卯の花山・倶利伽羅が谷を越えて、金沢は七月中の五日なり。ここに大阪より通ふ商人何処といふ者あり。それが旅宿をともにす。
一笑といふ者は、この道に好ける者のほのぼの聞こえて、世に知る人もはべりしに、去年の冬早世したりとて、その兄追善を催すに、
塚も動けわが泣く声は秋の風
ある草庵にいざなわれて
秋涼し手ごとにむけや瓜茄子
途中吟
あかあかと日はつれなくも秋の風
小松といふ所にて
しをらしき名や小松吹く萩薄
卯の花山は歌枕、月・雪の名所ですが、歌はなぜか雨とホトドギスの取合せ。
かくばかり雨の降らくにほととぎす 卯の花山になほか鳴くらむ
倶利伽羅が谷(峠)は、源平の古戦場。両軍が対峙するなか、源義仲は夜を待って、数百頭の牛の角に松明をくくりつけて敵軍にむけて放ちます。大混乱におちいった平家軍は逃げ場を失って谷底に落ちていき、大敗を喫しました。
子どものころ、「河童の三平 妖怪大作戦」という番組がありました。その主題歌の歌詞に♪クリカラ、クリカラ骨つむぎ・・というフレーズがでてきました。子どもごころにも、クリカラクリカラという響きに不気味なものを感じたのは、平家の怨霊のなせるワザなのでしょうか。
そして金沢。ようやくゴールが見えてきました。大阪から特急サンダーバードで2時間半。大阪で薬種商を営む商人何処と同宿し、同人は以後芭蕉のお弟子になっています。
いまであれば、21世紀美術館、鈴木大拙館、兼六園などが観光名所でしょうが、おくのほそ道にはどれもでてきません。兼六園は当時できたばかりでしょうか、殿様のお庭なので芭蕉らは入れません。
金沢には若くて優秀なお弟子さん・一笑という人がいましたが、このまえの冬惜しいことに、若くして亡くなりました。どこの世界でも、できる人ほど早世するようです。
その偲ぶ会が願念寺でいとなまれました(写真は願念寺の句碑)。旧暦7月15日はお盆なので、その関係もあったでしょうか。そして塚も動けの絶唱。お弟子さんも師匠にこんな追悼句を詠んでもらえれば成仏できます。
おくのほそ道も残り4分の1(歌仙の名残の折りの裏)、別れがテーマですが、市振の関における遊女との別れにつづき、弟子との別れ。別れのエピソード2です。
願念寺のちかくには室生犀星記念館。高校時代「月に吠える」など読みました。これにあやかって、自分たちの文集のタイトルを『絶壁に吠える』としたら、国語の先生にえらく受けたのもよい思い出です。
おくのほそ道に戻って、この4句は秋の風をテーマにしたセットものです。写真でいえば組み写真。一つ一つもよいですが、セットにすると響き合ってなおさらよいです。
小松の地名が小さな松であることをとりあげて、芭蕉は挨拶の句としています。小松は小松製作所の小松です。こちらは小さな端末ではなく、大きな重機を製作してあります。
娘がしばらく勤めていたので、小松にはよく訪ねていきました。空港もあり、サンダーバードのほか、飛行機も利用しました。当時はたいへんな思いをしたのですが、過ぎ去ってみればよい思い出です。
空港ちかくには安宅の関もあります。歌舞伎の「勧進帳」の舞台です。義経は弁慶らとともに勧進僧に変装して奥州に落ち延びる途中です。その変装が関守の富樫に見破られそうになったため、弁慶が勧進帳を読むフリをして危機を突破しようとしますが・・・。
倶利伽羅峠で亡くなった平家の武士たち、そこでは勝利した源義仲ら、義経・弁慶ら、みな非業の死を遂げました。芭蕉は一笑だけでなく、彼らに対する鎮魂の心も忘れていません。
0 件のコメント:
コメントを投稿