2022年1月17日月曜日

冬の旅(6)-岩間山正法寺

 



 近江八幡駅に戻り、西へ向かって石山駅で下車。つぎの目的地は西国12番札所の岩間山正法寺。

バス便だと中仙町から徒歩50分なうえ待ち時間がだいぶあったので、タクシーを利用した。運ちゃんに正法寺というもピンとこず、岩間寺というとピンときた。

石山寺の前を通って瀬田川沿いに南下、京滋バイパスと直行するところをバイパス沿いに西へ。中仙町バス停から右折して岩間山の山道へ。くねくねとしばらく行くと、岩間寺の駐車場に着いた。

駅からはかなり遠い。しかし10番札所の御室戸寺、11番札所の醍醐寺(上醍醐)からは意外と近い。むかしはこのあと13番札所の石山寺まで歩いたのである。

岩間寺は奈良時代に泰澄がカツラの樹から千手観音を削って本尊としたのがはじまり。境内には古樹や夫婦カツラもある。カツラはリズミカルな葉の並びや秋の甘い香りが大好きだ。

寺の右手には「芭蕉の池」があり、芭蕉が古池やの句を詠んだとされる。芭蕉がこの句を詠んだのは深川のはずなのだけれども、このような伝承は各地にあるらしい。

芭蕉(写真はJR石山駅前のもの)のゆかりといえば、ちかくに幻住庵跡がある。岩間山と石山寺の中間あたり、国分山にあった。俳文「幻住庵記」のなかに、岩間寺もでてくる。

 石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山といふ。そのかみ国分寺の名を伝ふなるべし。

幻住庵は福岡とも縁がある。久留米髙良山の僧正に芭蕉が幻住庵の額の揮毫を依頼して入手しているから。いわく。

 筑紫髙良山の僧正は、賀茂の甲斐何某が厳子にて、このたび洛にのぼりいまそかりけるを、ある人をして額を乞ふ。いとやすやすと筆を染めて、「幻住庵」の三字を送らる。やがて草庵の記念となしぬ。

幻住庵は風光明媚だったようだ。琵琶湖はもちろん、比叡山、比良山、三上山ものぞむことができた。

 比叡の山、比良の高根より、辛崎の松は霞こめて、城あり、橋あり、釣たるる船あり、・・・中にも三上山は士峰の俤に通ひて、武蔵野の古き住みかも思ひ出でられ、田上山に古人をかぞふ。

「幻住庵記」末尾の句はこれ。

 先づ頼む椎の木も有り夏木立

西行が吉野山のトチ、須賀川の栗齋が栗を頼みとしたのにならい、芭蕉もシイの古木の霊力を頼みとしたのだろう。

いちばん下の写真の句碑は久留米城跡のもの。先の扁額つながりだろうか、蕉風が久留米までおよんでいたことを示すものだろう。

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