2022年1月28日金曜日

都鄙感覚と人権ー玉鬘の旅

 

 『関ヶ原』でだいぶ脱線したけれども、「玉鬘(たまかずら)」の反芻読書に戻ろう。

玉鬘姫は夕顔の娘。夕顔が急死したため、多難な人生を歩むことになる。その多難な人生の大きな部分は九州へ流浪するということ。われわれ九州人からすると、あまり面白くはない。

紫式部は天才だけれども、平安貴族の一人であるから、身分差別はきびしいし、都鄙感覚(都会を無条件によいところとし、田舎を見下す態度)もきびしい。つまり、貴族であっても受領階級は見下しているし、田舎者はバカにしている。いや、実際はそうではなかったかもしれないが、読者層の気持ちを忖度してそのように書いている。

玉鬘は乳母が養育していた。その夫は大宰府の少弐という地方官に着任することになった。玉鬘も連れて行くしかない。そのときの乳母の思案もこんなふうである(先に紹介した林望訳)。

 こうなったからには、やむを得まい。せめてこの姫君だけは行方知れずの母君のお形見として、どこまでもお世話をすることにしよう。・・・筑紫なんて、とんでもない田舎へお連れするについては、都からはるか彼方に下っておいでになる、その悲しいお身の上について・・。

筑紫なんて、とんでもない田舎・・・。とほほ。

ま、ここはそういうふうに描いた方が玉鬘の苦難をより強調することができる、という創作上の仕掛けと考えておこう。

しかしこのような都鄙感覚はいまに至るまで連綿とつづいている。『源氏物語』が古典として読み継がれているせいなのか、それ以前の問題なのか。

怪獣ラドンは阿蘇山の火口から出現した。けっして浅間山からではない。別に富士山から出現したってよいではないか。微妙なところで都鄙感覚が働いている。

連ドラなどでもおなじ。「こんど○○部長、博多に左遷だってよ。」なんて平気で言っている。われわれからすれば、ちょっとそのセリフどうなのってかんじ。紫式部からすれば、東京(板東)だって、とんでもない田舎ではないか。

都鄙感覚が連ドラのセリフどまりであれば問題ない。けれどもきのうハンセン病の偏見・差別問題で触れたように、人権の分野まで及んでくると見過ごせない。

水俣病があれほど長期間放置されたのは東京から遠かったからと言われている。魚が大量に浮いたり、猫が狂ったり、奇病が発生していることは分かっていたが、長らく放置された。

他方、1958年東京で製紙工場排水による江戸川漁業被害が発生した際の国の対応ははやかった。公共用水域の水質の保全に関する法律と工場排水等の規制に関する法律、いわゆる水質二法が制定された。

水俣病の裁判の際には、水質二法で水俣病の発生・拡大を規制できたはずだと主張したが、原因物質がわからなかったのでできなかったなどと国は反論した。隅田川でおなじ被害が起きていたら、そのような反論をすること自体が憚られただろう。

あれれ。優雅な王朝文学の読書をするつもりがまたまた脱線してしまった。優雅な話は来週にもちこし。

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