとおもい、愛してきたとされる。しかし自身、雪と花の愛し方に対し月はやや比重が劣るような気がする。

芭蕉などは長い旅をして月見を楽しんでいる。鹿島紀行や更科紀行である。前者は江戸深川から茨城県の鹿島まで出かけて月見を試みている。後者は美濃から信州更科(姨捨山)まで旅をして月見を試みている。どちらも当時、月見の名所である。

対するわれわれはどうだろう?花見をするために弘前、高遠や吉野へ出かける。雪を見るために、蔵王、八甲田や八ヶ岳、北アルプスに出かける。しかし月見をするために遠出を計画することはない。生活様式の変化なのか、嗜好の変化なのか。それとも個人的な趣味の問題か。

ところで、「絶景にっぽん月の夜」では、〝月の愛で方”として兼好法師の言葉を引用していた。いわく。「月は隈なきをのみ見るものかは。」。せっかくだから『徒然草』第137段全文を引用してみよう(角川ソフィア文庫から)。

 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ。歌の詞書にも、「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ」とも、「障ることありてまからで」なども書けるは、「花を見て」といへるに劣れることかは。花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさることなれど、殊にかたくななる人ぞ、「この枝かの枝散りにけり。今は見どころなし」など言ふめる。

なるほど。すばらしい。おっしゃるとおり。このような感覚はいまなおわれわれにも脈々と受け継がれている。

書棚から先の『徒然草』をひっぱりだそうとしていたら、『源氏物語(二)』のオビに目がいった。いわく。「朧月夜に似るものぞなき」。

歌宴にて、源氏が朧月夜の君を愛するきっかけになった。もとは大江千里の和歌。

 照りもせず曇りも果てぬ春の夜の 朧月夜に似るものぞなき

これも「隈なき月より朧月でしょ」ということだから、兼好法師の言うところと同じ意味だろう。というより、大江千里、紫式部のほうが先行しているので、兼好の趣向は彼らに学んだものというべきか。

すこし時代がさがって芭蕉の『野ざらし紀行』にも次の句がある。

 関こゆる日は雨降て、山皆雲にかくれたり。

 霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き

これは間違いなく『徒然草』に学んだものだろう。「雨に対ひて月を恋ひ」、そしてまた富士を恋ふ。

さらにずっと時代が下って、次のような文章もある。

 山でご来光を拝めたときの感激はひとしおだ。とにかく幸せな気持ちになる。太古、人類は恐ろしくて長い夜をすごし、日の出を心待ちにしていただろう。日が昇ったときの幸せは生存に直結した根源的なものだったろう。われわれのDNAにはそれが刻みこまれている。
 ご来光が拝めるかどうは、お天気の気まぐれ。曇ればダメだし、まったく雲がないのも風情がない。うまいぐあいに雲がかかるのが大切なのだ。夜明け前に茜色に染まる空を東雲と呼ぶのは意義深い。・・

どこで読んだんだったっけ?

2018年5月22日火曜日

 ロータリークラブ地区大会@宗像ユリックス


 
 5月19,20日は,ロータリークラブの地区大会でした。

 地区代表である安増惇夫ガバナーを擁立している宗像ロータリークラブのお世話で,宗像ユリックスにおいて開催されました。

 地区大会は,ロータリークラブの最新情報や地区の情況を学び,他クラブのメンバーと交流をはかることを目的に開催されます。その年度のしめくくりともいえる重要な行事です。

 地区の奉仕活動の報告などがおこなわれるほか,記念講演,特別講演がおこなわれます。

 1日目におこなわれた記念講演は,京都仁和寺の門跡である立部祐道氏による「つれづれなるままに」。つれづれなるままに・・は,ご承知のとおり,兼好法師による徒然草のくだりです。

 仁和寺は宇多天皇が出家後に住まわれてできたお寺です。御室という呼び名はそこからきています。宇多天皇は菅原道真公を抜擢された方ですから,太宰府とも密接なご縁があります。宇多天皇が初代の門跡,立部氏が50世の門跡だそう。

 仁和寺の南に双が岡があり,兼好法師はその麓に住んでいたとか。そのせいもあり,徒然草には仁和寺のお坊さんに関する逸話がいくつか含まれています。われわれも中学生のころ習いました。

 仁和寺にある法師,年寄るまで石清水を拝まざりければ心浮くおぼえて徒より詣でけり云々。つまり,仁和寺のお坊さんが初めて1人で石清水八幡宮を参拝したときの逸話です。

 石清水八幡宮は,京都と大阪の境,大山崎にあります。新幹線で新大阪を出発し,まもなく京都というころ,左右両側から山がせまってくるところがあります。

 その左側の山は,羽柴秀吉と明智光秀が天下分け目のたたかいをおこなった天王山です。麓にはサントリーの工場があり,山崎ウイスキーをつくっています。

 右側の山が男山で,その山頂に石清水八幡宮の本殿があります。仁和寺のお坊さんは,初めてのことで要領をえなかったことから,ふもとにあった社殿にお参りをして帰ってしまいます。

 寺に帰ってその旨報告をすると,本殿は山のうえなのに~という話です。むすびは「先達はあらまほしきことなり」。旅行に行くならガイドさん,学ぶなら指導者,なにごとにも先輩は必要ですねというオチ。

 そのような仁和寺にまつわる話などを飄逸に話していただきました。
 さて,なぜ,仁和寺の門跡氏がお話することになったのでしょうか?

 宗像大社の東に鎮国寺があります。立部氏の前職は同寺の住職,同寺真言宗仁和寺派の末寺にあたる関係のようです。立部氏は宗像ロータリークラブの名誉会員ということもあり,本講演をされたようです。

 2日目の特別講演は,百田尚樹氏による「日本人の誇り」。百田氏は,放送作家,小説家で,本屋大賞を受賞した『海賊と呼ばれた男』の著者です。

 同著は,出光興産の創業者・出光佐三氏の話。出光佐三氏は宗像出身だそう。これまた宗像ゆかりということでの特別講演でした。

 ことほどさように,地区大会のすべての企画に,安増ガバナー,宗像ロータリーのメンバーの考えが貫かれた大会でした。たいへん感銘を受けました。

2012年1月26日木曜日

竈戸神社・上宮 by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 再会の木や愛敬の岩は宝満山の山頂のほうにもあるんやね~
 と思った人がいたら、その逆。

 山頂付近にあった再会の木や愛敬の岩を
 いわば勧請したものが麓の竈門神社にある木と岩です。

 そもそも竈門神社も、麓にあるのは下宮で
 山頂に上宮があります。

 これまで竈門神社(下宮)にはなんども参っているのに
 いまだに彼氏・彼女ができん!という人もいるでしょう。

 そういう人は一度、宝満山にのぼって
 上宮にお願いしてみてください。

 徒然草に「仁和寺にある法師」というのがありますが
 アレみたいなものです。

  仁和寺に、ある法師、年寄るまで、石清水を拝まざりければ
  心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩より詣でけり。

  極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
  さて、かたへの人にあひて

  「年ごろ思ひつること、果し侍りぬ。
  聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。

  そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど
  神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。

  すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。

 仁和寺のお坊さんが石清水八幡宮をはじめてひとり詣でにでかけた際に
 麓の極楽寺などを拝んだだけで、山上にある本体を見損ねたという残念な話。

 中学生のときに暗記したものです。
 え、「徒然草」知らない?

 大丈夫。いまNHK・eテレの「100分 de 名著」
 シリーズでやってます。ご覧ください。

 え、上宮にもしょっちゅうお願いしているけれども
 彼氏・彼女ができない?

 そのワケは
 こうです。

 じつは竈戸神社は三位一体ならぬ
 三社一体の神社なのです。

 7合目から8合目にむかう途中(芭蕉句碑のちょっと上)に
 中宮跡があります。

 そのむかし竈戸神社は
 この中宮と、上宮、下宮の3つで三社一体。

 中宮は明治時代・廃仏毀釈の嵐のなか破壊され
 いまはもう残っていません。夏草や坊さんたちが夢の跡…。

 というわけで、下宮にくわえて上宮に参っても
 彼氏・彼女ができないということがあるのかも。

 宝満山の婚活スポットとしてのパワーも
 完璧ではないんですねぇ…。残念!

                 ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳