ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年1月30日月曜日

一片の氷に世界を見る(1)

 


 高校時代の同級生がSNSに、氷の写真を投稿した。大雪予報だったにもかかわらず、大阪市内では雪が降らなかった。けれども、氷ははったということだった。

この写真の美しさはどうだろう。氷だけにフォーカスして、背景に広がる大阪市内はボカシている。いつも写真にセンスを感じる。

なにかものを言いたくなったので、「一片の氷に世界を見る(Wブレイクふう)」とだけコメントした。これだけでは意味が分からないかもしれないけれども、くどい説明は嫌味かなと思ったのだった。

すると高校時代の恩師が、解説のコメントをつけてくださった。

To see a World in  a Grain of Sand
And a Heaven in a Wild Flower
(一粒の砂に世界を見、野の花に天国を見る)
ウィリアム・ブレイク( イギリスの詩人)
補足説明をばさせていただきました。

たしかに、先のコメントだけでは意を尽くしていない。いつも、ご配慮ありがとうございます。

先生のアシストもあり、その後のやりとりも盛り上がった。インターネットの普及により、人間の嫌な面が増幅されるようにもなった。しかしそれまでにはなかった楽しい交流が果たされることもある。利用する側の心しだい。

2022年1月7日金曜日

冬の旅(1)ー大垣

 




 年末年始は雪山にこもって修行と反省と感謝をする予定だった。しかし大雪が予想されていた。仕事納めの朝の天気予報でもそうだった。実際、トミーの実家のある近江では70センチも積もったらしい。

やむなく雪山は中止。山小屋に電話をかけてすべてキャンセルした。名古屋に前泊する予定だったので、その予約だけを残し、名古屋から大阪方面へ「冬の旅」をすることにした。

主には西国三十三所めぐりである。岐阜には満願となる三十三番札所がある。そこを手はじめに、いくつかの札所をめぐることを考えた。

これには2つの経緯がある。1つは、四王寺山の三十三石仏めぐりとの関連。コロナ禍のなか遠出が憚られる折に、よくめぐるようになった。

起源は江戸時代。西国三十三所の札所の土を集めて、四王寺の山上に整備したらしい。甲子園の土を記念に持ち帰るようなものだろう。

江戸時代の庶民は旅行など手軽にできなかったろうから、身近な巡礼路として歓迎されたのではなかろうか。そのご利益がコロナ禍のわれわれにまでおよぶことになろうとは。

ご用納めの日には事務所会議も開かれ、例の近況報告もなされた。担当だったので、そのように報告した。札所の土をもちかえるよう提案がなされたが、「もちかえってよいのは写真だけ」と回答。

経緯の2つはこうだ。本ブログでも報告したとおり昨年10月、岐阜県にある二百名山の能郷白山に登った。アプローチは大垣から樽見鉄道を利用。その途中、谷汲口駅で停車した。あとで調べたら、三十三番札所が谷汲寺といい、その入口という意味だった。

浅からぬご縁を感じた。いわゆるシンクロニシティだ。むろん科学的には単なる偶然の一致である。

しかし、考え方は2つに分かれる。1つは偶然の一致だから、意味はないと考える途。もう1つはなにかの導きであり、とても意味があると考える途。もちろん後者の途を選択している。そのほうが幸せになれるから。

宗教を信じている人と信じていない人とでは、前者のほうが幸せ度が高いそうだ。それはそうだろう。科学的に証明されなくても、来世があると信じたほうが安らかに生き、安らかに死ねるだろう。自身、来世があるとまでは信じていないけれども。

ということで28日は名古屋で宿泊し、翌朝、谷汲寺をめざした。東海道線で北上し、大垣駅で樽見鉄道に乗り換えだ。ところが乗換まで1時間の待ち時間があった。

やむをえず、昨年10月につづき、大垣市内めぐり。大垣城を経由して「おくのほそ道むすびの地」へ。そこで芭蕉と木因がでむかえてくれる。

芭蕉はそこから舟に乗って南(伊勢)にむかう旅だった。それを示すように、川べりには住吉燈台と鵜飼舟が。

こちらは水門川沿いを北へ戻る。川が東に向きを変えるところに八幡神社があり、句碑が建っている。

 折々に伊吹を見ては冬籠り

建物がたてこんでいて、さすがに神社からは伊吹が見えない。どこか見えるところはないかなと歩いていると、駅前を流れる川ぞいに冠雪した伊吹が見えた。美しい。

マンホールのデザインもむすびの地だ。住吉燈台と舟。それにサツキがあしらわれている。花の季節にまた来たいな。

2019年2月14日木曜日

エビのしっぽの鉢盛


 エビのしっぽ,ご存知でしょうか?
 写真に写っているエビフライのしっぽ様のものがそうです。
   このように鉢盛状になっているのは珍しい。

 雪山で見ることができます。風の強い稜線上などにおおいです。

 さて問題です。写真のばあい,どちらが風上(北西方向)でしょうか?

 感覚的にはむかって左側が風上と思われるのではないでしょうか。でも違います。右側が風上です。

 なぜならそうなるのか。それにはエビのしっぽのできあがりかたが関係しています。

 エビのしっぽは風(空気)の中にふくまれている雪や水分が岩などに付着し,それが積み重なることによって成長していきます。

 コンデンスミルクで食べるとおいしいらしいです。いちどいかが。
 

2013年2月12日火曜日

ユリカモメ





雪がふりだしたので
足をはやめたところ

裁判所のお堀に
ユリカモメ。

冬は頭が白く
目の後ろに黒い斑点が。


『伊勢物語』の東下りの段
隅田川にいた都鳥はユリカモメのことらしい。

 なほゆきゆきて、武蔵の国と下つ総の国との中に
 いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ…。

 さるをりしも、白き鳥の嘴と脚と赤き,しぎの大きさなる
 水の上に遊びつつ魚を食う。

 京には見えぬ鳥なれば
 みな人見知らず。

 渡しもりに問ひければ
 「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて

   名にし負はば いざこと問はむ 都鳥
               わが思ふ人は ありやなしやと

 とよめりければ
 舟こぞりて泣きにけり。

この条件,つまり
①隅田川にいる

②京には見えぬ
③体が白

④嘴と脚が赤
⑤シギの大きさ

⑥水の上に遊ぶ
⑦魚を食う

にあてはまるのが
ユリカモメだから。

もっとも,福岡にもいるぐらいだから
京にもいるのでは?と思っていたら

さいきんは
鴨川でもふつうに見られるらしい。


京には見えないのに
なぜ,都鳥と呼んでいたんでしょうか。

京に見えれば
名歌もうまれず。

言問橋など
在原業平ゆかりの名所も生まれず。

新橋~豊洲を結ぶ
ゆりかもめの名称も変わったもになったいたんでしょうねぇ。

2012年2月6日月曜日

雪の宝満山・登山~難所が滝~



 きのうはいつものメンバーで
 雪の宝満山にのぼりました。

 この時期、お目当ては
 もちろん難所が滝。

 午前8時に西鉄二日市駅の東口に集合
 駅前のセブンイレブンで食料を調達。

 おやくそくどおり寝坊のため不着の人がいて
 予定より1人すくない人数で出発。 

 駅前の西鉄タクシーに分乗して
 筑紫野市の吉木・大石の先にある宝満山登山口へ。

 おそらく難所が滝をお目当てにしたとおぼしき
 ツアー・バスがすでに停車していました。

 むろんわれわれも
 目指すところはおなじです。 

 沢沿いの猫谷川新道をのぼりました。
 3合目のあたりから残雪がちらほら。

 吊舟岩のなかを探検したあと
 金の水、普池の窟を経て長崎鼻へ。

 下りになりすべりやすくなったので
 アイゼンを装着。

 そこから先は
 やはり難所が滝を目指す人々で大混雑。

 長崎鼻の坂をくだったところに分岐があり
 左折して急坂を下るのが近道。

 ですが、われわれは
 もうすこし三郡山方面へ足をのばし迂回することに。

 迂回先の分岐で昼食。
 ここも交通の要衝のせいか、やはり大混雑。

 雪中寒いながらも
 わいわいがやがやとにぎやかな昼食でした。

 そこで遅刻していたメンバーと電話連絡がとれ
 難所が滝で合流することに。

 昼食後、宇美町方面へ
 坂をくだります。

 ここでも多くの人々と
 行き交いました。

 途中、どうでしたか?
 と訊くと、いや、人が一杯ですと。

 しばらく行くと
 左前下方に白く輝く壁があらわれました。

 難所が滝です。
 あちこちで歓声があがります。

 ほんとうに美しい滝です。
 すばらしい!

 しばらくまって、もう無理かと出発したところ
 ようやく遅参のメンバーと行き会いました。

 かくて
 全員そろって無事に下山したのでした。

 むろん独身メンバーもいたので
 婚活スポットめぐりもしました。
 
 みなさんも、いかが?

2011年1月29日土曜日

 山の会第1回例会~宝満山~



 きょうはいまから、いつものメンバーで今年第1回目の例会
 宝満山に登ります。

 天気図・予報によると曇のち雪の予定
 さて無事に帰ってこれるでしょうか?

 来週月曜の更新がなければなにかあったのかも
 無事を祈ってください。

 結果はウエブで。
 

2011年1月11日火曜日

 初登り・雪の宝満山


 8日(土)初登り
 雪の宝満山に登りました。

 (コース)
 西鉄二日市駅→筑紫野市大石→鳥追峠→カモシカ新道→カモシカ旧道
 →大谷尾根→キャンプ場→山頂→中宮跡→竈門神社→太宰府天満宮

 大石では雪がなかったところ、カモシカ新道は踏み跡がなく
 雪で途中で進んでゆけなくなり、あきらめかけましたが
 旧道にゆき、なんとか山頂へ。

 山頂は30センチメートルくらいの積雪
 それでも相当数の人が登られていました。

 ことしのように年末から年始にかけて何度も
 雪がふりつもることもめずらしいのでは?

 登ってゆきながらなんども雪に足をとられましたし
 樹木にふりつもった雪がふり、頭や顔が雪だらけに。

 「春の雪」で紹介したとおり、丸谷才一さんが定家に対抗して
 「新々百人一首」を編んでいます。

 丸谷さんが撰んだ百首の第1は
 
  み吉野の吉野の山の春がすみ立つを見る見るなほ雪ぞふる

                         紀貫之

 開巻第1首のテーマを春の雪にするのは
 きのう紹介したとおり、豊作を祈念する祝言として。

 ただ春がすみと降雪が併存するのかはちょと疑問?
 屏風歌ゆえ、実写したわけではないのでしょうが。
 
 紀貫之は、当時の高知県知事などをつとめながら
 かな文学の先駆である「土佐日記」を書き
 「古今集」編纂のリーダーとなっています。

 古今集は春夏秋冬の歌にはじまり
 春の歌は立春、春雪、鶯、若菜、柳と移りゆく季節が
 緻密かつ絶妙に配されています。

 仮名序は紀貫之が書いたとされます。

  やまとうたは、ひとのこころをたねとして
  よろづのことのはとぞなれりける。

  世中にある人、こと、わざ、しげきものなれば
  心におもふことを、見るもの、きくものにつけて
  いひいだせるなり。

  花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば
  いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。

  ちからをもいれずして、あめつちをうごかし
  めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ
  をとこをむなのなかをもやはらげ
  たけきもののふの心をもなぐさむるは、うたなり。

  …

 さて、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける
 ということですから、みなさまも一首いかが?