土曜は四王寺山のお鉢めぐり。四王寺山にはお鉢を中心に、33の石仏がおまつりされている。
いずれも観音(菩薩)様である。庶民の旅が簡単ではなかった江戸時代。代表で西国三十三所めぐりをした人が、かの地の土をもちかえり(高校球児が甲子園の土を持ち帰るように)、四王寺山におまつりしたという。
これにより、福岡の人々も遠く関西までいかずとも、西国三十三所めぐりができるようになった。なんちゃってであるが、ないよりよい。
三十三という数字は観音様が三十三の姿に変化されて、世を救うため。四王寺の石仏も、十一面観音、千手観音、聖観音、如意輪観音、馬頭観音などの姿に彫られている。
これまで十一面観音や千手観音を頼もしく思っていた。われわれたくさんの諸衆を救うために、頭一面、手2つではとても心細い。やはり十一面、千手・千眼は必要だろうと。
これに対し、如意輪観音はやや頼りない感じがしていた。左手の平を上に向けて、その上で宝珠や法輪を回しておられる。われわれが手の平の上でコマをまわすような感じ。その法輪を自在に回すから、如意輪観音。
如意宝珠はすべての願いをかなえ、法輪はわれわれの煩悩を破壊するという。この日はなぜか、如意輪観音さまが頼りがいのある存在に思えた。心が弱っていたのだろうか。
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