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2025年4月16日水曜日

出版不況と読書案内(2)あの本読みました?ー『カフネ』

 

 「あの本読みました?」 去年4月からBSテレ東で毎週木曜にやっている。鈴木保奈美がMC。「東京ラブストーリー」(1991)のあの女優が?というカンジだったが、言葉のはしばしから読書好きということがうかがえる。

 ゲストもすごい。今村翔吾、辻村深月、いとうせいこう、平野啓一郎、吉本ばなな、伊与原新、青山美智子、朝井リョウ、背筋、原田ひ香など、本屋の背表紙でしか知らなかった作家たちの本音がずらり。

 自信をつけたのか、最初からそのつもりだったのか、本年1月には番組でとりあげた本のなかから「明日読みたくなった本」=あの本、読みました?大賞を決定。

 第1回大賞は阿部暁子『カフネ』(講談社)。同作はその後4月に本屋大賞も受賞している。しかしながら番組をみてただちに「明日読みたくなった本」となったわけではない。

 オビにあるとおり「『おいしい』と泣くことから再生は始まる」物語というので、料理をしない身としてはいささか興味がうすかった。そうしたおりの4月12日、娘から「読んだら貸して」とラインが舞いこんだ。あわてて本屋にかけこみ購入して読了した。

 村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の第2回テーマは「大切な存在の喪失」、主人公トオルの大切な存在である妻がある日失踪、その理由が分からない、この謎が大きな言動力となって、物語を動かしていく(NHKテキストから)と、きのう書いた。

 『カフネ』もおなじ原動力である(妻ではない)。ネタバレは避けたいので、これ以上は書けない。オビにあるとおり『おいしい』と泣くことから始まる再生の物語である。

 それにしても「カフネ」とは耳慣れない。それもそのはず、ポルトガル語。「愛する人の髪にそっと指をとおす仕草」のことらしい。日本語の美しさをいう人はおおい。しかしカステラや金平糖のほかにも、ポルトガル語に学ぶところはありそうだ。

2025年4月15日火曜日

出版不況と読書案内(1)100分de名著ー『ねじまき鳥クロニクル』

 

 いまの人たちはほんとうに本を読まなくなった。西鉄電車に乗っていても、95%の人がスマホをいじっている。そしてゲームをしている。

 結果、天神の街角からもつぎつぎと書店が姿を消していっている。ま、Amazonや電子書籍に喰われていることも大きいが。

 新聞もおなじ。うちの若い先生がたも、少なくともこの辺ではいちばんの高学歴・知識人のはずだが、読んでいない。一般は推して知るべし。

 われわれの時代は大学に教養部があったが、いまはない。きょういまから使えない、実用性のない知識には価値がないという。教養主義の終焉である。

 小豆島へ事務所旅行に行ったとき、ホテルの窓から瀬戸内海をへだてて屋島が見えた。夕日に映える台形状の姿が美しく印象的。

 当然のこととして話題は屋島の戦いに・・・行かなかった。みなさん屋島の戦いを知らないのである。日本史でも習わないし「平家物語」も読んでいない。あれまぁ。

 こうした状況に危機感をおぼえ、出版文化のテコ入れを試みる人がおおいのか、読書案内をする番組がいくつか存在する。

 まずはNHK、100de名著。これは2011年3月からやっている。もはや長寿番組である。

 いまは村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』をやっている。きのうはその第2回「大切な存在の喪失」だった。

 主人公トオル(法律事務所の元事務員)の妻であるクミコがある日失踪する。トオルは初めて、自分は本当に妻の何を知っていたのだろうと思い至る。失踪の理由が分からない。この謎が大きな言動力となって、物語を動かしていく(NHKテキストから)。

 ねじまき鳥とはカササギのことである。黒に白のストライプが目をひく。うちの事務所の近くの電柱にも営巣している。巣作りが下手なのか雑なのか、集めた木の枝が地面に落下して散乱している。そのために巣があることに気づくぐらいだ。

 佐賀あたりではカチガラスともいう。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、加藤清正が縁起がよいとして連れ帰ってきたからカチガラス。鳥まで戦利品として持ち帰ったのだろうか。そうであるとか、ちがうとか。

 ギィィィィ・・・。まさしくネジを巻くような音をたてて鳴く。ねじまき鳥の声がこの世界を動かしている、あるいは、その音であるという。そういわれれば、そうかなと信じてしまいそうになる。

 一節の朗読を聞いて、伊集院光が「これはデイヴィッド・リンチの世界に似ていますね」などとコメントする。すると解説者の沼野充義が「村上春樹はデイヴィッド・リンチに傾倒していますね。」などと答える。

 かくて伊集院光があいかわらず、外見に似合わず鋭いコメントをしたことが分かる。頭のなかで、ツイン・ピークスの映像がフラッシュする・・・。

 というわけで、むかし単行本で通読したにもかかわらず、ついつい書店で文庫本を買い、再読してしまう。番組制作者の思惑どおりである。わが頭のなかのネジもいつしか巻かれてしまった。

2023年6月9日金曜日

笈の小文(1)伊良湖岬

 
(松本へ向かう飛行機の窓から。中央は伊勢湾、その向こうは太平洋。右側の陸は手前から松坂、伊勢、鳥羽。左側の陸は手前からセントレア空港、知多半島、三河湾の向こうに渥美半島。渥美半島の先端が伊良湖岬)

 芭蕉の紀行文に『笈の小文(おいのこぶみ)』がある。『おくのほそ道』の旅にでかける2年前、江戸から故郷の伊賀へ帰る里帰りの旅である。

里帰りだけでなく、関西各地の歌枕をめぐり、最後は須磨までの紀行文である(実際の旅は、その後、関西の旅、更科紀行の旅を経て江戸に帰るまで続く)。

芭蕉の死後15年も経ってから、弟子の乙州(おとくに)が出版したもの。そのため、分からないことも多い。

未定稿。芭蕉の発句や俳文で構成されていることは疑えないけれども、乙州の手がどの程度入っているのか、編集がなされているのか謎である。

この紀行をいま読み返している。そのいきさつはこう。

『笈の小文』は、冒頭の記述のあと、なぜか、名古屋の鳴海からはじまる。箱根も富士も遠江(浜名湖)も描かれない。

鳴海から、芭蕉は三河の国保美という處に二十五里戻る。保美は渥美半島の先端にちかい。写真でいうと、左上のほう、左から矢のように突き出ているのが渥美半島。その鏃(矢尻)の中央部分に保美はある。

100キロであるから25時間かかる。ナビで検索してみたところ、やはり99.6キロ。一日50キロ歩いても、まる2日かかる行程である。

旅の途中でなぜ100キロも後戻りしたかというと、愛弟子の杜国が罪人としてそこに流されていたから。杜国の罪は米の空売りである。

かれは裕福な米穀商だったが、在庫がないのに売るのは行きすぎ。ある種の詐欺である(現在では、流通が発達しているので、すべてが犯罪というわけではない。先物取引などは、いまだ実在しない商品の売買をあらかじめ行っている)。

「笈の小文」を読めば分かるが、ふたり旅のあいだ、芭蕉はとてもはしゃいでいて、単なる師弟関係以上のものがあったといわれる。恋人が罪をえて失意の底にあるときけば、彼を慰めるのに100キロの道のりもなんのその。

かれらは、伊良湖岬を訪れている。保美からわずか一里ばかり。1時間ほどの行程である。

天武朝の皇族麻績王(おみのおおきみ)は伊良湖に流されている。古くから流刑地だったようだ。その歌。

 うつせみの命を惜しみ浪にぬれ伊良湖の島の玉藻刈り食す

伊良湖岬は、三河の国の地つづきなのだけれども、万葉集では伊勢の名所に選ばれている。なぜか。写真を見ればわかるとおり、船便なら近いからである。

紀伊半島を度外視すれば、本州の南端に位置している。そのため、秋には南から鷹が渡ってくる。鷹は冬の季語だが、鷹渡るは秋の季語である。

西行の歌がある。伊勢で詠んだという。

 巣鷹わたる伊良湖が崎を疑ひてなほ木に帰る山帰りかな

巣鷹は飼育された鷹のこと。臆病なので、木に戻ってしまう。芭蕉らは、麻績王や西行の歌は当然知っていた。

罪人の杜国はもちろん、芭蕉も心細い気持ちだったろう。そこで詠んだ句。

 鷹一つ見付てうれしいらご崎

もちろん、鷹とは杜国のことである。

冬の鷹といえば、吉村昭に同名の小説がある。Amazonの解説によればこう。わずかな手掛かりをもとに、苦心惨憺、殆んど独力で訳出した「解体新書」だが、訳者前野良沢の名は記されなかった。出版に尽力した実務肌の相棒杉田玄白が世間の名声を博するのとは対照的に、彼は終始地道な訳業に専心、孤高の晩年を貫いて巷に窮死する・・。

100年後に苦労したこちらの冬の鷹も世渡りが下手だったのだろう。吉村昭の小説は、新潮文庫の100冊に選ばれていたので、読んだのだったと思う。残念ながら、さいきんは選に漏れているようだ。はやらないのだろうか。

                                    (つづく)

2023年5月26日金曜日

『コメンテーター』奥田英朗著

 
 奥田英朗著『コメンテーター』(文芸春秋刊)を読んだ。

「コメンテーター」、「ラジオ体操第2」、「うっかり億万長者」、「ピアノ・レッスン」、「パレード」の短編小説集。

『イン・ザ・プール』、『空中ブランコ』、『町長選挙』につづく、人気シリーズ4作目。久しぶりの登場。17年ぶり。つまり、復活!

前3作を読んだことがある人であれば、本作の内容も容易に推測できる。同工異曲とはこのことだ(失礼)。

シテはトンデモ精神科医の伊良部。ツレ(連合いのツレではなく、能でシテの助演役のこと)は美人看護師で夜はロック歌手のマユミさん。ワキは各短編ごとに入れ替わる「患者さん」。

(以下、ネタバレ)

「コメンテーター」の患者は、低視聴率に悩むワイドショーのプロデューサー。「ラジオ体操第2」では、営業車の軽自動車に乗っていて後ろから煽られる会社員。「うっかり億万長者」では、短期間で5億円をかせいだデイトレーダー。「ピアノ・レッスン」では美人のピアニスト。「パレード」では、都内一人ぐらしの大学生。

コロナ禍のなか、まじめなワキの皆さんは少々精神を病んでいる。しかたなくシテの診察室を訪れる。

前場では、いまの社会により適合しているワキの目から見た伊良部の子どもぶりが描かれる。伊良部はある種の発達障害で、子どものまま。フィギュアを集め、マユミさんが患者に注射するのに興奮し、キテレツなコメントを連発する。コロナ禍なんて関係ない。

以上は表紙の絵にも描かれている(写真)。赤く描かれた舞台は、ワイドショーのスタジオ。左上に描かれている子ども(逆さまで、天使っぽい)が伊良部である。マスクをすっとばしている。

後場では、伊良部は華麗に舞う。というか、あいかわらず自由気ままに振る舞う。変化しているのは、最初は伊良部の言動を奇異に思い、辟易していたワキの面々の価値観のほう。

伊良部(とマユミさん)とつきあううち、いつか価値観の転倒がおとずれる。世間の決まりに過剰にしたがっていた自分が間違っていたと思えるようになる。その結果、病は癒えている。

コロナ禍で少々心を病んだかなと思うみなさん、伊良部(とマユミさん)に癒されてくだされ。自分は関係ない!というあなた、そこが問題かも。

2023年2月15日水曜日

石道寺の十一面観音


 『星と祭』で、子を亡くした架山らが次に訪れたのは、石道寺の十一面観音(重文)。平安末期の作。琵琶湖の北岸には十一面観音が集中していて、石道寺も渡岸寺からほど近い。

井上靖が小説を書いた当時、村の人たちが仏をお守りしていて、いつでも簡単に見られるということではなかったようだ。小説中でも、気難しそうな老人が逃げ回ったあげく、しぶしぶ仏を見せるというふうである。

https://kitabiwako.jp/spot/spot_1052

「きれいな観音さまですね」
 架山は言った。思わず口から出た言葉だった。美人だと思った。観音さまと言うより、美人がひとり立っている。

 ・・そこに立っているのは、古代エジプトの威ある美妃でもなければ、頭に戴いているのは王冠でも、宝冠でもなかった。何とも言えず素朴ないい感じの観音さまだった。唇は赤く、半眼を閉じているところは、優しい伏眼としか見えなかった。腰を僅かに捻り、左手は折り曲げて宝瓶を持ち、右手は自然に垂れて、数珠を中指にかけ、軽く人差し指を開いている。

ーこの十一面観音さまは、村の娘さんの姿をお借りになって、ここに現れていらっしゃるのではないか。素朴で、優しくて、惚れ惚れするような魅力をお持ちになっていらっしゃる。・・何でも相談にのって下さる大きくて優しい気持を持っていらっしゃる。恋愛の相談も、兄弟喧嘩の裁きも、嫁と姑の争いの訴えも、村内のもめごとなら何でも引き受けて下さりそうなものを、その顔にも、姿態にも示していらっしゃる。

・・〝石道の観音さん”の制作者が誰であるか知るべくもないが、往古、一人の仏師はこの地方に発見した一人の美女をモデルにして、その素朴さ、美しさ、優しさを神格化して、あの観音像を刻んだのに違いない。

観音さまには遠くおよばないにしても、大きくて優しい気持ちを持ち、何でも相談にのれる弁護士でありたいものだ。

※引用はすべて能美舎版から。

2023年2月14日火曜日

渡岸寺の十一面観音

 
 

 井上靖著『星と祭』は、琵琶湖で娘を亡くした架山が、湖岸の十一面観音を巡礼し、癒やされていく話である。

娘といっしょに亡くなった青年の父親である大三浦に導かれるようにして、それは始まる。

まず訪ねたのは渡岸寺の十一面観音(国宝)である。

https://shigamania2.shiga-saku.net/e307214.html

「渡岸寺の観音さまは平安時代の作でございます。ものの本にそう記してございます。」

・・その内陣の正面に大きな黒塗りの須弥壇が据えられ、その上に三体の仏像が置かれてある。中央正面が十一面観音・・

架山は初め黒檀か何かで作られた観音さまではないかと思った。肌は黒々とした光沢を持っているように見えた。そしてまた、仏像というより古代エジプトの女帝でも取り扱った近代彫刻ででもあるように見えた。・・

「宝冠ですな、これは。ーみごとな宝冠ですな」
思わず、そんな言葉が、架山の口から飛び出した。丈高い十一個の仏面を頭に戴いているところは、まさに宝冠でも戴いているように見える。・・

大王冠を戴いてすっくりと立った長身の風姿もいいし、顔の表情もまたいい。観音像であるから気品のあるのは当然であるが、どこかに颯爽としたものがあって、凛として辺りを払っている感じである。

・・いずれにせよ、観音というものがそういうものである以上、観音信仰というものは成立する筈であった。片方はこの世の苦しみや悩みから必死になって抜け出して生きようとしている人間であり、片方はその衆生の苦しみや悩みを救うことを己れに課し、それによって悟りを開こうとしている菩薩である。そうした信仰によって、この像もまた今日に伝えられて来たものであろう。

※引用は能美舎刊から。昔読んだ角川文庫は書棚をさがすも見つからず。ネットでさがすも廃刊のよう。出版不況のなか、再読することは図書館に行かねばなるまいと思った。

しかしなんと同社から復刊されていた。発行者はずばり『星と祭』復刊プロジェクト、能美舎の住所は滋賀県長浜市木之本町大音1017『丘峰喫茶店』内。

湖岸の十一面観音は、いずれも信長の兵火をのがれ、村人が抱きかかえるようにして守りつたえてきたものである。井上靖の『星と祭』もまた、おなじようにして守りつたえられていることに感慨を覚えた。

2023年2月8日水曜日

塚も動け!

 



 きのうはウランバートルよりは敦煌に行きたいと書いた。それには頭のなかにあった井上靖の小説『敦煌』(新潮文庫)が影響している。

われわれより上の世代はシルクロードへの憧れをもっている。敦煌はシルクロードの出発点である。

かっての敦煌の繁栄は、砂に埋まってしまっていた。しかし20世紀初頭になって、莫高窟で敦煌文献が発見された。

井上靖の小説はこれに着想をえて、なぜ敦煌文献が莫高窟に隠されたのか、その謎を解くストーリーである。

何を食べようかと定食屋に入る、すると隣のおじさんがおいしそうにサンマを食べている、これを見て頭のなかがサンマに占拠される、かくて自分もサンマを注文してしまう、そういうことがよくある。

頭のなかが『敦煌』のイメージで占拠されていたのは、先週書いた『天平の甍』の残像が影響している。どちらも井上靖の小説であり、往古の中国大陸ロマンであるから。

じつはいま『星と祭』を読み返している。これもまた井上靖の小説である。娘を琵琶湖で亡くした主人公の架山がその死を悼むため、琵琶湖周辺に祀られている十一面観音を参拝してまわるというストーリーである。

先週、ブレイクの詩から「一と全の同時把握」のことを書いた。仏教にも同じような考えがあったはずだ。井上靖の小説のどれかに、その言及があったはずだと思った。

最初にあたりをつけたのが『星と祭』。主人公が十一面観音を参拝してまわるストーリーであり、仏教色満載であるから。

書いたとおり、その言及は『天平の甍』のなかにあった。先週のブログを書くだけであれば、それでおしまいである。

しかしすでに頭のなかが『星と祭』のイメージで占拠されてしまった。そこで、いまいちど読んでみようと思い立った次第である。

いぜん小説を読んだのは30年くらい前だろうか。ある種感動したのでそのあと、自身でも琵琶湖周辺の十一面観音を見て回ったことがあった。

その後、竹生島へ行き、その帰りに島から長濱まで船に乗った(主人公の娘が亡くなったのは竹生島の南とされている。)。また西国三十三所めぐりの一貫として琵琶湖畔の長命寺へも行った。そういった経験を踏まえ、こんかいの再読は以前は気づかなかったことにいくつか気づくことができた。

なかでも「あっ」と思ったのはつぎにのくだり。主人公・架山の娘はある若者といっしょに貸しボートに乗っていて転覆したものと推定された。その若者の父親が大三浦である。

 大三浦は、彼自身が言ったように、現世の欲望というものは、全部払い落としているのに違いなかった。金にも、仕事にも、なんの野心もなければ、執着もないのである。ただひたすら死んだ息子に執着しているのである。
 困った奴だ、と架山は思う。しかし、また大三浦の方が本当かと思うこともある。人間の悲しみというものは、もともと消えたり、薄らいだりするものではないかも知れない。水のように蒸発したりするものではなく、石に刻まれた跡のように、それは永遠に残るものかも知れない。塚も動け!大三浦の悲しみの中には、そんな烈しいものがある。

ここで「塚も動け!」というのは、芭蕉の句の一部である。以前読んだ際には、まったく気づかなかった。おくのほそ道金沢の章。

 一笑と云ものは、此道にすける名のほのぼの聞えて、世に知人も侍しに、去年の冬、早世したりとて、其兄追善を催すに、

 塚も動け我泣声は秋の風

もちろん、竹生島へ行ったことがなくても、長浜まで船に乗ったことがなくても、長命寺その他の十一面観音に参拝したことがなくても、金沢に行ったことがなくても、おくのほそ道を読んだことがなくても、作品の鑑賞はできる。でも・・。

2023年2月3日金曜日

一片の氷に世界を見る(5)

 


 『博士の愛した数式』(小川洋子著・新潮文庫)。第一回本屋大賞なので、読まれたことがあるだろう。

家政婦が派遣されていった先は、数学博士の家。博士は一日中ほぼ数学のことを考えていて、世界の成り立ちは数の言葉によって表現できると信じている。

問題は交通事故の後遺症により、博士の記憶が80分しかもたないこと。前日の記憶がないことから毎日、新人家政婦さんとして靴のサイズや誕生日を訊かれる。どうしてもぎくしゃくしてしまう。

ぎくしゃくしてしまう原因は、博士がコミュ下手なことにもある。ほぼ一日中、数学のことを考えていて、じゃまされるのを嫌う。会話が苦手な局面になると数学の話題に逃げ込んでしまう。

そこへ子どもを連れて行ったところ、頭の形がそっくりということでルートと名付けられ、なぜか温かい交流がはじまる。数学ぎらいの読者にも数学好きかもと誤解させる好著。

映画にもなった。深津絵里が家政婦、寺尾聡が数学博士(先生)。原作にほぼ忠実に実写化されていたが、ところどころ違うところも。

いちばんの違いは、エンドロールのまえに、ブレイクの「無垢の予兆」があらわれ、ルートがこれを朗読するところだろうか。

  一粒の砂にも世界を
  一輪の野の花にも天国を見,
  掌のうちに無限を
  一時のうちに永遠をつかめ。

たしかに、世界の成り立ちは数の言葉によって表現できるのだから、一片の数式で世界を表現することができる。

ということで今週は、一片の氷に世界を見、ブレイクの詩に世界を見、かすかな塵に三千大千世界を見、五七五の十七文字に世界を見、数の言葉に世界を見た。

2023年1月24日火曜日

『孤高の人』

 


 新田次郎の小説『孤高の人』(上下巻、新潮文庫)を読んでいる。以前は中学時代か高校時代に読んだと思う。漫画にもなっているので、若い人たちはそちらのほうを読んだことがあるかもしれない。

今般、怪鳥会では春の合宿として神戸の六甲山全山縦走を計画中である。自身は先日、淡路島に行った際、明石海峡ごしに須磨・一の谷あたりを眺めたので、『源氏物語』や『平家物語』との関連ばかりが思い浮かんでいた。

そうしたら、メンバーのひとりが「『孤高の人』に出てきましたね。」と指摘した。なるほど、そのとおりだ。あまりにも昔に読んだため、すっかりその関連を失念していた。

読み始めてみると、なるほどこういう小説だったのかと思う。以前読んだときはあまりにも子どもだったので、ふたつのポケットに煮干しの魚と甘納豆を入れて行動食にする点に感心し、そのようなことしか覚えていなかった。

読み直しをしてみて、大正末から昭和初の時代、関東大震災前後の不安な世相が背景にあったことを知った。

主人公の加藤文太郎は実在の人物。恐らく三菱造船と思われるが造船会社に勤めていて、労働運動や社会主義運動の渦中にある。

山陰の寒村出身で、大学を出ていないことから、技師にはなれない。そうした制約を越えて、山の魅力にとりつかれている。

普通は2日かかる六甲山全山縦走を1日でなしとげ、しかも宝塚から会社のある和田まで歩いて帰る。和田は平清盛が日宋貿易の拠点として開発した大輪田の泊の場所だ。

初の北アルプスは、表銀座から槍ヶ岳、そこから大キレット通って穂高連峰、さらに西穂まで縦走。あまりにもさらりとやってのける。ほんとうだろうか。実話がベースになっているので、ほんとうなのだろう。

当時、日本人は誰もヒマラヤの高峰を踏んでいない。造船についても登山についても、欧州の知識と技術を輸入吸収している時代。そんななか、ひとりヒマラヤをめざす。

次に目指したのは雪の八ヶ岳。夏沢鉱泉から夏沢峠、硫黄岳、横岳、赤岳の往復。今年の年末年始に歩いたところと重なる。小説では強風に吹かれ苦しんださまが生々しく描かれている。

中・高校生時代に読んだときは、これら高峰はすべて未踏だった。今回は、これらのコースはみな踏んだことのあるコースばかりだ。とてもリアルかつ身近に感じられる。

六甲山は、須磨寺に行ったときに稜線の一部を歩いたことがある。街に近く、道もよく踏まれていて四王寺山のようだった。春合宿が楽しみだ。

2022年7月11日月曜日

E.M.フォスター短篇集


  とある事情で手元に本がなかったので、空港の本屋を冷やかした。いちおう紀伊国屋書店。例によってカレントなラインナップだったが、一冊だけ例外を主張していた。『E.M.フォスター短篇集』(井上義夫編訳・ちくま文庫)である。

ウィキによると、フォスターは1879~1970年のイギリスの小説家。主な作品は『ハワーズ・エンド』、『インドへの道』、短編『The Road From Colonus』など。異なる価値観をもつ者同士が接触することで引き起こされる出来事について描いた作品が多い。本の帯にもだいたいそのようなことが書いてあった。

『インドへの道』(1984年)はデビット・リーンの監督映画で観たことがある。なにをかくそう彼の大ファンである。好きな映画ランキングをおこなえば、『ドクトル・ジバゴ』、『アラビアのロレンス』が上位を独占すること間違いない。

そういわれてみれば、デビット・リーンのこれら作品も「異なる価値観をもつ者同士が接触することで引き起こされる出来事について描いた作品」だ。彼が『インドへの道』を映画化したのは肯ける。しかし当時はあまり感心しなかった。40年の時を経て、いまなら違う鑑賞ができるかもしれない。

いま短篇集の冒頭2作品を読み終えたところ。『コロヌスからの道』、『パニックの話』。やはりどちらも「異なる価値観をもつ者同士が接触することで引き起こされる出来事について描いた作品」。

『コロヌスからの道』はイギリス人父娘がギリシア旅行へ行った際の出来事と後日譚を描いたもの。コロヌスと聞いてピンと来る人はすごい。ソフォクレス作『コロヌスのオィディプス』でいう、あのコロヌスだ。

『おくのほそ道』を読んでいると、『平家物語』、『源氏物語』や王朝和歌の知識が当然の前提となっている。欧米文学の場合、ギリシア・ローマの古典がそれにあたる。『コロヌスからの道』も、『コロヌスのオィディプス』が当然の下敷きになっている。

主人公のルーカス氏はオィディプスであるし、娘のエセルはアンティゴネである。運命に翻弄されたオィディプスは予言に従って復習の神エウメニデスの聖林に導かれ、そこを自らの墓所として望んだ。そしてこれを阻もうとする息子たちの画策にもかかわらず、オィディプスはコロヌスの地中深く飲み込まれていく(以上、ほぼウィキより)。

フォスターは、読者がそのような予想をすることを当然の前提としつつ、これを上手に裏切り、読者をアッと言わせる仕掛けになっている。うまいなぁ。

ジョイスの神話的手法とおなじだ。小さな偶然・日常的事件を大きな神話的世界に再編成していく。

いまネットフリックスで「Manifesto」を観ている。ネットフリックスのオリジナル作品はなべてそうだが、未知との遭遇・そのコンフリクトを描き、謎を追求・種明かしをしていくプロットが多い。その先駆者はフォスターといってもいいかもしれない。

2022年2月8日火曜日

第14挿話「太陽神の牛」


 旅の反芻を終え、ジョイス『ユリシーズ』(丸谷才一ら訳・集英社刊)を反芻読書している。

ユリシーズは、オデュッセウスのラテン語名。かれを主役とするオリジナルの古典が『オデュッセイア』。『イリアース』とともに、古代ギリシアの詩人ホメーロスの作とされる。

『イリアース』はトロイア戦争を、『オデュッセイア』は戦後、オデュッセウスが故郷に帰還するまでの苦難を描いたもの。

『ユリシーズ』は『オデュッセイア』の神話的枠組みを借りている。しかし、オデュッセウスが古代の英雄であったのに対し、主役のレオポルド・ブルームは冴えないユダヤ人で、すけべなおっさんである。そして、かれがダブリンを彷徨う一日(1904年6月16日)だけを描いている。

全18挿話から成る。いちおうストーリーらしきものはあるものの、各挿話のオリジナリティー、実験的手法はすさまじく、18個の短編アンソロジーといっても過言ではない。

ジョイス自身、この小説を解読するのに世界の研究者が寄り集まって何世紀もかかるだろうと予言したとか。すごい自信である。悔しいけれど、たしかに一読や二読では到底意味が分からない。「読書百遍意自ずから通ず」。百遍読めばなんとかなるかもという代物である。

もう一つの最高峰『失われた時を求めて』の日本語訳が4つ,5つあるのに対し、こちらの通訳はいまのところ丸谷・永川・髙松の共訳が1つあるのみ。

そのためもあり、この共訳がまた議論の的になっている。誤訳が多いなどなど。もともとが難解なので、理解できないわれわれとしては、(われわれの頭が悪いのではなく)訳が悪いのではないか、とついつい責任転嫁してしまう。実際、丸谷訳の『誤訳の研究』と称する本も出ている。

なかでも、難解さで知られるのが第14挿話「太陽神の牛」。息子を失ったブルームが息子と同視してしまうスティーブンと産院でめぐりあう一節。こんかいの反芻読書はここからはじめてみた。反芻だけに牛でしょ。

なぜ難解かというと、この挿話が英語文体史をたどる作風模倣で書かかれているから。古代の呪い、ラテン語、古英語韻文、マロリー、欽定訳聖書、バニヤン、デフォー、スターン、ウォルポール、ギボン、ディケンズ、カーライルときて、最後はスラングだらけ。ジョイスの天才が冴え渡る。

これを丸谷は、単に和訳するだけでなく、古代祈祷文、漢文、古事記、万葉集、竹取物語、宇津保物語、源氏物語、平家物語、太平記、義経記、仮名草子、浄瑠璃、滝沢馬琴、森鴎外、夏目漱石、菊池寛、永井荷風、宮沢賢治、俗語に移し替えている。

これにも毀誉褒貶ある。いわく、すごい力業だ。いわく、やりすぎだ。もともと難解で知られるところを源氏物語の文体で書かれたのでは、しろうとにはハードルが高すぎる。ついつい、やりすぎだ派に与したくなる。

これまで2,3度読んだが、この挿話にはまったく歯がたたなかった。誰か分かりやすく解説してくれる人はいないものか。何人もの研究者が読解を試みているが、通訳はない・・・。

そう思っていたところ、小川美彦氏の手になるズバリ『ユリシーズ第14挿話新訳』(五月書房)なる本を入手することができた(写真右)。この挿話だけを訳出したもの。みなが持っている悩みに答えようとしたものだろう。丸谷訳に比べれば、数段平易である。

それでも難解で3度読んで何とか通読し、ぼやっと意味をとることができた。ぱちぱち。その上で、丸谷訳を読むとなんと読めるではないか。ぼんやりとではあるが。やったー。

読み比べて分かったこと。やはり丸谷訳はすぐれている。小川訳は書いてあることは分かるけれど、やはり丸谷訳のほうが文学的なのである(小川さん、ごめんなさい)。

2022年2月4日金曜日

暗闇でしか見えぬものがある。暗闇でしか聞こえぬ歌がある。

 

 きょうは電車のなか、私立受験とおぼしき高校生がたくさんいた。立春の日にふさわしい光景といえよう。立て!高校生たちよ。

さて更科つながりで、『更科日記』から『更科紀行』。

芭蕉の紀行文のなかに、『更科紀行』がある。元禄元年8月、笈の小文の旅の帰りに、更科・姨捨山へ月見に立ち寄ったときの紀行文。同行は名古屋の越人。

 さらしなの里、おばすて山の月見ん事、しきりにすすむる秋風の心に吹きさはぎて、ともに風雲の情をくるはすもの又ひとり、越人と云。

おなじく鹿島詣も月見の旅だったけれども月見えず。しかし『更科紀行』のときにはよく見えた。

 俤や姥ひとりなく月の友

 いざよひもまださらしなの郡哉(こおりかな)

 さらしなや三よさの月見雲もなし 越人

平安朝に美文を集めたアンソロジー『和漢朗詠集』。日本人が雪月花を愛するようになったのは、そこに白居易の次の詩が掲載されたことに由来するらしい。

 琴詩酒の友は皆我を抛つ 雪月花の時最も君を憶ふ

雪や花を求めて信州の山を訪ねることはあっても、月を求めて訪ねることはない。月の価値はうすれつつあると思っていた。

朝ドラを見ている。「カムカムエヴリバディ」。上白石萌音の時代ははんとうに暗かった。深津絵里の時代になって転調、急に明るくなった。

なんじゃこれ、とずっと思っていたのが時代劇シーン。単なる幕間狂言かと思いきや、どうやらドラマのテーマを伝えているようだ。モモケンの決めぜりふ。

 「暗闇でしか見えぬものがある。暗闇でしか聞こえぬ歌がある。」

わが事務所も4月に稲村晴夫弁護士が退所、しばらくはむずかしい時代を迎えるだろう。しかし、それもまた好機。困難な時しか見えぬものがあるだろう、困難な時しか聞こえぬ歌もあるだろう。

2022年2月3日木曜日

源氏ラブな少女の胸キュン日記


 長谷寺つながりで『更級日記』を読む。

 岸和田から南海で難波、地下鉄で梅田、そこで阪急に乗り換え2時間弱はかかったと思う。高校時代、授業をさぼって宝塚まで数人ででかけるファンたちがいた。『更科日記』を読んでいると、あの連中を思い出す。

日記の作者は菅原孝標の女。道真公の孫の孫が孝標で、その娘。やはり血は争えない。その10歳ころから50歳ころまでの日記。

ずーっとオトメで、『源氏物語』がステキと噂をきけば、読む前からときめきあこがれる。八方手を尽くして手に入れ、読書にうつつを抜かす。親が勧めるような寺社詣には話半分。

ところが38歳にもなると、そうもいっていられなくなり、寺社詣にばく進。物語から物詣へ転身。石山寺、鞍馬寺とともに長谷寺へもはせ参じた。

するとその夜のこと(訳は角川ソフィア文庫から)。

 お清めなどをして御堂に上ります。三日間お籠もりをして、暁においとまするつもりで、ちょっとだけ眠った夜に、御堂の方から、「ほら、稲荷様から下さった験の杉ですよ」と言いながら、物を投げつけるようにするので、はっと目が覚めたら、それは夢だったのです。

不思議な夢。これ系の夢はみたことがないな。稲荷様から験をいただくのはありがたいが、杉は大きスギ。それを投げつけられるとなると、大けがしそう。

作者は宇治では『源氏物語』浮舟のエピソードを思い浮かべているが、長谷寺では玉鬘のことを考えない。自身を浮舟と引き比べていたのだろうか。

ところでなぜ『更科』日記?ソバが好きだから?

『源氏』に熱中した作者の境涯も晩年、夫が死んでしまって悲嘆にくれている。そんなおり、ひょっこり6番目の甥が訪ねてきた。その際詠んだ歌。

 月もでで闇にくれたる姨捨に
        なにとて今宵たづね来つらむ

姨捨山は長野県更科にある月見の名所。『更科』日記のタイトルは後世、この歌からとられている。ちょっと意地悪な感じ。いまなら『源氏ラブな少女の胸キュン日記』というところだろう。  

2022年2月2日水曜日

奇跡の出会いー玉鬘の旅

 

 玉鬘は母の夕顔を求めているのだけれども、夕顔はもうこの世にいない。なのでもう出会いようがない。でも夕顔には右近というおつきの女がいた。右近は夕顔の死後、源氏に仕えている。

長谷寺の手前に椿市という宿場がある。玉鬘一行はここの宿坊で右近と運命的な出会いを果たす。いや、そこは長谷観音さまのおはからいなのだから、奇跡的な出会いというべきか。

右近と一行は長谷寺のなかでお祈りしながら話をする。姫のおつきのなかに三条という女がいた。三条はつぎのように祈願していた(林望訳)。

 「大悲大慈の観音様、もう他にはなにもお願い申しません。ただ我が姫君に、大宰の大弐の北の方か、さもなくば、当国大和の守の北の方になっていただけますように・・・」

九州から脱出してきた三条の願いからすれば、大宰府の次官か、奈良県知事の妻になれればもう最高!というのである。

しかし源氏に仕えている右近はこれを聞いて〈受領の妻だなど、なんという縁起でもないことを申すものじゃ〉と思って、こうたしなめる。

 「その願いはまた、たいそう田舎びたことじゃな。姫君の父君は昔中将でいらした自分にだって、帝の覚え世の声望がどれほど立派なことでありましたろう。・・・」

三条の反論。

 「なんとまあ、よけいなことを。その大臣うんぬんも、ただいまはまずお置きなされ。あの大宰の大弐さまの北の方さまが、清水の観世音寺にお参りなされました折のすばらしいご威勢、あれはもう、帝の御幸にだって勝るとも劣らぬものでございましたに。・・・」

姫の結婚相手を決める基準は家格のつりあい。中央閣僚か地方官(受領)か、京か田舎か。愛はいずこ。

ところで清水の観世音寺?観世音寺って清水だっけ?念のため、観世音寺にいってたしかめると、たしかに「清水山」という扁額がかかげられていた。

京都清水寺が音羽の滝の霊水を起源とすることはよく知られている。観世音寺にも霊水が湧いていたのだろう。どちらも観音さまだし、観音さまと清水とは深い関係があるのかもしれない。

とまれ、右近の手引きにより、姫は源氏の君と運命的・奇跡的な出会いを果たすことができた。そして源氏が詠んだ歌(玉鬘とは、多くの玉を糸にとおした装飾品)。

 恋ひわたる身はそれなれど玉かづら
              いかなる筋を尋ね来つらむ 

2022年2月1日火曜日

長谷寺へー玉鬘の旅

 

 玉鬘(たまかずら)姫一行は京に着いたものの、そこから先は行くあてがない。将来の展望をもてないので、お付きのもののなかには九州に帰ってしまうものもでるしまつ。

しかたがないので神仏に祈ることに。まずは石清水八幡宮。これが先に紹介した松浦の宮や筥崎の宮とご神体がおなじところ。

おくのほそ道のなかにも、こういうくだりがある。

 室の八島に詣す。同行者曽良がいはく、「この神は木の花咲耶姫の神と申して、富士一体なり。・・・」

室の八島と富士山の浅間神社の神はコノハナサクヤヒメでおなじだというのである。じぶんたちの感覚では八百万の神さまはみな一体化してしまっているように思えるが、昔のひとは識別していたのだろう。

石清水八幡宮のつぎは長谷寺に参詣することになった。京都駅から検索すると、石清水八幡宮まで18キロメートル、長谷寺まで73キロメートルある。時速4キロメートルで歩いたとして、それぞれ片道4時間半、あるいは18時間余かかる。18時間となると一日では無理で、2日に分けても一日9時間歩かなければならない。

さすがに姫は駕籠かなと思いきや、そうでもないらしい(やはり林望先生の訳)。

 この市に着いてからは、もはや歩くなどという様子ではなく、あれこれ手当てをしてはみるけれど、もう足じゅうが血豆になって一歩も動くことができぬ・・・。

当時のお姫さまは日ごろどのように暮らしていたのだろう。深窓の令嬢の言葉どおり、屋敷のなかからめったに出歩かないのであれば、この旅はそうとうきつかっただろう。

いまの人はもっと深刻かもしれない。車社会であるから一日40キロメートル弱、9時間を2日間歩ける人はかなり少ないだろう。そうなると、本当は高貴な生まれであるにもかかわらず、源氏の君と会えないまま人生を終えざるをえない。残念(笑)。


2022年1月31日月曜日

九州脱出ー玉鬘の旅


 
(大宰府政庁跡の紅梅)

 玉鬘(たまかずら)姫をまちかまえていたつぎの苦難は大宰府少弐の死。姫を養護する乳母一家は大黒柱をなくしてしまったわけである。残された乳母たちは姫をお連れして京に帰りたかったが、なかなかこれをはたせず。

さらなる苦難はがさつな男たちだ。姫は大人になり、美人だと評判に。近在の男どもが押し寄せてくるが、姫とは釣り合いがとれない。やむをえず姫には差し障りがあってなどと誤魔かす。

近所の男衆はみなあきらめたけれども、肥後の監(げん)という男はあきらめが悪い。そこはやはり「もっこす」なわけである。ついに屋敷に乗り込んできて、強く結婚を迫る。歌なぞ詠んでみせるが、むさ苦しく田舎ぶりが甚だしい。

ことここに至っては一時の猶予も許されず、姫と乳母一家は九州を脱出。ほうほうのていで都にたどりつく。・・・

紫式部は九州には来ていないだろうから、書いてあることはすべて文字の上か耳学問だろう。読んでいてあれ?と思うことがある。

少弐といえども大宰府の役人であるから大宰府政庁の近くに住んでいたと思われる。しかし乳母らは肥前に住んでいたとある。

それでは基山あたりだろうか。大野城と基肄城は兄弟城であるから可能性はある。肥後の監が懸想したというのだから、熊本に近かったであろうし。

通勤はどうしたのだろう。いまなら自家用車かJRを利用して基山に住んでいる人が太宰府市役所に通勤しているかもしれない。しかし平安時代である。馬だろうか。

と思いながら読み進めると、九州脱出の段にこのような記述がある(引用はいつもの林望先生のもの)。

 〈これでもう二度と、姉さまとは会えないかもしれない。・・・ここで何年も暮らしたとは言っても、どうしても見捨てがたいというほどの所でもないけれど・・・〉と妹は思う。けれども、あの松浦の宮の前の渚と、姉さんに別れるのだけは、何度も何度も、振り返り振り返りするほどに名残が惜しまれるのであった。・・・

などとある。松浦の宮とはいまの鏡神社だし、渚は虹ノ松原だろう。すくなくとも脱出の際、船出したのは唐津のようだ。さらに京都に戻ってからの話であるが、こうある。

 この近くに、八幡の宮という神社がありますが、それは筑紫のほうでも、姫君がいつも参詣しては祈っておられた松浦の宮、そして筥崎の宮と、ご神体を同じくする社です。あの肥前を発って来るときも、松浦や筥崎の宮に、多くの願立てをなさっておいでであったし。・・・

すると肥前というのは唐津のことか。唐津からだと、大宰府まで通勤するには絶望的に遠いのだけれど。

さらに混乱させるのは筥崎の宮。基山から参拝するにも唐津から参拝するにもかなり距離がある。というわけで、姫らが住んでいた肥前がどこかは謎である。

平安時代の京都に住む紫式部が九州の地理に精通していないのはやむを得ない。現代のわれわれだって東北地方の地理については似たようなものだ。しかし読みながら、あれ?と思うのである。

  

2022年1月28日金曜日

都鄙感覚と人権ー玉鬘の旅

 

 『関ヶ原』でだいぶ脱線したけれども、「玉鬘(たまかずら)」の反芻読書に戻ろう。

玉鬘姫は夕顔の娘。夕顔が急死したため、多難な人生を歩むことになる。その多難な人生の大きな部分は九州へ流浪するということ。われわれ九州人からすると、あまり面白くはない。

紫式部は天才だけれども、平安貴族の一人であるから、身分差別はきびしいし、都鄙感覚(都会を無条件によいところとし、田舎を見下す態度)もきびしい。つまり、貴族であっても受領階級は見下しているし、田舎者はバカにしている。いや、実際はそうではなかったかもしれないが、読者層の気持ちを忖度してそのように書いている。

玉鬘は乳母が養育していた。その夫は大宰府の少弐という地方官に着任することになった。玉鬘も連れて行くしかない。そのときの乳母の思案もこんなふうである(先に紹介した林望訳)。

 こうなったからには、やむを得まい。せめてこの姫君だけは行方知れずの母君のお形見として、どこまでもお世話をすることにしよう。・・・筑紫なんて、とんでもない田舎へお連れするについては、都からはるか彼方に下っておいでになる、その悲しいお身の上について・・。

筑紫なんて、とんでもない田舎・・・。とほほ。

ま、ここはそういうふうに描いた方が玉鬘の苦難をより強調することができる、という創作上の仕掛けと考えておこう。

しかしこのような都鄙感覚はいまに至るまで連綿とつづいている。『源氏物語』が古典として読み継がれているせいなのか、それ以前の問題なのか。

怪獣ラドンは阿蘇山の火口から出現した。けっして浅間山からではない。別に富士山から出現したってよいではないか。微妙なところで都鄙感覚が働いている。

連ドラなどでもおなじ。「こんど○○部長、博多に左遷だってよ。」なんて平気で言っている。われわれからすれば、ちょっとそのセリフどうなのってかんじ。紫式部からすれば、東京(板東)だって、とんでもない田舎ではないか。

都鄙感覚が連ドラのセリフどまりであれば問題ない。けれどもきのうハンセン病の偏見・差別問題で触れたように、人権の分野まで及んでくると見過ごせない。

水俣病があれほど長期間放置されたのは東京から遠かったからと言われている。魚が大量に浮いたり、猫が狂ったり、奇病が発生していることは分かっていたが、長らく放置された。

他方、1958年東京で製紙工場排水による江戸川漁業被害が発生した際の国の対応ははやかった。公共用水域の水質の保全に関する法律と工場排水等の規制に関する法律、いわゆる水質二法が制定された。

水俣病の裁判の際には、水質二法で水俣病の発生・拡大を規制できたはずだと主張したが、原因物質がわからなかったのでできなかったなどと国は反論した。隅田川でおなじ被害が起きていたら、そのような反論をすること自体が憚られただろう。

あれれ。優雅な王朝文学の読書をするつもりがまたまた脱線してしまった。優雅な話は来週にもちこし。

2022年1月26日水曜日

武隈の松-玉鬘の旅


 きのうBS-NHKで映画『関ヶ原』をやっていた。岡田准一が石田三成で主役。徳川家康は役所広司。ま、岡田准一と役所広司の喧嘩だ。

役所広司はNHK大河『徳川家康』の織田信長役で強烈な印象を受けた。キレッキレな信長で頭の上から声をだしているような感じ。その役所が徳川家康か~。タヌキぶりがすごい。

そういえば、岡田くんも、NHK大河『軍師官兵衛』で黒田官兵衛をやっていたなぁ。役者はあっちの役をやったりこっちの役をやったりできて、いいなぁ。ま、弁護士も似たようなものか。

岡田くんはそういえば先ごろ、映画『燃えよ剣』で土方歳三をやっていたなぁ。共通点は、どれも司馬遼太郎作品が原作ということだな。

さて、長谷寺に行ったので反芻旅行のため、『源氏物語』の「玉鬘」の段を反芻読書しておこうと思った。もちろん、原文ではなく、『謹訳 源氏物語 四』林望訳・翔文社刊で。

「玉鬘」の前に、「薄雲」「朝顔」「少女」の章段がある。「薄雲」前半は、大井邸に移り住んだ明石の君が幼い娘ひとりを京の二条邸に引き渡すかどうか煩悶し、ついに娘を送りだすくだり。

『おくのほそ道』は漢詩や古歌、そして『源氏物語』などを俤にして書かれているけれども、『源氏物語』もまた多くの古歌を下敷きとして書かれていることがよく分かる。先人の業績をふまえたり、先人の創造した美しいイメージを借りて自己の作品をより美しくするというのは創作に不可欠な作業なのだとあらためて感じ入る。

ついに娘を送り出すくだりを引用する。

 ちょうど片言をしゃべるようになった娘の、その声はたいそうかわいらしい。
 車に乗ると、姫は母君の袖を掴んで、
 「ねえ、乗って、いっしょに」
 と、その袖を引く。母君は、この声を聞くと、もはや涙もせきあえず、

 末遠き二葉の松に引き別れ
 いつか木高きかげを見るべき

 (まだ二葉ほどの幼い松のような姫、これから先長い人生が待っている姫に、今ここで松の根を引くように、引き別れてしまったら、いったいいつ、この姫松が大きな木になったところを見ることができるのでしょう)

 御方は、この歌を最後まではとうてい詠じ切れず、途中から激しくせき上げて泣いた。源氏はそれを見て、〈それはそうであろう、ほんとうにかわいそうに〉と思って、

 生ひそめし根も深ければ
 武隈の松に小松の千代をならべむ

 (こうして親子に生まれてきた、その前世からの因縁も根深いことだから、あの名高い武隈の親松と、この小松とがいずれは千代の長きにわたって一緒に暮らす時もまいりましょう)

 どうか、気を長くもって過ごすのだよ」
 せめては、そう言って慰める。
 昔、藤原元善は、陸奥の守となって下向した時に、武隈の松が枯れてしまっているのを見て、改めて小松を植えたことがあった。やがて任果てて上京の途次、再びこの松を見て、「植ゑし時契りやしけむ武隈の松をふたたびあひ見つるかな」という歌を詠んだと伝えられる。
 源氏は、こんな故事を引きごとにして、いずれは親子いっしょに暮らせるようにしたらいい、と、明石の御方の心を引き立てたのである。

引用が長くなってすみませぬ。さらなる引用で恐縮だけれども、『おくのほそ道』の武隈の段はこう。

 岩沼に宿る。
 武隈の松にこそ目さむる心地はすれ。根は土際より二木に分かれて、昔の姿失はずと知らる。まづ能因法師思ひ出づ。往昔、陸奥守にて下りし人、この木を伐りて名取川の柱杭にせられたることなどあればにや、「松はこのたび跡もなし」とは詠みたり。代々、あるは伐り、あるいは植ゑ継ぎなどせしと聞くに、今はた千歳の形整ほひて、めでたき松の気色になんはべりし。

 武隈の松見せ申せ遅桜

と、挙白といふ者の餞別したりければ、

 桜より松は二木を三月越し

こうしてつなげてみると、歌枕というものがよく分かる。ただの松、しかも先人が見たものと同じ松ではないけれども、それでもかまわない。あるいは伐り、あるいは植え継ぎしてもかまわない。それに依って先輩歌人や歌そのものを召喚し、自らの歌心を呼び覚まし鼓舞してもらえる場所やモノが歌枕なのだ。

2022年1月24日月曜日

シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々


  『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』(J・マーサー著、市川恵里訳・河出書房新社刊)。カナダ人のもと新聞記者(犯罪記事担当)による同書店滞在記である。

シェイクスピア・アンド・カンパニーはこのブログでも2度ほど紹介した。1つはジョイスの『ユリシーズ』のことで。各地で発禁処分となるなか、書店主シルビア・ビーチは勇気をもってこれを出版した。

2つはヘミングウェイの『移動祝祭日』で。ヘミングウェイのパリでの修業時代、やはりいろいろと支援の手を差し伸べた。

書店は、パリはセーヌ川左岸にある。1920年代から1930年代にかけて、ガートルード・スタイン、ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、ジッド、ヴァレリーら名だたる作家や芸術家が出入りした。

『移動祝祭日』のブログ記事のなかで、すこし戸惑ったことがあった。上記書店はオデオン通りにあったとされる。しかしヘミングウェイが歩き回ったパリ左岸を案内した際、ストリートビュー上ではセーヌ河岸からすぐ、ノートルダム大聖堂の南にあったから。

とはいっても近くなので、そのときは、ジュンク堂が建物の建替により仮店舗への移動を余儀なくされているように、なんらかの事情で本書店も移動を余儀なくされたのだろうと考えた。

しかし本書を読むと、じつはそうではないことが分かった。春日に「千太」という店がある。天神にもむかし「千太」という店があった(スポーツセンターのちかくにあり、センターシネマなどとおなじ由来の店だ。)。ま、この両「千太」の関係に似ているとだけ言っておこう。

でもタイトルにあるとおり、新書店においても、シルビア・ビーチ時代をほうふつとさせる「優しき日々」が続いている。欧米人だけでなく、アルゼンチン人や中国人にたいしても、わけへだてなく優しい。やたらと美人が登場するのも魅力だ。いちどお世話になってみたい。それにはまずフランス語会話の習得が必要だろうけど。

2021年12月27日月曜日

週末反芻読書

 



 いよいよ歳末。うちの事務所も仕事はきょうまで。あすは大掃除、今年の総括会議、望年会の予定です。ご用のかたは今日中に。

この間旅がおおかったので、週末は反芻読書。それぞれ、どの旅の、どの名所と関係あるか分かりますか。

まず『古事記』。日本文学全集1。池澤夏樹訳。解題は三浦祐之。三浦しをんの父。これは古市古墳群の1つ目、白鳥古墳の関係。ヤマトタケルノミコトが白鳥となって羽を曳いて飛んでいったというところです。

創世記のカインとアベルは兄が弟を殺しますが、ヤマトタケルは兄を殺します。これを恐れた景行天皇は彼にたいし熊襲や出雲、さらには東国の平定をもとめます。そこからかれの冒険がはじまります。古事記のなかで、もっともビビッドな部分。

つぎに『西国三十三所めぐり』。これは壺阪寺、長谷寺、槇尾山・施福寺、葛井寺にいったため。表紙は長谷寺の本尊十一面観音。10メートルを超える巨像。特別拝観により、特別に下から仰ぎ見つつ、足をお拭いすることができました。

『平家物語』は旅と直接の関係はありません。道明寺訪問をきっかけに『菅原伝授手習鑑』を読み、その流れで『義経千本桜』を読んだため。その原作の確認です。

『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』もそう。おなじ本で近松門左衛門の『曽根崎心中』、『女殺油地獄』を読んだため。門左衛門の弟子にあたる近松半二が『妹背山婦女庭訓』を書き上げるまでの物語。また大阪まで文楽をみにいきたくなりました。

活字読書でつかれたら、岩合光昭さんの『ねこの京都』。表紙は河井寛次郎記念館のあのネコです。訪問したときは書斎で丸まってましたが、この写真はスリムでまだ若いころ。

かくて神話の時代から、古代、平安、鎌倉、江戸、明治、現代までをタイムトラベルしたのだニャ。