2023年7月7日金曜日

どうする家康?

 


 『どうする家康』をめぐる議論がかまびすしい。「あれはちがう。」「歴史はそうじゃない。」などと訳知り顔でコメントする人がおおい。そうなんだろうか?

最初に断っておくけれども、NHKファンでもないし、松潤ファンでもない。どちらかといえば嫌いといってもいい(ただし、NHKの一部の山番組を除く。)。

『どうする家康』は松潤主演の大河ドラマ。脚本は古沢良太。

先日、有村架純が演じる瀬名(築山殿)が自刃した。瀬名は、敵である武田勝頼に内通し、それが織田信長にバレて自刃をせざるをえなくなったといわれる。「あれはちがう。」と言われている問題は、この内通の理由。

一般には、家康と瀬名の子である信康に所領(天下)を与えるという密約があったとされる。しかるに、本ドラマでは、信長の覇権主義による戦乱の世がつづくことを嫌い、隣国との信頼・互恵関係による平和社会(というユートピア)の実現をめざしたという筋立てになっている。

「あれは歴史とちがう。」と断じている人たちの論拠は、山岡荘八や司馬遼太郎だろうか(一次資料を読んでいる方がいたら、ごめんなさい。)。自分で読んだわけではないので申しわけないのだけれども、おそらく山岡荘八の小説は前者で書かれているのであろう。ひょっとしたら、司馬遼太郎もそのような説を書いているのかもしれない。

しかし、ウィキを読むかぎり、この問題の決めてとなる一次資料は存在せず、江戸期の文献がおもな典拠のようである。そのため、歴史家の間では「築山殿殺害の謎」として諸説いりみだれている。

そもそも大河ドラマは文字どおりドラマである。ドラマとは演劇・芝居すなわち劇のことである。歴史に忠実に描かなければならないという制約はもともとないはずである。

山岡荘八や司馬遼太郎の小説だって、歴史そのものではなく、歴史を素材にして彼らの見立てや思想・見解が語られていることはみな承知のはずだ。

しかしここにきて、『どうする家康』は歴史とちがうと声高にいう人が多いのはどうしたわけか?

1つは、アンチ松潤派ということが考えられる。築山殿問題だけでなく、あわせて彼の演技を問題にする人が多い。ネットで主張している人たちのバックグラウンドは知らないが、ぼくの回りはそんな感じだ。ジャニーさんの問題もあり、アゲンストであることは確かだろう。

2つは、アンチNHKの空気もあるだろう。旧N党の存在だけでなく、一般の家庭における受信料をめぐる最近の攻防が影響していることはあるのではなかろうか(ぼくがNHKが嫌いなのは彼らの取材態度の横着さが原因だ。)。

3つは、いちばん気がかりなのだけれども、築山殿の考えが憲法の平和主義と通底していることに反発しているのではないかということ。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。かかる憲法前文の考えは、築山殿の思想と共通するものである。

築山殿の崇高な理想は、残念ながら、勝頼の俗物根性により裏切られた。残念無念。

しかし、家康が江戸幕府を開き、265年間におよぶ天下泰平の世を築いたのは、瀬名の平和主義の影響を受けている。こう「解釈」をしても、許されないということではあるまい。

いままたウクライナ戦争の渦中。どうする家康?の問いかけは、どうする日本人?という問いかけとしてわれわれの前に提出されている。そう考えたとしても、なんら不都合はないと思われる。

0 件のコメント:

コメントを投稿