というわけで、『笈の小文』は何度か読んでいたのだけれど、いま一つ浸りきれないと思っていた。芭蕉が自分で書いたものかどうか分からないし、未定稿だし、『おくのほそ道』に比べて地の文が少なく、はなはだ読みにくいのである。
『笈の小文』に出てくる土地々も、『おくのほそ道』に比べると、発句が1句あるきりで地の文がなかったりする。伊良湖崎も、そういう意味で字面では理解しつつも、抽象的な存在であった。
ところが昨年末、恩師がここを訪ねたとSNSに投稿された。そして島崎藤村の「椰子の実」の歌碑も見学されたという。
藤村は『夜明け前』を書いたあの藤村である。藤村の「椰子の実」の歌はこう。
名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子の実一つ
故郷の岸を離れて
汝はそも波に幾月
旧の木は生いや茂れる
枝はなお影をやなせる
われもまた渚を枕
孤身の浮寝の旅ぞ
実をとりて胸にあつれば
新なり流離の憂
海の日の沈むを見れば
激り落つ異郷の涙
思いやる八重の汐々
いずれの日にか国に帰らん
先に書いたとおり、伊良湖崎は本州の南端。南の国から鷹も渡ってくれば、椰子の実も渡ってくるのである。もしかすると、アサギマダラも渡ってくるかもしれない。
先日「ブラタモリ」で、種子島をやっていた。種子島には世界最大規模の海流である黒潮が南からやってくる。戦国時代、種子島銃を舶載したポルトガル船がやってきたのも、黒潮に流されてのことだという。
日本には南からいろんなものや文化がやって来るのだ。藤村はそれをきわめてロマンチックに歌っている。
しかしである。藤村はわがことのように歌っているが、実は椰子の実を見つけたのは、学友だった柳田國男である。柳田國男は『遠野物語』を書いたあの柳田國男。藤村は柳田から聞いた話を歌にしたてた。いまふうに言えば、藤村は柳田の経験をパクったのである。しかし、ここまで立派な歌になると、単なるパクリとはいえない。
話を戻すと、恩師の投稿をきっかけに、俄然、頭のなかを鷹や椰子の実やアサギマダラらが行き交い、伊良湖岬という名が生き生きと脈打つようになった。
かくて、旅好きとしては、是非一度尋ねてみたいと思うようになった。『笈の小文』をいま読み返している理由は、そういうことである。
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