さいきんNHKの番組をみているとジオブームだ。ジオというのはむかしの地学である。日本(や世界)の絶景を紹介する際、その成り立ちとして必ずジオ的な解説がなされる。
このようなブームが生じているのは、プレートテクトニクス研究の進展が寄与している。大陸プレートに対する太平洋プレートやフィリピン海プレートの沈み込みにより、なんでも説明ができてしまう。ほんとうだろうか。
たとえば、瀬戸内海の成り立ち。瀬戸内海の漁師の家々にはナウマンゾウの化石が飾られている。漁の際、網にかかったものだ。なぜ、ナウマンゾウの化石がかかるのか?
それは昔、瀬戸内海が陸だったから。そこでナウマンゾウが暮らしていたから(ちなみに、フォッサマグナなど日本列島の地学やナウマンゾウの発見は明治期のお雇い外国人ナウマンの功績によっている。)。ではなぜ、瀬戸内海は水没してしまったのか?
日本地図で四国と和歌山県をいっしょに見ると、吉野川流域から紀ノ川流域までが東西に一直線をなしていることが分かる。
この線は中央構造線と呼ばれる。日本列島はユーラシア大陸の東端が2か所ひきちぎられ(それも太平洋プレートの沈み込みの力学による)、その2つの陸の断片が現在の日本列島がある位置でドッキングした。それが日本列島の原型である。その際ドッキングした線が中央構造線である。そのため、線の南北で地質が違う。
フィリピン海プレートは南から北上してきたのであるが、日本列島の手前・南側で太平洋プレートにジャマされて北西に向きを変えている。そのため、日本列島(とくに中央構造線の南側部分)はフィリピン海プレートから北西方向へ絶えず圧力を受けている。
その結果、ときどき、中央構造線から南側部分が西へ向けてズレるのである(南海トラフ地震の原因でもある)。これが古傷が痛むというやつである。
瀬戸内海の瀬戸とは、狭門であり、水陸の狭くなっているところである。瀬戸内海をよくみると、瀬戸と灘が交互に存在している。東から淡路島、播磨灘、小豆島・瀬戸大橋があるあたりの島嶼、燧灘、しまなみ海道があるあたりの島嶼・・。
なぜ、そうなっているのか?中央構造線の南側部分が西へ向けてズレた際、構造線の北側部分がシワになった(褶曲した)から。そして、あるとき、鳴門のあたりから太平洋の水が瀬戸内海に流入したのだ。・・という。
古傷が痛むのはジオにかぎられない。アメリカ社会の分断も、古傷が痛むためである。その根は奴隷制度、その後の人種差別の歴史からきている。
米連邦最高裁が、中絶の自由を否定し、大学入学選考で黒人など人種考慮は違憲と判断した。背後に横たわるのは、アメリカ社会の分断だ。
貧すれば貪す。金の切れ目が縁の切れ目。経済がうまくいっているときは、余裕ある態度をとることができる。しかし、経済がうまくいかなくなると、急に態度が冷たくなる。人間のサガ。
経済的な圧力が強くなると、むかしの古傷が痛みだす。アメリカ社会の分断から離婚事件まで根はひとつだ(ザックリまとめすぎか?)。
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