2024年5月8日水曜日
怪鳥会の春遠征(4)光る君誕生の地・石山寺へ
2023年9月4日月曜日
如意輪観音
土曜は四王寺山のお鉢めぐり。四王寺山にはお鉢を中心に、33の石仏がおまつりされている。
いずれも観音(菩薩)様である。庶民の旅が簡単ではなかった江戸時代。代表で西国三十三所めぐりをした人が、かの地の土をもちかえり(高校球児が甲子園の土を持ち帰るように)、四王寺山におまつりしたという。
これにより、福岡の人々も遠く関西までいかずとも、西国三十三所めぐりができるようになった。なんちゃってであるが、ないよりよい。
三十三という数字は観音様が三十三の姿に変化されて、世を救うため。四王寺の石仏も、十一面観音、千手観音、聖観音、如意輪観音、馬頭観音などの姿に彫られている。
これまで十一面観音や千手観音を頼もしく思っていた。われわれたくさんの諸衆を救うために、頭一面、手2つではとても心細い。やはり十一面、千手・千眼は必要だろうと。
これに対し、如意輪観音はやや頼りない感じがしていた。左手の平を上に向けて、その上で宝珠や法輪を回しておられる。われわれが手の平の上でコマをまわすような感じ。その法輪を自在に回すから、如意輪観音。
如意宝珠はすべての願いをかなえ、法輪はわれわれの煩悩を破壊するという。この日はなぜか、如意輪観音さまが頼りがいのある存在に思えた。心が弱っていたのだろうか。
2023年6月27日火曜日
関西の旅(5)総持寺、勝尾寺、箕面滝
2023年2月17日金曜日
赤後寺の十一面観音
四体目は赤後寺(日吉神社)の十一面観音(重文)。やはり琵琶湖の北岸で、先の渡岸寺の十一面観音の近くである。
https://kitabiwako.jp/spot/spot_931
手間かもしれないが、アドレスをクリックして、それぞれの仏さんを拝んで頂きたい。そのうえで、井上靖の文章を読んでいただきたい。一口に十一面観音といっても、井上が描き分けたように千差万別である。
できれば自分が撮影した写真を掲載したいところ。だが、自分が訪ねたのはもう20ほども昔であるし、拝観できたとしても撮影はできないところがほとんどであるから、当該寺院や観光協会の写真をお借りするしかない。
さて、本仏について『星と祭』にはこう書かれている。
架山がそに見たものは、今まで拝んで来た十一面観音とはまるで違ったものであった。厨子の中には二つの像があった。
「右手が十一面千手観音さま、左手が大日如来さまでございます」
架山は口から、すぐにはいかなる言葉も出すことはできなかった。十一面観音は頭上の仏頭全部を失っており、左手七本、右手五本の肘から先の部分を尽く失っている。無慚な姿と言うほかない。・・
「このようなお姿ですが、お顔はなかなかご立派でございます。先年専門家の人が見えまして、冴えた彫りの美しさを褒めておられました。」・・
「賤ヶ岳の合戦の時お堂に火がかかりまして、その時土地の人が肩に背負って救い出し、近くの赤川という川に沈めて、戦火の鎮まるまで匿しておいたということが伝えられております。そういう過去を持ちでございます」
・・現在この十一面観音像がここにあるということは、これを尊信したこの土地の人々の手で、次々に守られ、次々に伝えられて、今日に到ったということであろう。・・
※引用はいずれも能美舎刊から。
2023年2月16日木曜日
福林寺の十一面観音
http://tendai-shiga.com/yaritu-19.html
http://butuzouclub.blogspot.com/2016/11/blog-post_23.html
「ご立派な観音さまですね。」・・
顔と、体躯の一部は胡粉でも塗ったように白くなっているが、あとは漆地の黒さで覆われている。顔はゆたかできゅっと緊まって、意志的であるが、いささかも威圧感はない。・・
頭に戴いている十一の仏面はいずれも小さく、そのためか、天冠台から上は本当に冠を戴いているように見える。そして瑶珞をたくさん胸もとに垂らしているところなどは、やはり咲く花の匂うような天平の貴人が一人、そこに立っている感じである。ひたすら気品高い観音像である。
「もとは、ここも大きな寺だったようです。織田氏の焼打ちに遇って、寺は焼けてしまい、この観音さまだけが助かりました。誰かが火の中から救い出したのでしょう、背中に火傷の跡があります」
※引用は能美舎刊から。
2023年2月15日水曜日
石道寺の十一面観音
井上靖が小説を書いた当時、村の人たちが仏をお守りしていて、いつでも簡単に見られるということではなかったようだ。小説中でも、気難しそうな老人が逃げ回ったあげく、しぶしぶ仏を見せるというふうである。
https://kitabiwako.jp/spot/spot_1052
「きれいな観音さまですね」
架山は言った。思わず口から出た言葉だった。美人だと思った。観音さまと言うより、美人がひとり立っている。
・・そこに立っているのは、古代エジプトの威ある美妃でもなければ、頭に戴いているのは王冠でも、宝冠でもなかった。何とも言えず素朴ないい感じの観音さまだった。唇は赤く、半眼を閉じているところは、優しい伏眼としか見えなかった。腰を僅かに捻り、左手は折り曲げて宝瓶を持ち、右手は自然に垂れて、数珠を中指にかけ、軽く人差し指を開いている。
ーこの十一面観音さまは、村の娘さんの姿をお借りになって、ここに現れていらっしゃるのではないか。素朴で、優しくて、惚れ惚れするような魅力をお持ちになっていらっしゃる。・・何でも相談にのって下さる大きくて優しい気持を持っていらっしゃる。恋愛の相談も、兄弟喧嘩の裁きも、嫁と姑の争いの訴えも、村内のもめごとなら何でも引き受けて下さりそうなものを、その顔にも、姿態にも示していらっしゃる。
・・〝石道の観音さん”の制作者が誰であるか知るべくもないが、往古、一人の仏師はこの地方に発見した一人の美女をモデルにして、その素朴さ、美しさ、優しさを神格化して、あの観音像を刻んだのに違いない。
観音さまには遠くおよばないにしても、大きくて優しい気持ちを持ち、何でも相談にのれる弁護士でありたいものだ。
※引用はすべて能美舎版から。
2022年2月2日水曜日
奇跡の出会いー玉鬘の旅
玉鬘は母の夕顔を求めているのだけれども、夕顔はもうこの世にいない。なのでもう出会いようがない。でも夕顔には右近というおつきの女がいた。右近は夕顔の死後、源氏に仕えている。
長谷寺の手前に椿市という宿場がある。玉鬘一行はここの宿坊で右近と運命的な出会いを果たす。いや、そこは長谷観音さまのおはからいなのだから、奇跡的な出会いというべきか。
右近と一行は長谷寺のなかでお祈りしながら話をする。姫のおつきのなかに三条という女がいた。三条はつぎのように祈願していた(林望訳)。
「大悲大慈の観音様、もう他にはなにもお願い申しません。ただ我が姫君に、大宰の大弐の北の方か、さもなくば、当国大和の守の北の方になっていただけますように・・・」
九州から脱出してきた三条の願いからすれば、大宰府の次官か、奈良県知事の妻になれればもう最高!というのである。
しかし源氏に仕えている右近はこれを聞いて〈受領の妻だなど、なんという縁起でもないことを申すものじゃ〉と思って、こうたしなめる。
「その願いはまた、たいそう田舎びたことじゃな。姫君の父君は昔中将でいらした自分にだって、帝の覚え世の声望がどれほど立派なことでありましたろう。・・・」
三条の反論。
「なんとまあ、よけいなことを。その大臣うんぬんも、ただいまはまずお置きなされ。あの大宰の大弐さまの北の方さまが、清水の観世音寺にお参りなされました折のすばらしいご威勢、あれはもう、帝の御幸にだって勝るとも劣らぬものでございましたに。・・・」
姫の結婚相手を決める基準は家格のつりあい。中央閣僚か地方官(受領)か、京か田舎か。愛はいずこ。
ところで清水の観世音寺?観世音寺って清水だっけ?念のため、観世音寺にいってたしかめると、たしかに「清水山」という扁額がかかげられていた。
京都清水寺が音羽の滝の霊水を起源とすることはよく知られている。観世音寺にも霊水が湧いていたのだろう。どちらも観音さまだし、観音さまと清水とは深い関係があるのかもしれない。
とまれ、右近の手引きにより、姫は源氏の君と運命的・奇跡的な出会いを果たすことができた。そして源氏が詠んだ歌(玉鬘とは、多くの玉を糸にとおした装飾品)。
恋ひわたる身はそれなれど玉かづら
いかなる筋を尋ね来つらむ
2021年12月14日火曜日
槙尾山・施福寺参拝記
講演の日は東岸和田のビジネスホテルに泊まった。駅周辺は様変わりしている。この辺りはむかし、父が勤めていた会社があったところだ。新日鉄の耐火レンガをつくる会社だった。















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