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2023年10月5日木曜日

木曽駒ヶ岳、霧ヶ峰、乗鞍岳、美ヶ原(4)フォッサマグナ・糸魚川静岡構造線

 


 きょうは、諏訪湖で交差しているもうひとつの大断層、フォッサマグナの西端・糸魚川静岡構造線の話です。フォッサマグナは学校で習ったのではないかと思います。これもナウマンが発見したものです。

写真(奥の山並み)は霧ヶ峰からみた北アルプス。右側に槍ヶ岳、左側に穂高連峰、中央部の凹は大キレットです。

フォッサマグナの西端・糸魚川静岡構造線は、名前のとおり、日本海岸の糸魚川から太平洋岸の静岡までの大断層です。

フォッサマグナと糸魚川静岡構造線は、違う概念です。フォッサマグナは日本列島を中央で分断する大きな溝。線ではなく、三次元の凹です。

そこはむかしむかし海でした。その凹に新しい土砂がたまって、いまのように東北日本と西南日本がひとつの列島としてつながったのでした。あら不思議。

そのフォッサマグナの西端の大断層が糸魚川と静岡を結ぶ構造線となっているわけです。

これに対し、東の端がどこかについては議論があります。北は新潟県の柏崎か新発田あたり、南は千葉あたりのようです。とにかく日本列島の中央部に大きな溝が存在したことは争いがありません。

ただし土砂がたまっただけでは説明できないところがあります。フォッサマグナの中央部には、北から妙高山、黒姫山、八ヶ岳、冨士山、箱根、天城山などの山々が連なっているからです。これらはマグマの上昇によるものと説明されています。

日本列島は、大陸プレートと太平洋プレートとフィリピン海プレートという3つのプレートが出会う場所にあります。それらのプレートが互いにおしくらまんじゅうをした結果、いまのような列島になりました。

太平洋プレートが東側から、フィリピン海プレートが南側から大陸プレートの下に沈み込むことにより、日本列島にシワがよったり、マグマが噴き出したりしたというのです。

霧ヶ峰(エアコンの名前ではありません。諏訪湖の北に位置する百名山です。)の涼しい風に吹かれ、北アルプスの山々をながめながら、そのような雄大な日本列島のなりたちに思いをはせました。

2023年10月4日水曜日

木曽駒ヶ岳、霧ヶ峰、乗鞍岳、美ヶ原(3)中央構造線

 


 諏訪湖で交差するフォッサマグナ西端・糸魚川静岡構造線と中央構造線、どちらもナウマンが発見したものです。が、中央構造線のほうが古い時代の日本列島の傷です。なので、こちらから。

写真は中央アルプスの木曽駒ヶ岳に登った際、千畳敷カールの上部から伊那谷(駒ヶ根市あたり)をのぞんだときのものです。向こうの山脈は南アルプスです。その左肩のあたりに富士山が顔をだしています(写真をクリックして拡大しないと見えないかも)。

富士山の右に、南アルプス塩見岳、左に白根三山。白根三山は左から、北岳、間の岳、濃鳥岳です。

中央構造線は、この南アルプスの手前の山麓を通っています。

ナウマンは西南日本の地質調査をしていて、西南日本を縦断する大断層を発見しました。中央構造線です。中央構造線を境として、日本海側を内帯、太平洋側を外帯と呼びます。

研究者がみなそうだと言わなければ信じがたいことですが、日本列島はその昔、ユーラシア大陸の東の端の一部でした。それが太平洋に漂いだし(ひょっこりひょうたん島のように)、いまの位置に来たというのです。

中央構造線ができたのは、日本列島が大陸の一部だったころのことです。そのころも太平洋プレートが大陸プレートの下にもぐりこんでいたわけですが、その際、太平洋上に存在した島々などをつぎつぎに大陸に付けくわえました(付加体)。内帯と外帯で地質が異なるので、そこに大断層があることがわかるのです。

以前、四国の吉野川と和歌山の紀ノ川が中央構造線上にあると書きました。

https://www.google.com/maps/place/%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E5%B8%82/@34.1675541,134.3349377,139879m/data=!3m1!1e3!4m6!3m5!1s0x6000b28519bc7e79:0x8fce76d4fd4f71ca!8m2!3d34.2303678!4d135.1707405!16zL20vMGdwNWti?entry=ttu

中央構造線は紀ノ川にそって東へ向かい、伊勢から伊勢湾、渥美半島の北部を通って伊那谷(南アルプスと中央アルプスの間にある)に入っています。

むかし南アルプスの塩見岳に登った際、ふもとに大鹿村がありました。大鹿歌舞伎で有名なところです。村には中央構造線博物館があります。村は中央構造線上にあるのです。

そこから北上して、駒ヶ根市ふきんを通過し、さらに北の諏訪湖(正確には茅野)に至っています。

https://www.google.com/maps/place/%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E6%B9%96/@35.3921221,137.8036806,194752m/data=!3m1!1e3!4m6!3m5!1s0x601c55605b0c35d5:0xcd199e65021b9b75!8m2!3d36.0492617!4d138.0853146!16zL20vMDczXzg1?entry=ttu

構造線は、諏訪湖のあたりで東西に12kmほどズレています。活断層の作用によります。これも日本列島が東側からおされて、構造線の北側が西にズレたものと推定されています。すごくないですか。

2023年10月3日火曜日

木曽駒ヶ岳、霧ヶ峰、乗鞍岳、美ヶ原(2)ナウマン


 ナウマンを直訳すると、イマジン?それとも、いまどきの人でしょうか。じつは明治期のお雇い外国人の一人です。

むかし子どもの絵本に『野尻湖のぞう』という絵本がありました。いまもあるのでしょうか。

野尻湖は長野県の北部、新潟県との境、黒姫山や妙高山に囲まれ、その麓にあります。妙高山に登った際、いちど訪ねたことがあります。

野尻湖はむかし日本に生息していたナウマン象の化石が出たことで有名。その事実は明治初期のお雇い外国人ナウマンが発見しました。だからナウマン象です。

ナウマンは明治初期、日本に地質学をもたらしました。来日したときは21歳。いまの大学3年生くらい。それでいて東大地質学教室の初代教授です。

NHK朝の連続ドラマ「らんまん」が終了しました。植物学教室と牧野富太郎博士の交流や確執がえがかれました。ドラマの緊張がたかまると、浜辺美波の愛くるしい笑顔が癒やしをあたえていました。

植物学教室と地質学教室はどのくらい離れていたのでしょうか。キャンパスでナウマンと牧野博士が顔をあわせ、ときには会話を交わしたこともあったかもしれませんね。

ナウマンは北海道を除く、本州、四国、九州を広範囲に調査し、その距離は全長1万キロメートルに及んだとか。

それまでの日本地図は伊能図で平板だったものに、等高線を書き入れたのもナウマン。並行して日本の地質を調査しました。

その結果、フォッサマグナや中央構造線の存在を発見しました。そして『日本列島の構造と起源について』を発表しています。

明治期の人たち、日本人であると外国人であるとを問わず、すごくないですか。牧野博士がドラマになるのであれば、ナウマンも是非ドラマにしてほしいです。

2023年10月2日月曜日

木曽駒ヶ岳、霧ヶ峰、乗鞍岳、美ヶ原(1)諏訪湖

 

 先週は投稿をお休みしました。すみませぬ。先々週末、木曽駒ヶ岳、霧ヶ峰、乗鞍岳、美ヶ原という日本百名山を4座登ってきたので、その間たまった仕事等に追われていたのでした。

きょうから、その報告。今回の旅のテーマはナウマンの偉業をたたえるです。

写真がどこかわかりますか。諏訪湖です。諏訪湖ときいただけでナウマンとのつながりがわかった人はなかなかの通ですね。

諏訪湖は、フォッサマグナの西端・糸魚川静岡構造線と中央構造線が交差する位置にあります。日本列島のヘソといってよいでしょう。今回の山行との関係でいえば、霧ヶ峰の山麓です。

たまたまそこに位置しているのではなく、中央高地の隆起活動と糸魚川静岡構造線の断層活動により地殻が引き裂かれてできた構造湖です。

このコースは以前にも経験したことがあるのですが、前回は諏訪湖をスルーしてしまいました。今回は、NHKジオ・ジャパンのシリーズにより日本列島のなりたちの理解が進んだので、是非、現地を訪ねてみようと思いました(八ヶ岳から遠望したことはありましたが)。

中央線の上諏訪駅を降ります。北側に改札口があるので、左折して線路沿いに行くと、さらに左折。線路をくぐると、むこうに諏訪湖が見えています。

モニュメントがあり、そこを抜けると諏訪湖の絶景が開けています。写真をみて、湖の向こう側の左手(諏訪湖南西側)には諏訪湖南岸断層群があります。同じく右手(諏訪湖北東側)には諏訪湖断層群があります。

湖を取り囲むように諏訪大社4社が位置しています。上社本宮、上社前宮、下社春宮、下社秋宮。諏訪大社は諏訪湖と密接な関係があるにもかかわらず、上社は諏訪湖からずいぶん離れたところに立っています。なぜでしょう。

諏訪湖には流入する河川がたくさんあるにもかかわらず、流出する河川は南西側の天竜川しかありません。土砂の堆積が進み、年々、面積が縮小しています。そのため、上社は離れたとこにあるのだとか。むかしは湖面に近く建てられていたそう。ごらんのとおり、写真でも湖面の縮小を実感することができます。

2023年7月3日月曜日

古傷が痛む

 


 さいきんNHKの番組をみているとジオブームだ。ジオというのはむかしの地学である。日本(や世界)の絶景を紹介する際、その成り立ちとして必ずジオ的な解説がなされる。

このようなブームが生じているのは、プレートテクトニクス研究の進展が寄与している。大陸プレートに対する太平洋プレートやフィリピン海プレートの沈み込みにより、なんでも説明ができてしまう。ほんとうだろうか。

たとえば、瀬戸内海の成り立ち。瀬戸内海の漁師の家々にはナウマンゾウの化石が飾られている。漁の際、網にかかったものだ。なぜ、ナウマンゾウの化石がかかるのか?

それは昔、瀬戸内海が陸だったから。そこでナウマンゾウが暮らしていたから(ちなみに、フォッサマグナなど日本列島の地学やナウマンゾウの発見は明治期のお雇い外国人ナウマンの功績によっている。)。ではなぜ、瀬戸内海は水没してしまったのか?

日本地図で四国と和歌山県をいっしょに見ると、吉野川流域から紀ノ川流域までが東西に一直線をなしていることが分かる。


この線は中央構造線と呼ばれる。日本列島はユーラシア大陸の東端が2か所ひきちぎられ(それも太平洋プレートの沈み込みの力学による)、その2つの陸の断片が現在の日本列島がある位置でドッキングした。それが日本列島の原型である。その際ドッキングした線が中央構造線である。そのため、線の南北で地質が違う。

フィリピン海プレートは南から北上してきたのであるが、日本列島の手前・南側で太平洋プレートにジャマされて北西に向きを変えている。そのため、日本列島(とくに中央構造線の南側部分)はフィリピン海プレートから北西方向へ絶えず圧力を受けている。

その結果、ときどき、中央構造線から南側部分が西へ向けてズレるのである(南海トラフ地震の原因でもある)。これが古傷が痛むというやつである。

瀬戸内海の瀬戸とは、狭門であり、水陸の狭くなっているところである。瀬戸内海をよくみると、瀬戸と灘が交互に存在している。東から淡路島、播磨灘、小豆島・瀬戸大橋があるあたりの島嶼、燧灘、しまなみ海道があるあたりの島嶼・・。


なぜ、そうなっているのか?中央構造線の南側部分が西へ向けてズレた際、構造線の北側部分がシワになった(褶曲した)から。そして、あるとき、鳴門のあたりから太平洋の水が瀬戸内海に流入したのだ。・・という。

古傷が痛むのはジオにかぎられない。アメリカ社会の分断も、古傷が痛むためである。その根は奴隷制度、その後の人種差別の歴史からきている。

米連邦最高裁が、中絶の自由を否定し、大学入学選考で黒人など人種考慮は違憲と判断した。背後に横たわるのは、アメリカ社会の分断だ。

貧すれば貪す。金の切れ目が縁の切れ目。経済がうまくいっているときは、余裕ある態度をとることができる。しかし、経済がうまくいかなくなると、急に態度が冷たくなる。人間のサガ。

経済的な圧力が強くなると、むかしの古傷が痛みだす。アメリカ社会の分断から離婚事件まで根はひとつだ(ザックリまとめすぎか?)。

2022年11月22日火曜日

眉山眺望

 


 極楽寺からは来た経路を徳島駅に戻る。駅から徳島市街を10分ほど西へ歩くと眉山の麓だ。街と山が近い。

麓には阿波踊り会館がある。その5階が眉山ロープウェイの山麓乗り場。乗って6分ほどで山頂駅に着く。家族連れが楽しそうだ。

山頂展望台からは絶景。東側には、すぐそこに徳島市街がひろがっている。右手前のこんもりしたところが徳島中央公園。むかし徳島城があったところ(徳島駅はその手前)。

幕末には藍産業が発展し、国内10指に入る人口を擁したという。1972年のNHK連続テレビ小説は「藍より青く」。真木洋子主演。青は藍より出でて藍より青し。出藍の誉れともいう。弟子のほうが先生より優れていることをいう(出典は荀子)。

徳島市は水の都と呼ばれている。手前を新町川、むこうを助任川が流れている。両河川の間にある市街はひょっこりひょうたん島の形をしている。クルーズ船で遊覧もできるらしい(観光案内所推し)。

市街のむこうを流れる大河は吉野川。石鎚山のお隣、瓶が森に端を発し、紀伊水道に注いでいる。三大暴れ川の一つである。しらさぎ大橋が架かっている。

地図をみると、吉野川は紀伊水道をはさんで和歌山の紀ノ川と一直線に連なっていることが分かる。中央構造線だ。中央構造線は太古、別々の島(プレート)だった日本列島の北側と南側がこの線でドッキングしたあとである。日本神話がこの事実を示唆しているとすれば、太古の記憶だろうか。

吉野川のむこうは鳴門。小鳴門橋、大毛島、鳴門海峡・鳴門大橋を経て、淡路島である。瀬戸内海はむかし陸だったらしい。中央構造線を境として、南側のプレートが西にズレた際、紀伊水道から太平洋の水が流入した・・という映像をNHKでみたことがある。

南には南小松をへて、きょう午前中に赴いた阿南にいたる陸のつながりが見渡せる。ひるがえって北には、吉野川のむこうに讃岐山脈が連なっており、その麓あたりがきょう午後に訪ねた第一、第二札所あたりが見渡せる。

日が傾いてきて、眉山の影が徳島市を覆っていく。西側を眺めると、四国山地の山並みに日が落ちていく。日本百名山の剣山(1955m)のあたりだろうか、日が沈む。すばらしい一日に感謝。