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2025年3月5日水曜日

倉敷~岡山城~尾道~福山城の旅(5)福山城


 ネット検索の時代である。昼ご飯は本通り商店街からちょっとはずれたところにある広島風お好み焼き屋に入った。口コミでは店主の客あしらいが悪いとけなされているが、評価は4.2とまずまず。これは味は大丈夫という意味だろうと判断し、間違っていなかった。

 さて残り午後の時間をどうしよう?選択肢としては鞆の浦と福山城である。孫連れでもあるので福山城とし、JR線で福山駅まで引き返した。

 

 福山城は福山駅のすぐ北側。道路一本渡ればもう南門へ至る坂である。南門を入ると伏見櫓。天守閣とみまがうばかりだが櫓(やぐら)である。慶長年間に建てられたと推定される伏見城の櫓を1620年に移築したもの(現存)。なぜ、そんな立派なものを移築することができたのか。

 福山城築城まで福山という街はなかった。築城したのは徳川家康の従兄弟の水野勝成。毛利など西国の有力外様大名に対する抑えとして築城。徳川の威信を示すため、幕府の全面的なバックアップが得られたのである。


 もちろん天守閣に登る。残念ながら天守は空襲により焼けてしまっている。昭和41年に復興。

 南側を望むと福山駅が見える。福山駅は昔の三の丸あたり。新幹線や在来線に乗って福山駅に来ると、もれなく旧福山城に入城したことになる。 


 福山駅のさらに南の景色。赤い広告塔がたつ天満屋のビルの左肩あたりが鞆の浦。鞆の浦は近年(でもないか)、ジブリ映画『崖の上のポニョ』で有名になった。

 瀬戸内海の東西から潮が合流する場所で、古来、海上交通の要衝であった。大宰府をめざした大伴旅人、その先唐をめざした空海、最澄が通った。また室町幕府発祥と終焉の地であるとされる。近世では陸上交通の要衝として上記のとおり家康の従兄弟が支配・鎮護した。

 水野勝成はすこし変わりものだったようだ。仕える殿をつぎつぎと変え、家康にも叱られたりした。しかし最後は家康の側近となりこの地を委ねられたのだから、大器晩成といってよいだろう。


 西方。勝成は毛利ら有力外様大名の圧を感じたことだろう。


 北方。


 北面壁には全国唯一、鉄板が張られている。令和の大普請で復元されたもの。こちら側は堀がなかったため防備を固める必要があったためという。

 やはり兵どもが夢のあと。

2021年12月15日水曜日

古市古墳群訪問記

 






 槙尾山の翌日は、古市古墳群を訪れた。大阪平野の中央部に、百舌鳥・古市(モズ・フルイチ)古墳群がある。堺に百舌鳥古墳群、羽曳野市・藤井寺市に古市古墳群が分布している。

4世紀後半から6世紀前半にかけて、この地域に古墳が200基も作られた。2年前に世界遺産に登録されている(1番上の写真)。

200基もあるので、とても一日ではまわれない。大仙陵古墳(仁徳天皇陵)のある百舌鳥古墳群のほうが有名であろう。が、道明寺や葛井寺にも寄ってみたかったので、古市古墳群のほうをまわることにした。

JR天王寺から近鉄阿部野橋に向かう。近鉄南大阪線に乗り、古市で降りる。藤井寺、土師ノ里、道明寺、どこからでもまわれるのであるが、たまたま急行が先発だったので古市で降りた。

古市は羽曳野市だ。羽曳野の名は古代の英雄ヤマトタケル(日本武尊)に由来する。死後、白鳥となってこの地に舞い降り、天高く飛び去ったようすが「羽を曳くが如く」だったという(古事記、日本書紀)。

古代の官道である竹内街道が市内を東西に貫いている。源平合戦などで源氏というときは、河内源氏のことをいうが、ここは河内源氏・頼信の本拠地でもある。

駅前を西に向かう。白鳥の交差点を南に折れ、竹内街道を西に折れる。入口に「日本武尊御陵参拝道」の石柱がたっている(2番目の写真)。

まもなく白鳥陵古墳。先のヤマトタケル伝説から羽曳野市の名前の由来となったもの。住宅地のなかにあり、のどかだ(3番目の写真)。

日本最初の歴史書は古事記と日本書紀。8世紀初めに編纂された。それより前は歴史ではなく、中国の魏志倭人伝などの断片的記載を除き、口承や考古学の時代である。

ヤマトタケルが活躍した時代を西暦に機械的に換算すると1世紀らしい。白鳥陵古墳が築造されたのは古墳時代中葉だから5世紀ころか。300~400年のズレがある。

古事記や日本書紀が編纂された時代からみて300年前のことである。われわれからみて江戸時代中期の話である。よく分からないというのがほんとうのところだろう。

白鳥の交差点まで戻り、北(市役所方面)へ向かう。左手に墓山古墳がある。ミズナラだろうか、茶色く黄葉している(4番目の写真)。

さこから北東をめざすと誉田御廟山古墳がある。実際の被葬者は明らかでないが、またの名は応神天皇陵だ。

外濠部が畑に浸食されたりしていて測るのが難しいが、墳丘長は約420メートル。大仙陵古墳に次ぐ大きさであり、日本第2位の大王陵である。大きすぎて、ドローンでも飛ばさないかぎり、地上からでは一枚の写真におさまりきれない(5番目の写真)。

写真はかろうじて前方部の一角(北西角)が写っている。奥の方、後円部ははるかかなただ。右奥は二百名山の金剛山。前方部は山を指している。まるで、山をめざせという指示アイコンのようだ。

さらに北に行くと古村(室)山古墳がある(6番目の写真)。誉田御廟山古墳は柵があって立入禁止だったが、こちらは立入自由で公園になっている。親子が球技をして遊んでいる。被葬者もこのほうが毎日楽しいのではなからろうか。

そこから西に行くと、岡ミサンザイ古墳(7番目の写真)。これも実際の被葬者は明らかでないが、仲哀天皇陵に治定されている。

仲哀天皇はヤマトタケルの子、また神功皇后の旦那さまである。そのため、香椎宮に祭られていたりして、九州ともご縁がある。

2017年11月22日水曜日

武士の情けはいずこ(福岡県弁護士会の法律相談帰り)


         (傾山頂から夕暮れの祖母山)

 福岡県弁護士会は,天神法律相談センターだけでなく,サテライトと呼ばれる地域の相談センターをもっています。どこの法律相談を担当するかは登録制です。私は宗像市に実家があるので,宗像の相談センターにも登録しています。

 その日は夕方4時から7時までの担当でした。帰りは最寄りの東郷駅からJRです。快速に乗り遅れたので普通に乗りました。東福間駅で,若い女性が携帯電話を片手に泣きじゃくりながら乗ってきました。どうやら,電話の相手は交際中の男性のようで,それからえんえんといわゆる修羅場を演じています。

 ま,青春,そういうこともあるでしょう。話がついてから電車に乗ればいいような気もしますが,動転していて判断ができなかったのでしょう。そういうこともあります。

 しばらくすると,彼女を遠巻きにするように,男子高校生が同じ車輌に集結してきました。これはいただけません。いまどきの若者,武士の情け,見て見ぬふりができないのでしょうか?
                         H.U.


2013年5月31日金曜日

カードあれこれ






先日の東京出張のおり
山手線のなかをウロウロしました。

その際感じたのは交通系カードが
全国一本化され便利になったこと。

ボクは「ニモカ」しか持っていないので従来
モノレール,JRはOKだけれども,地下鉄はダメでした。

それが地下鉄もOKになったので
とても便利でした。


さいきんは飛行機のチェックインも
携帯電話でやっている人がいます。

さすがにあれはいまのところ
ようしきりません。

そもそも携帯電話での支払いを
ようしきりません。

原理的にはカードとおなじなのでしょうが
生理的に不安です。

こうして世の流れから
取り残されていくのでしょうか。


きのうジュンク堂で
NHK制作のDVD『百名山』を購入。

いつもどおり,ジュンク堂のポイントカード「honto」
を提示しました。

すると,女性の店員さんが
「DVDには使えません」。

え~っ,と説明書きを読むと
たしかにそう書いてある。

でも
なんで?

などと店員さんと会話したのでした。
ポイントより,こちらのほうが楽しかったりして。


セブンでは
「nanaco」というカードを使っています。

これだと1円単位のおつりをもらわなくて済む
というのが最大のメリットです。

今朝のこと,いつもどおりカードを提示すると
店員がけげんな顔をして固まっています。

あれあれ新人さんかな?と思って手元をみたら
JCBのカードでした。

セブンの接客マニュアルには,このような客の
あしらい方はどうも書いていないようですね。

「お客さま,517円のお買い上げですが
JCBカードで決済されるということですね?」と聞けばよいものを。

そうすれば
「あ~ごめん,ごめん。カードの出し間違い。」となるのに。

こちらは男性店員だったせいか
採点が辛口になりました。あはは。

2013年5月7日火曜日

ゴールデンウィークはどちらへ?






ゴールデンウィークが
終わってしまいましたね。

みなさんは
どこかへ出かけましたか。

それとも
家でごろごろしていましたか。


ボクはテントをかついで
九重山に出かけました。

宿をとるのもたいへんだし
人がおおいのも嫌。

そんなものぐさな人には
九重山でキャンプはうってつけ。

ことしのように
好天が予報されていれば,なおさら。


登山口のある長者原までは
JRとバスの乗りつぎ。

長者原から雨ガ池を越えて
キャンプのできる坊ガツルへ。

坊ガツルはラムサール条約登録湿地で
広々とした空間が心をゆったりさせてくれます。

ちかくには法華院温泉があって
日帰り入浴ができます。


翌日は
大船山に登りました。

リンドウが足下いちめんに
咲きみだれ

ムシカリが雪を乗せたような花を
咲かせていました。

2011年9月14日水曜日

 金峰山(2,595m)



 JR信濃川上駅をおりると
 川端下(かわはげ)行きの村営バスに乗り込みました。

 登山者は3人で
 あとは村内のおじいちゃん、おばあちゃんたち。

 あちこちで乗客が降り
 終点でおりたのは千葉から来た登山者と2人。

 そこから千曲川の源流である金峰山川沿いに
 コースタイム75分で金峰山荘・廻目平キャンプ場に着く。

 ここでお昼。
 トレッキングらしい人たちが3パーティ20人ほど。

 西股沢沿いにコースタイム75分で中ノ沢出合
 そこから尾根に登りコースタイム110分で金峰山小屋。

 きょうの宿泊小屋。
 真っ黒い犬が出迎えます。

 荷物を置いて
 山頂まで往復35分。

 最初はガスっていましたが
 遠来の客をもてなすため、急遽ガスを払ってくれました。

 山頂は山梨県と長野県の県境で
 奥秩父の主脈。

 古くから信仰の対象となっていたらしく
 蔵王権現が祀られています。

 山頂からは眼下に五丈岩が印象的
 どこからみても金峰山とわかるランドマークになっています。

 小屋に戻ると山ガールが自炊中。
 この日の宿泊者は先ほどの千葉の男性と3人でした。

 山も秋をむかえ
 静かに暮れていきます。

 

2011年9月13日火曜日

 JR小海線・信濃川上駅




 百名山に登る醍醐味には
 途中のアプローチの旅の楽しさも含まれています。
 
 写真は、JR小海線(こうみせん)・信濃川上駅の
 二宮金治郎(尊徳)像。

 JR小海線は、山梨県の小淵沢駅から長野県の小諸駅までを結び
 「八ヶ岳高原線」の愛称が付けられています。

 新宿駅から中央線を特急あずさ号で小淵沢駅まで。
 甲府あたりから、前方に南アルプス、鳳凰3山、右前方に八ヶ岳が。

 小淵沢駅で小海線に乗り換え。左手に八ヶ岳の山麓を見ながら北上。
 甲斐小泉からは標高1000mを超える高所。

 清里~野辺山間には標高1375mのJR鉄道最高地点。
 野辺山駅は標高1345mで、JR線最高駅。
 
 そのせいか、清里の手前で2度もシカが線路を横切ったため
 列車は減速し、前方を見ていた乗客からは歓声があがりました。

 多くの乗客は清里辺りで下車しましたが
 私は金峰山に登るため、信濃川上駅で下車。

 無人駅のため、ワンマンカーの先頭車両の運転主席横で
 乗車賃を精算して下車。

 のどかな山駅風景のなかに
 二宮金治郎(尊徳)像が立っていました。

 二宮尊徳は江戸時代後期に「報徳思想」を唱えて
 農村復興政策を指導した農政家・思想家。

 むかし小学校の旧校舎にも
 立っていました。

 現代日本における東北の復興に
 力を貸していただけるよう、お祈りをしました。