2023年9月7日木曜日

慈覚大師・圓仁『入唐求法巡礼行記』

 



 NHK BSで「中国名山紀行」というシリーズ番組をやっている。先日は五台山をやっていた。

五台山は中国山西省にある霊山。ユネスコの世界遺産に登録されている。もちろん5つのピークからなる台地状の山だから五台山。最高峰は北台でなんと標高3058m。

日本には3000m以上の山は、数え方にもよるが21峰(マニアの間では、21サミッツといって、これらを全山登るチャレンジもある。)。3058mというと、南アルプスの塩見岳より1mだけ高く、日本の山であれば15位にランクインする高山だ。

五台山というと、歴史の教科書や仏教の説明資料等でなんどか見た覚えはあった。が、現地の映像は初めてみた。高原状で、日本でいえば、山陰の三瓶山や九州の九重山のような風景だった。

そのような山上に仏教寺院が立ち並ぶさまは聖地と呼ぶにふさわしい。いちどは行ってみたい。

番組が進むと、そのうちの寺の柱になにか書いてある。円仁が来たところという趣旨のことが書いてある。なんと。

円仁は慈覚大師。伝教大師・最澄の弟子で、比叡山・延暦寺3代目の座主。延暦13年(794年)生まれ。といっても、円仁って誰という人がおおかろう。じつは東北ファン、芭蕉ファンとは縁がある。

円仁は、立石寺、中尊寺、毛越寺、瑞巌寺などを創建している。立石寺はセミの声が岩にしみいる寺(1枚目の写真)。中尊寺は金色堂のあるところ(2枚目の写真)。毛越寺は奥州藤原氏とゆかりが深く、瑞巌寺は松島にある。

円仁は2度の失敗ののち、3度目に入唐を果たしている(3度目の正直。最後の遣唐船で。)。その航海や中国の様子を記録したのが『入唐求法巡礼行記』。マルコポーロの『東方見聞録』、玄奘三蔵の『大唐西域記』と並び称される旅行記。

井上靖の『天平の甍』の味わいだが、井上以上に枯れた文体。事実だけを淡々と記述している。

円仁が入唐を果たしたのは、最後の遣唐船と書いたように、唐も末期。仏教も弾圧される混乱の時代だった。

円仁は天台宗だけに当初、天台山をめざした。しかし中国政府の許可がおりず、寄寓先の新羅僧から五台山の存在を教えられる。この助言にしたがい五台山を巡礼することに。1日40Km歩き、約1270kmを58日間で踏破したようだ。すごい。

その後、五台山からは1100km歩いて長安を訪ねている。ここでも廃仏弾圧に遭遇したり、還俗させられたり、苦難の連続。そうしたなか、仏法の新知識や文物の収集に励んでいるから、これまたすごい。求法の気構えを見習いたい。

それではということで帰国しようとしたが、これも許可させない。隠れて帰国しようしたが密告されてダメに。などなど数々の苦労の末に帰国。帰国したときは54歳。もう頭がさがる。

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