さて、ここからが本論。今回『笈の小文』を読んでいて、気づいた点が2つある。
まずは、四時を友とすること。
『笈の小文』は読みにくいと書いた。江戸を出て、故郷伊賀を経て、関西各地の歌枕を遍歴する紀行文なので、起承転結、序破急がなく、まとまりがないように感じるのである。
しかし、よく考えればあたりまえなのなのだけれども、季語を華とする俳句をちりばめた紀行文なのであるから、バックボーンは四季である。
そう思って読むと、冬にはじまり、春をクライマックスとして、夏に幕を閉じている。ちゃんと序破急で構成されているではないか。
冬のメインは伊良湖岬における冬の鷹、春のメインは吉野における観桜、夏の〆は須磨における平家滅亡の幻視である。
そう考えて、よくよく読めば、冒頭にちゃんとこう書いてある。
風雅におけるもの、造化にしたがひて四時(しいじ)を友とす。
四時とは四季のこと。つまり、四季を友として書いているからよろしく、ということである。
ただし、そうすると大きな問題が残る。お分かりと思うけれど、秋がなくてもよいのだろうか。四季のなかで、秋がもっとも趣があり好きという向きも多い。夏で終わってしまうと、三時しか友にしていないのではなかろうか。
ひとつの考え方としては、わざと書かなかったということ。ヘミングウェイのいうところの「氷山の理論」。いわく。
もし作家が、自分の書いている主題を熟知しているなら、そのすべてを書く必要はない。その文章が十分な真実味を備えて書かれているなら、読者は省略された部分も強く感得できるはずである。動く氷山の威厳は、氷面下に隠された八分の七の部分に存するのだ。
さてわれわれは、『笈の小文』を読んで、省略された秋の部分を強く感得できるだろうか。最後の部分、平家滅亡の幻視で文を結ぶ直前の記述はこうなっている。
蛸壺やはかなき夢を夏の月
かかる所の穐(あき)なりけりとかや。此裏の実(まこと)は、秋をむねとするなるべし。かなしさ、さびしさはいはむかたなく、秋なりせば、いささか心のはしをもいひ出べき物をと思ふぞ、我心匠の拙なきをしらぬに似たり。
月といえば秋。ただ月といえば、秋の月をさす。春の花、冬の雪とともに、秋の月は日本の四季を代表する。しかるに、ここでは夏の月となっている。蛸壺のなかの蛸がみている夢がはかないのは夏の月ととりあわせになっているからである。
「かかる所の穐なりけるとかや。」は『源氏物語』の「須磨」段によっている。いわく。
須磨にはいとど心づくしの秋風に、海はすこし遠けれど、行平の中納言の関吹き越ゆるといひけむ浦波、夜夜はげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。
在原行平の歌はこう。
旅人は袂すずしくなりにけり関吹き越ゆる須磨の浦風
というわけで、少なくとも昔の文人は、須磨と聞いただけで、行平、源氏、平家滅亡という歴史的・多層的な秋のイメージを思い浮かべることができた。
『笈の小文』のラスト、芭蕉は秋の情景を描いていないけれども、源氏物語や行平の歌のイメージを援用しつつ、須磨の秋の情景を感得するよう読者に促しているのである。
(つづく)
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