2021年8月4日水曜日

象潟(きさがた)


(南に鳥海、天をささへ)


 


(ネムの花)

 江山水陸の風光数を尽くして、今象潟に方寸を責む。酒田の港より東北のかた、山を越え、磯を伝ひ、いさごを踏みて、その際十里、日影やや傾くころ、潮風真砂を吹き上げ、雨朦朧として鳥海の山隠る。暗中に模索して「雨もまた奇なり」とせば、雨後の晴色また頼もしきと、蜑の苫屋に膝を入れて、雨の晴るるを待つ。その朝、天よく晴れて、朝日はなやかにさし出づるほどに、象潟に舟を浮かぶ。まづ能因島に舟を寄せて、三年幽居の跡を訪ひ、向こうの岸に舟を上がれば、「花の上漕ぐ」と詠まれし桜の老い木、西行法師の記念を残す。江上に御陵あり、神功皇后の御墓といふ。寺を干満珠寺といふ。この所に行幸ありしこといまだ聞かず。いかなることにや。この寺の方丈に座して簾を捲けば、風景一眼の中に尽きて、南に鳥海、天をささへ、その影映りて江にあり。西はむやむやの関、道を限り、東に堤を築きて、秋田に通ふ道遙かに、海北にかまへて、波うち入るる所を汐越というふ。江の縦横一里ばかり、俤松島に通ひて、また異なり。松島は笑ふがごとく、象潟は憾むがごとし。寂しさに悲しみを加へて、地勢魂を悩ますに似たり。

 象潟や雨に西施がねぶの花

 汐越や鶴脛ぬれて海涼し

   祭礼
 象潟や料理何食ふ神祭り 曽良

 蜑の家や戸板を敷きて夕涼み 美濃の国の商人 低耳

   岩上に雎鳩(みさご)の巣を見る
 波越えぬ契りありてや雎鳩の巣 曽良

 文中にあるとおり、象潟は、おもかげ松島に通いて、また異なり。松島は笑うがごとく、象潟は憾むがごとし。寂しさに悲しみを加えて、地勢魂を悩ますに似たり。

東西横綱対決、東の横綱が松島で、西の横綱が象潟。松島は太平洋側のせいか陽、象潟は日本海側のせいか陰です。

芭蕉の格調高き美文も、いずれ劣らぬものになっています。松島「島々の数を尽くして」、象潟「江山水陸の風光数を尽くして」。松島「江の中三里」、象潟「江の縦横一里」、松島「その気色窅然として、美人の顔を粧ふ」、象潟「寂しさに悲しみを加えて、地勢魂を悩ますに似たり」など好対照。

「雨もまた奇なり」は蘇軾(蘇東坡)の「飲湖上初晴後雨」、水光瀲灔として晴れてまさに好し、山色空濛として雨もまた奇なりから。略して、晴好雨奇といいます。

呉越同舟という言葉がありますが、戦国時代、呉と越ははげしい戦を繰り返していました。その際、越が呉に献上した美人が西施。呉の王は西施におぼれ、ついには国を滅ぼしてしまいました。美人のことを傾城といいますが、このことです。

この詩は、このあと西湖と西施を比べようとすればと続き、美しい水景色と美しい西施を対比するイメージを導きます(松島も西湖をはぢずとされていました。)。

そして淡粧濃抹総べて相宜しと結びます。雨に煙る景色は西施のうす化粧、キラキラ晴れの景色は濃い化粧。どちらもすばらしく甲乙つけがたいというわけです。

こうして見てくる、雨のち晴だったという芭蕉たちの天気も、蘇東坡の詩にあやかるための文飾なのかもしれませんね。

蜑の苫屋に膝を入れて雨の晴るるを待つたのは、あとで出てくる能因の歌にあやかったものです。

 世の中はかくても経けり象潟の 海士の苫屋をわが宿にして

能因は、海士の苫屋をわが宿にして象潟で三年幽居したというのですが、ほんとうでしょうか。かれは歌のためならなんでもする人だったようです。白河の関で紹介した歌について、有名な噂があります。

 都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関

 能因はこの歌を作ったものの、じっさいには白河の関に行ったことがなく、そこで旅にでたらしいと噂を流し、家にこもって日焼けをしたうえで、この歌を公表したというのです。あはは。(能因はじっさいには奥州を旅しています。でもこのような噂があったのは、ほかでもそのようなケレン味のある振舞いがあったということでしょう)

「花の上漕ぐ」と詠まれし桜の老い木とあるのは、西行が詠んだとされる次の歌(なにせ、500年前の歌ですから、桜も老い木のはず)

 象潟の桜はなみに埋れて 花の上漕ぐ海士の釣り舟

ネムの木は、夜になると葉が閉じて垂れ下がります。なので、眠むの木。西施の瞳も眠たげだったのでしょうか。もちろん芭蕉も西施に会ったことはなかったでしょうが、ネムの花のようだといわれれば、そんな気がしてきます。花言葉は歓喜。

波越えぬ契りありてやは、末の松山の段で紹介した次の歌を踏まえています。

 君をおきてあだし心をわが持たば 末の松山波も越えなむ

 ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波こさじとは 清原元輔

岩上を波が越えたかどうかは分かりませんが、芭蕉が訪問した100年後、象潟は大地震で土地が隆起してしまい、潟としての風景は失われてしまいました。芭蕉が信じた大自然の景観さえ、不易ではなかったんですねぇ。

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