年末年始は雪山にこもって修行と反省と感謝をする予定だった。しかし大雪が予想されていた。仕事納めの朝の天気予報でもそうだった。実際、トミーの実家のある近江では70センチも積もったらしい。
やむなく雪山は中止。山小屋に電話をかけてすべてキャンセルした。名古屋に前泊する予定だったので、その予約だけを残し、名古屋から大阪方面へ「冬の旅」をすることにした。
主には西国三十三所めぐりである。岐阜には満願となる三十三番札所がある。そこを手はじめに、いくつかの札所をめぐることを考えた。
これには2つの経緯がある。1つは、四王寺山の三十三石仏めぐりとの関連。コロナ禍のなか遠出が憚られる折に、よくめぐるようになった。
起源は江戸時代。西国三十三所の札所の土を集めて、四王寺の山上に整備したらしい。甲子園の土を記念に持ち帰るようなものだろう。
江戸時代の庶民は旅行など手軽にできなかったろうから、身近な巡礼路として歓迎されたのではなかろうか。そのご利益がコロナ禍のわれわれにまでおよぶことになろうとは。
ご用納めの日には事務所会議も開かれ、例の近況報告もなされた。担当だったので、そのように報告した。札所の土をもちかえるよう提案がなされたが、「もちかえってよいのは写真だけ」と回答。
経緯の2つはこうだ。本ブログでも報告したとおり昨年10月、岐阜県にある二百名山の能郷白山に登った。アプローチは大垣から樽見鉄道を利用。その途中、谷汲口駅で停車した。あとで調べたら、三十三番札所が谷汲寺といい、その入口という意味だった。
浅からぬご縁を感じた。いわゆるシンクロニシティだ。むろん科学的には単なる偶然の一致である。
しかし、考え方は2つに分かれる。1つは偶然の一致だから、意味はないと考える途。もう1つはなにかの導きであり、とても意味があると考える途。もちろん後者の途を選択している。そのほうが幸せになれるから。
宗教を信じている人と信じていない人とでは、前者のほうが幸せ度が高いそうだ。それはそうだろう。科学的に証明されなくても、来世があると信じたほうが安らかに生き、安らかに死ねるだろう。自身、来世があるとまでは信じていないけれども。
ということで28日は名古屋で宿泊し、翌朝、谷汲寺をめざした。東海道線で北上し、大垣駅で樽見鉄道に乗り換えだ。ところが乗換まで1時間の待ち時間があった。
やむをえず、昨年10月につづき、大垣市内めぐり。大垣城を経由して「おくのほそ道むすびの地」へ。そこで芭蕉と木因がでむかえてくれる。
芭蕉はそこから舟に乗って南(伊勢)にむかう旅だった。それを示すように、川べりには住吉燈台と鵜飼舟が。
こちらは水門川沿いを北へ戻る。川が東に向きを変えるところに八幡神社があり、句碑が建っている。
折々に伊吹を見ては冬籠り
建物がたてこんでいて、さすがに神社からは伊吹が見えない。どこか見えるところはないかなと歩いていると、駅前を流れる川ぞいに冠雪した伊吹が見えた。美しい。
マンホールのデザインもむすびの地だ。住吉燈台と舟。それにサツキがあしらわれている。花の季節にまた来たいな。
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