NHK BSで「絶景にっぽん月の夜」をやっていた。案内役は橋本マナミ。いわく。世界で類をみないほど月を愛してきた日本人。上弦の月、十六夜、立待月、眉月など、四季や月日の移ろいに合わせた月の名は数知れず。そんな月との営みは今も全国に残っている。三日月信仰、徹夜踊り、屋久島の夜・・・。夜の日本を旅して〝月の愛で方”を探る。
世界で類をみないほど月を「愛してきた」日本人。というけれども、現代日本人のうちどれほどの人が月を愛しているだろうか。
白楽天の詩に「雪月花時最憶君(雪月花の時 最も君を憶ふ)」とあり、われわれ日本人は雪月花を最も美しいとおもい、愛してきたとされる。しかし自身、雪と花の愛し方に対し月はやや比重が劣るような気がする。
芭蕉などは長い旅をして月見を楽しんでいる。鹿島紀行や更科紀行である。前者は江戸深川から茨城県の鹿島まで出かけて月見を試みている。後者は美濃から信州更科(姨捨山)まで旅をして月見を試みている。どちらも当時、月見の名所である。
対するわれわれはどうだろう?花見をするために弘前、高遠や吉野へ出かける。雪を見るために、蔵王、八甲田や八ヶ岳、北アルプスに出かける。しかし月見をするために遠出を計画することはない。生活様式の変化なのか、嗜好の変化なのか。それとも個人的な趣味の問題か。
ところで、「絶景にっぽん月の夜」では、〝月の愛で方”として兼好法師の言葉を引用していた。いわく。「月は隈なきをのみ見るものかは。」。せっかくだから『徒然草』第137段全文を引用してみよう(角川ソフィア文庫から)。
花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ。歌の詞書にも、「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ」とも、「障ることありてまからで」なども書けるは、「花を見て」といへるに劣れることかは。花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさることなれど、殊にかたくななる人ぞ、「この枝かの枝散りにけり。今は見どころなし」など言ふめる。
なるほど。すばらしい。おっしゃるとおり。このような感覚はいまなおわれわれにも脈々と受け継がれている。
書棚から先の『徒然草』をひっぱりだそうとしていたら、『源氏物語(二)』のオビに目がいった。いわく。「朧月夜に似るものぞなき」。
歌宴にて、源氏が朧月夜の君を愛するきっかけになった。もとは大江千里の和歌。
照りもせず曇りも果てぬ春の夜の 朧月夜に似るものぞなき
これも「隈なき月より朧月でしょ」ということだから、兼好法師の言うところと同じ意味だろう。というより、大江千里、紫式部のほうが先行しているので、兼好の趣向は彼らに学んだものというべきか。
すこし時代がさがって芭蕉の『野ざらし紀行』にも次の句がある。
関こゆる日は雨降て、山皆雲にかくれたり。
霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き
これは間違いなく『徒然草』に学んだものだろう。「雨に対ひて月を恋ひ」、そしてまた富士を恋ふ。
さらにずっと時代が下って、次のような文章もある。
山でご来光を拝めたときの感激はひとしおだ。とにかく幸せな気持ちになる。太古、人類は恐ろしくて長い夜をすごし、日の出を心待ちにしていただろう。日が昇ったときの幸せは生存に直結した根源的なものだったろう。われわれのDNAにはそれが刻みこまれている。
ご来光が拝めるかどうは、お天気の気まぐれ。曇ればダメだし、まったく雲がないのも風情がない。うまいぐあいに雲がかかるのが大切なのだ。夜明け前に茜色に染まる空を東雲と呼ぶのは意義深い。・・
どこで読んだんだったっけ?
0 件のコメント:
コメントを投稿