今朝、NHKニュースが報じていた。ハーバード大学などが入学選考で黒人などに下駄をはかせている措置について、アメリカの連邦最高裁が違憲と判断したと。
憲法の平等条項に違反するという保守派の学生らの訴えにこたえたもの。45年前の最高裁判決(すなわち、人種考慮は合憲とした判断)を覆した。
この判決について、多様性を損なうとバイデン大統領は批判していた。
憲法の保障する「平等」とは何か?形式的平等か実質的平等か。機会の平等か結果の平等か。
フランス革命期の「平等」は形式的平等だった。国王の恣意による、国民の自由・平等の侵害を許さないという文脈だから、それでよかった。
その後、資本主義が発達し、貧富の格差を生じた。そのため、形式平等を保障することが結果において不平等を招来することとなった。
その後の憲法は、このような経済的不平等を是正する社会権を保障する。社会権を保障する憲法が保障する「平等」は、形式的平等では足りず、実質的平等をいうのではないか。
残念ながら、いまの日本では、実質的な不平等が生じる社会になってしまっている。平等に受験ができるといっても、所得の格差によって事実上、受験ができない家庭の生徒が増えた。教育(塾代)に10万円かかるようになれば、月収20万円の家庭の生徒は勉強や受験をすることができないだろう。
米国では長らく黒人などに下駄をはかせることが合憲だとされてきた。そうしなければ、キャンパス内はいわゆるWASPだらけになってしまうから。
成績だけで考慮せよというのも、一見もっともである。しかし、社会に存在する貧富の格差を前提にすれば、貧困層に下駄をはかせることのほうが、ほんとうの平等というものではないか。
バイデン大統領が指摘する多様性が損なわれるという指摘も、今日的で重要だ。
多様性(ダイバーシティ)の尊重は、日本でもその重要性が認められてきている。SDGs(持続可能な開発目標)の観点からも重要だ。多様性を尊重する企業こそが、競争でも優位であるとの研究結果もでている。
米最高裁はいまトランプ大統領時代に指名された保守派の判事が多数を占めている。そのため、民主党のバイデン大統領と意見を異にする判断がつづいている。
先日も、中絶する権利を認めなかったばかりだ。こちらもそれまでの最高裁判例を半世紀ぶりに覆した判断だった。大きな揺り戻しが進行している。アメリカよ、どこへ?
それでも、米最高裁は、このようなスイングを繰り返しながら歴史を進めてきている。いつもいつも保守的な判断しかできない日本の最高裁よりマシである。
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