2021年8月18日水曜日

那谷ー白き秋の風

 

(那谷寺の奇石、笑っているよう)

(大石のうえの石山寺)

(青空に白き秋の風)

(四王寺山三十三石仏めぐり)

 さいきん、トミーファンから、いきなり「トミーの投稿はまだか」と訊かれます。ちょっとまて。その物言いは失礼でしょう。まずは毎日投稿している者に対しネギライの言葉があってしかるべきではないかろうか。それをすっとばして本音だけをぶつけてくる。そう言う態度でよいのだろうか。ブツブツ・・・(笑)。

 思いのほか小松に長居してしまいましたが、芭蕉一行はふたたび南に向かいました。

 山中の温泉に行くほど、白根が岳、後にみなして歩む。左の山際に観音堂あり。花山の法皇、三十三所の巡礼を遂げさせたまひて後、大慈大悲の像を安置したまひて、那谷と名付けたまふとや。那智・谷汲の二字を分かちはべりしとぞ。奇石さまざまに、古松植ゑ並べて、萱葺きの小堂、岩の上に造り掛けて、殊勝の土地なり。

 石山の石より白し秋の風

 那谷(なた)、ご存知でしょうか。九州人にはあまり知名度がないのではないでしょうか。でもありがたいところです。一度どうぞ。

花山の法皇はご存知でしょうか。こちらは古文で登場されました。『大鏡』「花山院の出家」として知られる段。大学受験のラジオ講座のテキストで学んだ記憶です。

藤原兼家が自分の外孫(のちの一条天皇)を即位させるため、陰謀により、花山天皇を出家・退位させます。迫真の描写でドキドキしました。

花山天皇はダマされて退位させられたのですが、その後は仏道にまい進されました。西国三十三所めぐりの中興の祖とされています。

西国三十三所めぐり、ご存知でしょうか。そういえばどこかで見たことあるなぁという感じではないでしょうか。ま、興福寺の南円堂で旗を見たことぐらいはあるのではないでしょうか。

一番札所の熊野・那智山をはじめとして、関西33か所の観音霊場を巡礼するというものです。なぜ33か所かというと観音さまが33のお姿に変身して庶民をお救いになられるからです。

キャッチコピーは「1,300年つづく日本の終活の旅」。なるほど。そろそろ旅をはじめねばという気にさせられます。

自身は、①那智山寺、②紀三井寺、③粉河寺、④槇尾寺、⑥壺阪寺、⑦岡寺、⑧長谷寺、⑨興福寺・南円堂、⑬石山寺、⑭園城寺、⑮今熊野観音寺、⑯清水寺、⑰六波羅蜜寺、⑱六角堂、⑲革堂、⑳吉峯寺、㉑穴太寺の17か寺に参ったことがあります。あと16か寺、がんばりたいと思います。

みなさんも意識はしていなかったけれども、先の興福寺・南円堂のほか、長谷寺、石山寺、清水寺、六波羅蜜寺などの有名どころは参られたことがあるのではないでしょうか。

石山寺は、琵琶湖の南にあります。大きな石の上に建てられ、名前の由来となっています。紫式部が源氏物語を書いたところとしても有名。芭蕉がのちに住まいした幻住庵もちかくにあります。

さて、三十三所の最後は谷汲山・華厳寺です。花山法皇は、西国三十三所めぐりを終えたのち、那谷を訪れ、ここで観音さまに出会います。そこで、ここは素晴らしいということで、一番の那智の那、三十三番の谷汲の谷をとって、那谷と名付けたのでした。A‐Zカードみたいなネーミングです。

このような由緒があるわりには、あまり知られていません。北陸という地の利がないせいでしょうか。それともPRが下手・・・(以下、自粛)。

石山の石より白しの句の「石山」がなにをさすかは説がわかれています。普通石山といえば石山寺のことです。写真の石もそうですが、苔むしていてあまり白くみえないので、説がわかれているのでしょうか。

秋風が白いというのもお約束です。九州人にはお馴染みの北原白秋がそうです。春は青、青春ですね。夏は朱(あか)、宮尾登美子や今野敏に『朱夏』という小説があります。冬は玄(くろ)、幻冬舎という出版社がありますが字がちがいますね。中国の五行思想に基づくもので、中国とは気候も異なると思いますが、秋の風はやはり白いと思います。

西国三十三所を九州人がめぐるのはたいへん。そこで江戸時代、博多の人たちは九州人でもめぐれる三十三所を定めました。四王寺山の三十三石仏めぐりです。甲子園の土ではないけれども、三十三所の土を持ち帰り、それぞれの観音さまに対応する石仏を設置しました。

わが事務所でも昨秋、四王寺山に登り、お参りしましたよ。コロナの終息をお祈りしました。運動不足で、青い息でした(青息吐息)。

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