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2023年9月4日月曜日

如意輪観音

 


 土曜は四王寺山のお鉢めぐり。四王寺山にはお鉢を中心に、33の石仏がおまつりされている。

いずれも観音(菩薩)様である。庶民の旅が簡単ではなかった江戸時代。代表で西国三十三所めぐりをした人が、かの地の土をもちかえり(高校球児が甲子園の土を持ち帰るように)、四王寺山におまつりしたという。

これにより、福岡の人々も遠く関西までいかずとも、西国三十三所めぐりができるようになった。なんちゃってであるが、ないよりよい。

三十三という数字は観音様が三十三の姿に変化されて、世を救うため。四王寺の石仏も、十一面観音、千手観音、聖観音、如意輪観音、馬頭観音などの姿に彫られている。

これまで十一面観音や千手観音を頼もしく思っていた。われわれたくさんの諸衆を救うために、頭一面、手2つではとても心細い。やはり十一面、千手・千眼は必要だろうと。

これに対し、如意輪観音はやや頼りない感じがしていた。左手の平を上に向けて、その上で宝珠や法輪を回しておられる。われわれが手の平の上でコマをまわすような感じ。その法輪を自在に回すから、如意輪観音。

如意宝珠はすべての願いをかなえ、法輪はわれわれの煩悩を破壊するという。この日はなぜか、如意輪観音さまが頼りがいのある存在に思えた。心が弱っていたのだろうか。

2022年1月18日火曜日

冬の旅(完)-三室戸寺・総持寺





  岩間寺のあと、さらに宇治にある三室戸寺(みむろとじ)をめざした。三室戸寺は10番札所。

 三室戸は、岩間寺から山越えでもいけるだろう。けれども、JR線を利用して石山から京都へ。さらに奈良線で黄檗駅へ。そこから歩いて京阪宇治線の黄檗駅、そして一駅で三室戸駅。駅からは15分ほど東に歩く。

ここらあたり、石山寺のまえを南下していた宇治川がV字型に流れを変え、北上してきている。ひょっとすると石山寺のまえを流れていた一滴といままた再開できるかもしれない。

ふきんには萬福寺や平等院がある。それらの社寺はなんどか訪ねたことがあったが、三室戸寺があることは知らなかった。

坂道をえっちらおっちら登ると、なんと29~31日まで休みという標示。われわれだって年末年始は休みだから、お寺が休みをとったとて文句を言える筋合いではない。残念。

しかたない。グーグルマップ・ストリートビューでなんちゃって参拝をしよう。グーグルマップ×三室戸寺で検索、ストリートビュー機能にし、寺の入口にセットすると一番上の画面が表示される。そこから寺のなかを順次参拝した。

すべての寺のなかに入れるわけではないけれども、この冬の旅でいえば、ここのほか、最初におとずれた谷汲寺のなかに入ることができる。いちどお試しあれ。

しかたないので戻る。往路を戻るのでは面白くないので、直接JR黄檗駅をめざす。途中、茶畑があった。宇治茶である。

 つぎに茨木にある総持寺(そうじじ)をめざした。22番札所。京都駅から新快速で高槻、普通に乗り換えて総持寺駅で下車。すると、なぜか自動改札を通過できない。二日市~名古屋の往復キップの復路券1枚で、名古屋、大垣、能登川、大津、京都と乗降を繰り返してきたので、自動改札機が判断できなかったのだろうか。

しかたなしに窓口に行くと、なんと無人駅。こんな大きな駅まで無人とは恐れいる。駅や空港がすべて無人に(AIに)なる日も遠くないだろう。ブレードランナーの世界だ。呼出ボタンを押すも反応がない。あきらめて帰ることにした。新大阪まで普通、そこから新幹線に乗換え。

駅には文楽の大きなポスターが。「また来てね。」と、文楽人形が呼びかけてくれた。やはり人の手で操れるものはいい。とてもあたたかく安心できる。

2022年1月11日火曜日

冬の旅(2)-谷汲山華厳寺

 







 大垣駅から樽見鉄道に乗る。1984年国鉄から三セクに移行。住友大阪セメントの輸送に使っていたらしい。途中、綾部駅から西に石灰岩の採掘跡が見えるが、あそこででセメントを作っていたのだろう。

いまはセメント輸送にも使用されず、客車が一両のみ。ご多分にもれず経営は苦しいようで、いろんな企画列車が走っている。一本前はプラレールのラッピングがしてあったが、これはどなたか社長の顔が標識板に掲げられている。

東大垣駅をすぎてしばらくすると、揖斐川を渡る。西側がおおきく開ける。前山の奥、冠雪した伊吹山が美しく輝いている(ワンクリックして拡大すると、11時の方角に)。

40分ほどで谷汲口駅。バスに乗り換え10分余。そこからまた10分ほど門前町を歩くと山門前に着く。途中、雪かきが精力的に行われていた。

谷汲寺は正式には谷汲山華厳寺。天台宗の寺院で、本尊は十一面観音。西国三十三所の三十三番目の札所である。三十三所のなかでは、唯一近畿地方以外にある。

ガイドブックによると、西国三十三所めぐりはどの寺からはじめてもよいとされている。しかし昔は1番から順番に徒歩にて巡礼したようである。そのため満願の寺とされている。

いまの世で1番から順番に巡礼しないといけないとなると、途中で挫折する人が続出してしまう。全集ものや、上中下三巻もののうち、最初だけ読んであとは読まないようなものだ。

そのためどこから初めてもよいことになっているのだろう。そうでなければ谷汲寺を参拝する人は半減してしまう。自身もいきなり最終回の本寺を参拝することはできなかった。

華厳とは、多くの修行・功徳を積んで徳果が円満にそなわり、仏になること。まさにこの寺の名にふさわしい。雪がふったあとであり、いつもとちがう風景に接することができた。ありがたい。


2022年1月7日金曜日

冬の旅(1)ー大垣

 




 年末年始は雪山にこもって修行と反省と感謝をする予定だった。しかし大雪が予想されていた。仕事納めの朝の天気予報でもそうだった。実際、トミーの実家のある近江では70センチも積もったらしい。

やむなく雪山は中止。山小屋に電話をかけてすべてキャンセルした。名古屋に前泊する予定だったので、その予約だけを残し、名古屋から大阪方面へ「冬の旅」をすることにした。

主には西国三十三所めぐりである。岐阜には満願となる三十三番札所がある。そこを手はじめに、いくつかの札所をめぐることを考えた。

これには2つの経緯がある。1つは、四王寺山の三十三石仏めぐりとの関連。コロナ禍のなか遠出が憚られる折に、よくめぐるようになった。

起源は江戸時代。西国三十三所の札所の土を集めて、四王寺の山上に整備したらしい。甲子園の土を記念に持ち帰るようなものだろう。

江戸時代の庶民は旅行など手軽にできなかったろうから、身近な巡礼路として歓迎されたのではなかろうか。そのご利益がコロナ禍のわれわれにまでおよぶことになろうとは。

ご用納めの日には事務所会議も開かれ、例の近況報告もなされた。担当だったので、そのように報告した。札所の土をもちかえるよう提案がなされたが、「もちかえってよいのは写真だけ」と回答。

経緯の2つはこうだ。本ブログでも報告したとおり昨年10月、岐阜県にある二百名山の能郷白山に登った。アプローチは大垣から樽見鉄道を利用。その途中、谷汲口駅で停車した。あとで調べたら、三十三番札所が谷汲寺といい、その入口という意味だった。

浅からぬご縁を感じた。いわゆるシンクロニシティだ。むろん科学的には単なる偶然の一致である。

しかし、考え方は2つに分かれる。1つは偶然の一致だから、意味はないと考える途。もう1つはなにかの導きであり、とても意味があると考える途。もちろん後者の途を選択している。そのほうが幸せになれるから。

宗教を信じている人と信じていない人とでは、前者のほうが幸せ度が高いそうだ。それはそうだろう。科学的に証明されなくても、来世があると信じたほうが安らかに生き、安らかに死ねるだろう。自身、来世があるとまでは信じていないけれども。

ということで28日は名古屋で宿泊し、翌朝、谷汲寺をめざした。東海道線で北上し、大垣駅で樽見鉄道に乗り換えだ。ところが乗換まで1時間の待ち時間があった。

やむをえず、昨年10月につづき、大垣市内めぐり。大垣城を経由して「おくのほそ道むすびの地」へ。そこで芭蕉と木因がでむかえてくれる。

芭蕉はそこから舟に乗って南(伊勢)にむかう旅だった。それを示すように、川べりには住吉燈台と鵜飼舟が。

こちらは水門川沿いを北へ戻る。川が東に向きを変えるところに八幡神社があり、句碑が建っている。

 折々に伊吹を見ては冬籠り

建物がたてこんでいて、さすがに神社からは伊吹が見えない。どこか見えるところはないかなと歩いていると、駅前を流れる川ぞいに冠雪した伊吹が見えた。美しい。

マンホールのデザインもむすびの地だ。住吉燈台と舟。それにサツキがあしらわれている。花の季節にまた来たいな。

2021年12月27日月曜日

週末反芻読書

 



 いよいよ歳末。うちの事務所も仕事はきょうまで。あすは大掃除、今年の総括会議、望年会の予定です。ご用のかたは今日中に。

この間旅がおおかったので、週末は反芻読書。それぞれ、どの旅の、どの名所と関係あるか分かりますか。

まず『古事記』。日本文学全集1。池澤夏樹訳。解題は三浦祐之。三浦しをんの父。これは古市古墳群の1つ目、白鳥古墳の関係。ヤマトタケルノミコトが白鳥となって羽を曳いて飛んでいったというところです。

創世記のカインとアベルは兄が弟を殺しますが、ヤマトタケルは兄を殺します。これを恐れた景行天皇は彼にたいし熊襲や出雲、さらには東国の平定をもとめます。そこからかれの冒険がはじまります。古事記のなかで、もっともビビッドな部分。

つぎに『西国三十三所めぐり』。これは壺阪寺、長谷寺、槇尾山・施福寺、葛井寺にいったため。表紙は長谷寺の本尊十一面観音。10メートルを超える巨像。特別拝観により、特別に下から仰ぎ見つつ、足をお拭いすることができました。

『平家物語』は旅と直接の関係はありません。道明寺訪問をきっかけに『菅原伝授手習鑑』を読み、その流れで『義経千本桜』を読んだため。その原作の確認です。

『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』もそう。おなじ本で近松門左衛門の『曽根崎心中』、『女殺油地獄』を読んだため。門左衛門の弟子にあたる近松半二が『妹背山婦女庭訓』を書き上げるまでの物語。また大阪まで文楽をみにいきたくなりました。

活字読書でつかれたら、岩合光昭さんの『ねこの京都』。表紙は河井寛次郎記念館のあのネコです。訪問したときは書斎で丸まってましたが、この写真はスリムでまだ若いころ。

かくて神話の時代から、古代、平安、鎌倉、江戸、明治、現代までをタイムトラベルしたのだニャ。

2021年12月14日火曜日

槙尾山・施福寺参拝記

 








 講演の日は東岸和田のビジネスホテルに泊まった。駅周辺は様変わりしている。この辺りはむかし、父が勤めていた会社があったところだ。新日鉄の耐火レンガをつくる会社だった。

父の会社が東岸和田にあったため、高校2年までは岸和田で暮らした。オイルショックによる需要減退のため、大阪にあった事業所の半分くらいを閉鎖することになり、岸和田の事業所は閉鎖された。

2つ隣の泉佐野にも事業所があったので、高校3年時はそこ(日根野)で暮らした。父は一足はやく九州へ単身帰った。

それがなければ関西の大学を受験し、別の人生を歩んでいただろう。結局、九州の大学を受験し、以後、こんにちまで九州で暮らすことになった。

 講演の翌日は槙尾山に登り、施福寺を参拝した。小中学生のとき、3度ほど訪ねたことがある。一度は山中で道に迷った。人生初の山道迷いである。

厳しい山道・坂道を登らないと参拝できない。西国三十三所の4番札所である。西国三十三所めぐりはわが国初の終活ツアーだそうである。中興の祖は花山法王。花山法王もこの山中で道に迷ったらしい。

ありがたいことに諸仏は撮影可。未来の仏である弥勒菩薩が本尊で中央。左脇侍が十一面千手観音。この観音は札所の本尊である(三十三所は、観音さまの札所めぐりであるので、寺の本尊のほかに、札所の本尊があることが多い。)。

他にも、珍しい方違観音、馬頭観音もいらっしゃる。花山法王が山中で迷われた際、馬頭観音のお導きで寺にたどりついたという。足の神さまである。

展望所からは岩湧山が見えている。寺からはダイヤモンドトレイルといって、岩湧山や金剛山への道がのびている。金剛とはダイヤモンドのことだ。いずれも子どものころ登った懐かしい山々である。

寺をすこし下ったところからは、大阪平野・和泉市街、大阪平野、神戸、六甲山が見渡せた。

2021年8月18日水曜日

那谷ー白き秋の風

 

(那谷寺の奇石、笑っているよう)

(大石のうえの石山寺)

(青空に白き秋の風)

(四王寺山三十三石仏めぐり)

 さいきん、トミーファンから、いきなり「トミーの投稿はまだか」と訊かれます。ちょっとまて。その物言いは失礼でしょう。まずは毎日投稿している者に対しネギライの言葉があってしかるべきではないかろうか。それをすっとばして本音だけをぶつけてくる。そう言う態度でよいのだろうか。ブツブツ・・・(笑)。

 思いのほか小松に長居してしまいましたが、芭蕉一行はふたたび南に向かいました。

 山中の温泉に行くほど、白根が岳、後にみなして歩む。左の山際に観音堂あり。花山の法皇、三十三所の巡礼を遂げさせたまひて後、大慈大悲の像を安置したまひて、那谷と名付けたまふとや。那智・谷汲の二字を分かちはべりしとぞ。奇石さまざまに、古松植ゑ並べて、萱葺きの小堂、岩の上に造り掛けて、殊勝の土地なり。

 石山の石より白し秋の風

 那谷(なた)、ご存知でしょうか。九州人にはあまり知名度がないのではないでしょうか。でもありがたいところです。一度どうぞ。

花山の法皇はご存知でしょうか。こちらは古文で登場されました。『大鏡』「花山院の出家」として知られる段。大学受験のラジオ講座のテキストで学んだ記憶です。

藤原兼家が自分の外孫(のちの一条天皇)を即位させるため、陰謀により、花山天皇を出家・退位させます。迫真の描写でドキドキしました。

花山天皇はダマされて退位させられたのですが、その後は仏道にまい進されました。西国三十三所めぐりの中興の祖とされています。

西国三十三所めぐり、ご存知でしょうか。そういえばどこかで見たことあるなぁという感じではないでしょうか。ま、興福寺の南円堂で旗を見たことぐらいはあるのではないでしょうか。

一番札所の熊野・那智山をはじめとして、関西33か所の観音霊場を巡礼するというものです。なぜ33か所かというと観音さまが33のお姿に変身して庶民をお救いになられるからです。

キャッチコピーは「1,300年つづく日本の終活の旅」。なるほど。そろそろ旅をはじめねばという気にさせられます。

自身は、①那智山寺、②紀三井寺、③粉河寺、④槇尾寺、⑥壺阪寺、⑦岡寺、⑧長谷寺、⑨興福寺・南円堂、⑬石山寺、⑭園城寺、⑮今熊野観音寺、⑯清水寺、⑰六波羅蜜寺、⑱六角堂、⑲革堂、⑳吉峯寺、㉑穴太寺の17か寺に参ったことがあります。あと16か寺、がんばりたいと思います。

みなさんも意識はしていなかったけれども、先の興福寺・南円堂のほか、長谷寺、石山寺、清水寺、六波羅蜜寺などの有名どころは参られたことがあるのではないでしょうか。

石山寺は、琵琶湖の南にあります。大きな石の上に建てられ、名前の由来となっています。紫式部が源氏物語を書いたところとしても有名。芭蕉がのちに住まいした幻住庵もちかくにあります。

さて、三十三所の最後は谷汲山・華厳寺です。花山法皇は、西国三十三所めぐりを終えたのち、那谷を訪れ、ここで観音さまに出会います。そこで、ここは素晴らしいということで、一番の那智の那、三十三番の谷汲の谷をとって、那谷と名付けたのでした。A‐Zカードみたいなネーミングです。

このような由緒があるわりには、あまり知られていません。北陸という地の利がないせいでしょうか。それともPRが下手・・・(以下、自粛)。

石山の石より白しの句の「石山」がなにをさすかは説がわかれています。普通石山といえば石山寺のことです。写真の石もそうですが、苔むしていてあまり白くみえないので、説がわかれているのでしょうか。

秋風が白いというのもお約束です。九州人にはお馴染みの北原白秋がそうです。春は青、青春ですね。夏は朱(あか)、宮尾登美子や今野敏に『朱夏』という小説があります。冬は玄(くろ)、幻冬舎という出版社がありますが字がちがいますね。中国の五行思想に基づくもので、中国とは気候も異なると思いますが、秋の風はやはり白いと思います。

西国三十三所を九州人がめぐるのはたいへん。そこで江戸時代、博多の人たちは九州人でもめぐれる三十三所を定めました。四王寺山の三十三石仏めぐりです。甲子園の土ではないけれども、三十三所の土を持ち帰り、それぞれの観音さまに対応する石仏を設置しました。

わが事務所でも昨秋、四王寺山に登り、お参りしましたよ。コロナの終息をお祈りしました。運動不足で、青い息でした(青息吐息)。