谷汲寺のつぎに目指したのは近江の32番札所、観音正寺。
大垣で樽見鉄道を降り、JR東海道本線に乗り換える。米原行き普通。岐阜県と滋賀県を結ぶ路線で、そのような感じの乗客たちだ。車窓に濃尾平野の景色が広がる。
荒尾のつぎは垂井。竹中半兵衛の里とある。豊臣秀吉の軍師。秀吉が三顧の礼をもって迎えたという。
そして関ヶ原。若いころ、古戦場周りをしたことがある。桶狭間、備中高松城跡や山﨑・天王山などとともに関ヶ原も思い出深い。東西両陣営の武将の陣取りまで分かるというのが驚きだ。
いまなら芭蕉の旅を追想するために、途中下車したいところだ。「野ざらし紀行」に不破と前書きして、つぎの句がある。
秋風や藪も畠も不破の関
残念ながらきょうは通過。そして岐阜と滋賀の県境をなす山体をトンネルでくぐりぬける。近江長岡。伊吹山の登山口だ。北側に伊吹が霞んでいる。
醒ヶ井を経て、米原。米原では湖北から北陸へむかう電車が停まっている。そちらにも後ろ髪ひかれながら、播州赤穂行き新快速に乗り換える。
トミーの故郷は雪におおわれている。雪かきは進んでいるようで、数日後に予定されている帰省はだいじょうぶだろう。直虎ちゃんは元気だろうか。
能登川で降りる。10分ほど待って、近江鉄道・湖国バスの八日市駅方面行きに乗る。なんと西武バスの外観。近江鉄道は西武の資本下にあるようだ。
10分ほど乗って観音寺口で降りる。寺は繖山(きぬがさやま)の山上にある。谷汲寺とちがい参道は除雪されておらず、雪の山道を登る。ローカットの靴だったので、雪が入り込み往生した。
しかし林が切れたところからは、雪化粧をした湖南の平野や冠雪をした伊吹山をのぞむことができた。美しい景色に深く癒やされた。
本堂にお参りする。堂内拝観の案内をしてくれる。なかに入るまえに、観音様とご縁を結ぶミサンガを腕に結んでくれる。
残念ながら、本堂は平成5年に焼失、その後再建されたそうだ。本尊の千手観音座像は、インドから白檀を苦労されて輸入して製作されたもの。
お身拭いをさせていただく。千手にたくさんの持物をお持ちであるが、芸事が達者になるとか、腕力が強くなるとか、それぞれに意味があるそうだ。
本寺は人魚の願いにより聖徳太子が創建したという。かっては人魚のミイラがあったらしい。これも焼けてしまい、写真をもって説明を受けた。
本堂の背後、300メートルくらい入ると観音寺城跡がある。日本五大山城の一つ。壺阪寺は日本三大山城の一つ、高取城の麓にあった。西国三十三所は山城となりうる要害にあったということだろう。
観音寺城は国盗り物語や信長の野望にでてくる。近江佐々木六角氏の城である。上洛しようとする信長を六角氏が敵対し、じゃましようとするのである。
また南北朝の争いの戦場にもなっており、太平記にもでてくる。古くからの要害である。
地図をみれば分かるとおり、観音寺城跡がある繖山を北にたどると、信長の安土城跡のある安土山に地形的につながっている。近江を支配するに便、守るに要害の地であったということだろう。
参道にも人生を学べる札が並んでいた。ありがたい。
人間は逆境にきたえられて
自信と確信が生れる
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