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2024年4月18日木曜日

ちくし法律事務所の春研修@嬉野温泉

 

 本年度も、ちくし法律事務所の春研修をおこなった。もう38年やっている。前年度の業績や課題を確認し、次年度の課題や担当を確認する。

法律事務所をめぐる環境は年々変化している。38年前と比べると激変している。

そうしたなか、弁護士の使命としての人権擁護・社会正義の実現をはかり、地域に根ざしつつ、持続的な発展をとげなければならない。言うは易く行うは難し。そのため、年に一度は2日間をかけて議論を尽くす。

ことしも耳の痛い議論が多かった。しかし、耳の痛い議論ができることはよいことだ。耳の痛い課題は解決できていないが、少なくとも耳の痛い意見をいえる環境は整っているということだ(そうかな?)。

耳の痛い議論ばかりやっていると疲れるので、合宿はリラックスできる場所でおこなう。ことしは嬉野温泉だ。12年ぶり。美味しい食事をして、美人の湯にも入る。つるつるする。癒やされた。

翌朝、温泉街を散歩した。写真は豊玉姫(トヨタマヒメ)神社。姫は神武天皇の祖母。日本百名山である祖母山は、豊玉姫が降臨したとして、そう呼ばれる。

宝満山に降臨した玉依姫(タマヨリヒメ)とは姉妹の関係である。いつも妹さんの山にはお世話になっています・・・。礼拝。

豊玉姫は、海神わたつみの娘。竜宮に住む。浦島太郎を接待したのは彼女だろうか。

豊玉姫はじつは「八尋の大ワニ」である。一尋(ヒロ)は1.8メートルだから八尋は14.4メートル。ワニというよりクジラのサイズ感である。因幡の白兎にでてくるワニはサメだというから、サメかもしれない。

合宿のあとは、西九州新幹線に乗り、長崎へ向かった。薬害肝炎九州原告団総会に出席するためである。総会では八尋の大アニ※が待ち構えていた・・・。

※八尋光秀弁護士、大兄貴分

2023年6月28日水曜日

指示代名詞急増中!まだ笑うところじゃないから!

 
(ちくし法律事務所1階執務室風景)

 わが事務所の秘書さんたちは優秀だ。「あの人の記録あるかな?」と言っただけで、その記録がでてくる。指示代名詞だけで通用する。阿吽の呼吸とはこのことだ。

ときどき「なんでわかったの?」と尋ねたくなる。こちらの頭のなかが正確に読まれているということだ。かのじょたちは連想ゲームに強いにちがいない。

最近は「あれ誰だっけ?」とか、「あの資料のことだけど?」など、当職の指示代名詞が急増している。かかる状況に対し、さすがに対応しきれない事態もときに発生している。

先日も、ある事件の相手方の弁護士の名前が思い出せなかった。いつもどおり「あの相手方の弁護士は誰だったっけ?」と問いかけたところ、「石井先生でしょうか?」との回答だった。

一瞬頭のなかが空白となったものの、「そうそう梅田先生だったね。」と返した。すると、事務所の1階フロアが大爆笑につつまれた。

医療問題研究会という弁護士グループに所属している。医療過誤訴訟は難しいので、みなで知恵を出し合い乗り越えていこうという会である。薬害エイズ、らい予防法違憲、薬害肝炎など困難な集団訴訟も中核はみな研究会所属弁護士がになっている。

なかでも小林弁護士は医療にくわしい。医者よりくわしい。あるとき、かれが虫垂炎になったことがあった。

腹痛をおぼえて済生会病院を受診したところ、医師はただの腹痛だから帰宅するように言った。しかし、かれは虫垂炎であると訴え、がんばって入院させてもらった。翌朝なんと、かれの自己診断が正しかったことが判明した。

かれが自己診断の根拠にしたのは、ブルンベルグ徴候である。普通の腹痛は押すと痛い。しかし、虫垂炎のときは、押すときは痛みはなく、離すときに痛みを感じる。人間の体は不思議だ。

さいきんのわが記憶もそうだ。なんだったっけ?と、意識的に記憶のネットワークをさぐっているときは、きまって思い出せない。しかし、他のことに意識を向けた瞬間、記憶が蘇ってくるのだ。

このときもそうだ。「あの相手方の弁護士は誰だっけ?」という問いかけに集中していると、いつまで経っても思い出せない。しかし、「石井先生でしょうか?」と返しがあったために、「それはちがうな。」と頭が反応した。その結果、あら不思議!?梅田先生の名前が浮かんできたのだ。間接アプローチという、そうとう高度な阿吽の呼吸。

翌日。れいによって「あれ誰だっけ?」と問いかけたら、他の秘書さんが早くもクスクス笑い出した。「ちょっと待てよ。」(キムタクふうに)「まだ笑うところじゃないから!」

2023年6月7日水曜日

薬害肝炎九州原告団総会@岡山(2)倉敷美観地区・大原美術館

 



 薬害肝炎九州原告団総会2日目は、倉敷美観地区・大原美術館の視察。

薬害肝炎原告団は、薬害の再発防止策の一環として、薬害資料館の設置を政府に対し求めている。

これまで水俣病資料館やハンセン病資料館などを視察してきた。こんかいは総会が岡山開催となったこともあり、最寄りの大原美術館を視察することにした。

倉敷美観地区にあり、古代ギリシア(イオニア)ふうの外観。近くからはもちろん、路地からでも、目立つ存在である。

倉敷の実業家大原孫三郎が昭和5年に設立、日本最初の私立西洋美術館。館長は高階秀爾氏、理事長は大原あかね氏(孫三郎の曾孫)。マスターピースはエル・グレコの「受胎告知」ほか。

この日、G7・労働雇用大臣会合の会場となっていたため、大忙し(ずいぶん前にアイビースクエアを予約しようとしたらダメだったのは、こういうことだったのか)。

そうしたなか、わが事務所の迫田登紀子弁護士と理事長が一橋の同級生ということで、美術館の理念や歴史を特別にレクチャーしていただいた。筆頭学芸員によるもので、明瞭な解説とはこういうものだというお手本。

大原孫三郎は、一方で、クラボウ、クラレ、中国銀行、中国電力の前身などを創業・社長を務めるなどして大原財閥を築き上げた。

他方、文化社会事業にも熱心に取り組み、大原美術館をはじめ、各種病院や研究所を設立している。今回、美術館がG7・労働雇用大臣会合の会場となったのは、そのような歴史に鑑みてのことだという。

九州の炭鉱王たちも、芸者をあげたりお札に火をつけたりするんじゃなくて、そうした文化社会事業に熱心にとりくんでいてくれたらなぁ。そうすれば、もっと近場で西洋美術に親しむことができたのに。

大原美術館ほどのものとなれば悠々自適と思っていたのだが、そうでもなく、これを引き継いだ歴代はそれぞれ創意工夫しつつ継承されてきたのだなと実感することができた。

美術館視察に先立ち、倉敷美観地区を観光した。集合時間より1時間ほど先に現地に到着したので。

ボランティアガイドのおじさんに案内を依頼。ボランティアといいつつ、500円徴収(いくら支払っていいか分からぬまま最後に謝礼をいただくより、最初から明瞭会計のほうがお客さまのほうも安心できてよいのだとか)。

40代からもう40年もこの仕事をなさっているという。さすがに説明がこなれていて、お上手。各地の観光地から呼ばれ、ボランティアガイドとは?という講演をなさってきたという。

彼からは、美術館側から聞けなかった孫三郎のやんちゃな側面も聞くことができた。人物や歴史は多面的。やんちゃな側面を知って、より孫三郎を尊敬するようになった。

2023年6月5日月曜日

薬害肝炎九州原告団総会@岡山(1)後楽園・岡山城ほか

 




 薬害肝炎九州原告団総会@岡山に参加した。薬害肝炎は大筋解決したものの、薬害教育、薬害資料館建設など再発防止対策などをなお議論している。

なぜ岡山なのか。九州原告団なのだけれども、中国地方にも原告さんがいらっしゃるからである。みなさん、お元気そうだった。

会議は午後からだったので、午前中に岡山入りして観光した。駅前の桃太郎像からして親近感がわく。このところ、サルやキジが身の回りでワイワイしているからだ。

まずは駅前からバスで、後楽園へ。アフターコロナだろうか。団体旅行とおぼしき高齢者や学生でにぎわっていた。

つぎに旭川を渡って、お隣の岡山城へ。岡山は戦国武将・宇喜多直家・秀家以来の城下町。城中、その解説がしきり。インバウンドだろうか、外国人も多数。

その後、県美、市立オリエント美術館をめぐった。県美企画は和田誠展。週刊誌の表紙などを飾るイラストレーターだったが、きょうび、ジブリはもちろん、銀河鉄道999だろうがゲゲゲの鬼太郎だろうが美術館に展示していけないものはなくなった。

市立オリエントはお見それしましたという感じ。一点一点の豪華さでは大英博物館にひけをとるかもしれないが、系統だった学問性は勝るとも劣らないだろう。展示の立派さにくらべ来館者がすくないのが残念。さらなる残念は時間切れ。

昼食は西国街道沿いの昭和レトロなお店で。

2021年9月16日木曜日

才色兼備


  きょうもセブン・オブ・ナインの話題のつづきである。一昨日から美人ネタを書いているが、じつは心配しながら書いている。このようなブログを書くことが、弁護士会の倫理研修で注意されたセクハラにあたらないだろうかということである。

美人のことを書けば、自分はそうではないと思っている女性がどうせ私は・・・という感想をもつことは避けられない。しかしそんなことを言いだせば、美人という言葉を死語にするしかないという気もする。むずかしい。いけないのであれば、どなたか注意してくだされ。

 薬害肝炎の解決局面で、国会議員に対し解決への支援をお願いをしてまわった。ある美人弁護士とペアを組んでいた。ある党を代表する国会議員の部屋を訪れたところ、すかさず目を丸くして「天は二物を与えるねぇ~。」とおっしゃった。さすが、公党の代表ともなると、人を誉めるのもうまい、一瞬のためらいもない、天下一品だ。これぐらいうまいとセクハラにはあたらないのだろう。

 さてセブン・オブ・ナインは『スタートレック・ヴォイジャー』に遅れて搭乗した美人クルーである。おなじ美人クルーのケスより人気は上らしい。

その人気の秘密はどこにあるのか。セブンはもともと地球人だが、子どものころ異星人ボーグに同化された。全体主義の集合体に組み込まれてしまったのである。その結果、一方で個を失ったものの、他方で、個人では得られぬ明晰な論理的思考力や知性を手に入れることができた。

それがジェインウェイ艦長の決断により、ヴォイジャーの一員として迎え入れられた。ボーグの属性と地球人の属性は正反対であり、当初、そのズレが笑いをうんだ。そして少しずつボーグの属性を脱し、地球人としての属性を回復していく。その健気な姿が彼女の人気の源泉だろう。

ボーグの属性とは何か。ボーグは知性が発達している。だから地球人の論理的でない行動様式が理解できない。他のクルーが地球でのしきたりを細々と説明するけれども、セブンは「理解不能だ」と一蹴してしまう。

またボーグは全体主義の集合体であるから、意思や思いを伝えるうえで地球人のようにコミュニケーションに頼る必要がない。電気信号のように一瞬でこちらの思考は相手に伝わる。ところが地球のやり方はそうではないので、そこに悲喜劇が生まれる。

ある男性クルーが好意を伝えようとしてもぞもぞとしている。すると、セブンは「おまえは私と交接がしたいのか。ではあちらに行こう。」などと言う。言われた男性としては、そうあからさまに言われては気分が失せてしまう。

じつはわれわれの業界にはセブンに似た人がすくなくない。最高学府で教育を受け、頭の回転が速く、抽象的思考を操作することに長けている。

しかし他方で、人の気持ちを理解するのに鈍感で、かつ、コミュニケーションが下手なのである。こういえば、業界人であれば、「あー、あの人とあの人とあの人ね。」というくらいはっきりしている(最高学府人生と呼ぼう。)。

もういちど母のお腹に戻ることができて、神様から「どっちがいい?」と訊かれたら、最高学府人生は選ばないだろう。

天は二物を与えず。そして意外と公平なのかもと思う。

2021年6月4日金曜日

岩手山・蔵王山の登山記


 それではぼくも近況報告。といきたいところですが、きょうは13年前の話、遠況報告です。

伊達の大木戸を越して宮城県に入ると、最初の町は白石(しろいし)です。白石はおくのほそ道の旧跡としてより、蔵王山の麓の町として有名です。東北新幹線の駅名も白石蔵王駅です。

この駅は2008年9月15日にいちどだけ利用したことがあります。迫田学、迫田登紀子、石井謙一の各弁護士とともに、岩手山と蔵王山に登った帰りです。

どちらも日本百名山です。このころ百名山の踏破をめざすようになりました。百名山を踏破するには、いちどに2つ、3つの山に登っていかないと、一生のうちに登り終えることができません。とくに九州人にとってはそうです。

9月13日仙台で、薬害肝炎の全国原告団会議が開かれました。同年1月、被害回復法が制定され、政府との間でも被害回復に関する基本合意が結ばれており、仙台だけれどもなごやかな雰囲気でした。

会議を途中で抜け出し、われわれは一路北上し、秋田県の乳頭温泉を目指しました。宿のおかみさんから4時までにチェックインするようきつく言われていました。まかないの女性が近所の主婦らのアルバイトであり、遅くなると自宅の食事がつくれなくなってしまうという理由でした。

東北新幹線で盛岡を経て田沢湖駅へ、そこからタクシー。右手に秋田駒ヶ岳、左手に田沢湖、夕闇迫るなか宿につきました。5時をだいぶ回ってしまいました。

いま考えると、岩手山に登るのに、前泊を乳頭温泉にしたのは無謀。盛岡市内にすべきでした。東北の大きさを知らない者の計画です。

でも山菜料理に外湯は至福。あまりの気持ちよさに外湯のベンチで湯冷ましをしているうちにウトウトしてしまいました。

翌朝、盛岡に引き返し、そこから岩手山へ。岩手山は盛岡から見ると富士山のように見えます。

NHK朝の連ドラに「どんど晴れ」がありました。オープニングで、手前に一本桜、奥に岩手山が美しく配され、印象的でした。主演の比嘉愛未も美しく可愛かったです。深きょん休養にともなう代役も、がんばってほしい。

岩手山は名前のとおり、岩手県の百名山。岩手県と言えば『遠野物語』、座敷わらし、宮沢賢治とイートハーブ。旧新の童話、むかし話のふるさとです。

「どんどはれ」は昔話のおしまいのことば「めでたし、めでたし」とおなじ意味です。福音館の絵本にもいくつか「どんどはれ」のエンディングがあったような。「見えないものを信じる勇気と力」は、「星の王子さま」の専売特許ではありません。

われわれのコースは、馬返し登山口→不動平→薬師岳(最高峰2038m)→焼走り登山口でした。山頂から、北にはやはり百名山の八幡平、南東にはおなじく早池峰山を望むことができました。

早池峰は、遠野の北にあり、遠野物語に出てきます。たしか妖精やら精霊やらが住んでいます(八幡平、早池峰の登山記は別の機会に。あんまり脱線していると、師匠に叱られるので。)。

山頂で食べた秋田こまちのおにぎりは絶品でした。水がおいしいと米はおいしい。地元の米を地元の水で炊くとこんなにおいしいのかと感動しました(米は流通にだすと、いろんな混ぜ物をするのでおいしくないともいいます。)。

下山して盛岡駅についたのはやはり午後5時くらいだったでしょうか。蔵王温泉の宿になんどか電話して、遅参することをわびました。

ここでもわれわれは計算違いをしていました。いまのようにナビタイムで時間計算ができないし、時刻表を丹念に見る習慣もありませんでした。日本地図をざっと見て1時間もあれば行けるかなと思ったわけです。計画がズブズブ。

蔵王温泉宿に着いたのは9時ちかかったでしょうか。旅館のおかみさんがあきれ顔で迎えてくれました。でも一言のぼやきもなく、さすがのおもてなしでした(たしか蔵王四季のホテル)。

翌日はロープウエイを使って地蔵山山頂駅まで。そこから、地蔵山→熊野岳(最高峰1841m)→馬の背・御釜→刈田岳→大黒天→遠刈田温泉→白石蔵王駅というコースでした。

蔵王のシンボルといえば御釜、火山湖がエメラルドグリーンに輝いています。蔵王は宮城県と山形県の県境にあり、御釜が両県のヘソになっています。宮城県の作家・伊坂幸太郎と山形県の作家・阿部和重が競作をしたことがあります。タイトルは『キャプテンサンダーボルト』。御釜が物語のヘソになっています。ご一読を。

いちど蔵王の樹氷を見てみたいと思うのだけれども、天気が悪くていまだ果たせていません。写真は2019年3月。吹雪のなか、地蔵山の地蔵さん。さすが念力がすごくて、雪のうえに賽銭箱を浮遊させておられます。どんど晴れ~。

2013年5月9日木曜日

ちゃんと働いています。






またまた更新されていない!
いつまで連休気分なのか?

え~かげんで
仕事せいよ。

とお叱りの言葉が
聞こえてくるよう。


きのうも更新できなくて
すみません。

でも遊んでいたわけではありません。
ちゃんと働いています。

この間,ブログの更新ができないのは
朝から面会(接見)に行っているせいです。


連休前に引き受けた国選の被疑者が
東警察署に留置されています。

東警察署は東区の貝塚にあります。
西鉄+地下鉄を乗り継いでいかなくてはなりません。

昼間は相談やら裁判やらあるし
夜は会議などがあるので,どうしても早朝になります。

それでブログを更新する時間と
重なってしまうわけです。


東警察署から福岡地方裁判所へ。
午前10時から民事裁判の初回弁論。

午前10時半から薬害肝炎事件の和解協議を
第2,第3,第6民事部と続けざまに。

古賀弁護士の事務所に移動
薬害肝炎事件のケース検討会議。

その後,裁判所の近所で昼食
蕎麦定食。


午後1時10分からは
福岡家裁で遺産分割調停。

午後4時から福岡地裁で
民事裁判の弁論準備。

急いで事務所に戻って
午後5時から事務所会議。

てな
具合です。


きょうも一日元気に働けることを
感謝しつつ。

2013年4月18日木曜日

映画『舟を編む』






映画『舟を編む』
みました。

昨年本屋大賞となった三浦しをんさんの原作
については前に書きました。

 玄武書房に勤める馬締くん
 が主人公。

 コミュニケーション能力が弱く
 営業部では「使えない」。

 辞書編集部にスカウトされ
 新しい辞書『大渡海』の編集に没頭するようになる。

 記号の羅列としての辞書ではなく
 言葉という大海原を渡る舟としての辞書。

 その編集を通じ,言葉を通じてつながる感覚を磨き
 同じ下宿の香具矢さんとも…。

この馬締のキャストとして松田龍平?
と思いましたが,なかなかよかったです。


フェイスブック上で友達が,原作と映画の関係を
熱く議論しています。

よかったとか
がっかりするとか。

最初から別物として鑑賞すべきでしょうね。
ボクはそうしています。

 企画15年の辞書
 はたして完成するのか?

 最後の校正作業に追われるなか
 穴が見つかり,作業をやり直すことに。

 
 アルバイトの学生を含め
 泊まりがけの合宿状態で突貫作業…。

薬害肝炎訴訟で最終準備書面を
書き上げたときの突貫作業を思い出しました。

分野を異なれど,人それぞれのミッションを
完遂しているときこそ至福のときなんでしょうね。

2013年1月31日木曜日

スカイの車窓から(3)





中央の埋立地の北が
○市。

憲法判例となった
地鎮祭事件の舞台。

南はおいしい牛で
有名な○○市。

薬害肝炎の知見をうかがうため
ドクターを訪ねていきました。

帰りに是非おいしいステーキを食そうと
さがすも,店がみつからず(残念)。




台風名で知られる
○○湾。

北の方に
○○市。

四大公害裁判
の舞台の一つ。

長良川,木曽川の
河口も見えています。






中央手前は
知多半島。

その根本に
逢妻川河口。

川をさかのぼると
三河八橋があります。

『伊勢物語』の
「かきつばた」の舞台。

    その沢に、かきつばた
  いとおもしろく咲きたり。

    それを見て
  ある人のいはく

    「かきつばたといふ五文字を
   句の上に据ゑて、旅の心をよめ」

    といひければ
  よめる。

       からごろも
    きつつなれにし
   つましあれば
   はるばるきぬる
   旅をしぞ思ふ

   とよめりければ、みな人
 餉の上に涙落して、ほとひにけり。





古くは遠淡海(とおつおうみ)
ともよばれました。

右手は武田信玄と徳川家康が
たたかった三方原。

おみやげは
うなぎパイ。





手前に大井川。
空からだと,簡単に越せます。

中央あたりが
焼津。

その北,安倍川をこえると
○○県の県庁所在地。

その北に久能山,三保の松原,清水港。
(翼の真下の指をまげたようなところ)

久能山は家康が葬られた
東照宮のあるところ。

三保の松原は
天女が羽衣をかけました。

2012年12月14日金曜日

大量の水にたちむかう





薬害肝炎を応援してくれた後輩Sくんが
フェイスブックによく投稿している。

いつもするどい感性をきらめかせながら
人生の一コマをスケッチする投稿がおおい。

先日は,こんな投稿をしていた。
(無断で引用する。すまぬ,許せ。)

 暗いところにある大量の水が苦手。
 というか、怖い。

 昨日の晩の夢に出てきたのは
 暗くて大きな誰も居ない実験室。

 大きなプールに氷水が
 満タンになった光景だった。

 もう、夢の中ながら
 猛烈に怖かった。

 今日はそんなのが
 出てきませんように。

脳内イメージを
つよく刺激される投稿だ。


頭にまず浮かんだのは
映画『サンクタム』。

『タイタニック』,『アバター』を手がけた
J・キャメロン監督の映画。

神秘的な大自然が広がる
南太平洋・パプアニューギニアの密林地帯。

どのトンネルがどこに通じているか把握できない
複雑に入り組んだ洞窟がそこにあった。

世界的に有名な探検家である
父と子やその他メンバーがこの洞窟にいどむ。

巨大サイクロンが襲来し
怒濤が洞窟内へ押し寄せる。

洞窟の唯一の出口は
完全に塞がれてしまう。

未到のトンネルが海へ通じている可能性に全てを賭けて
暗く冷たい洞窟を奥へと進んでいく…。

というアドベンチャー

×サスペンス映画だ。


Sくんの投稿にたいして
この映画を推薦しておいた。

大量の水という困難に立ち向かう
勇気をもらえるかもしれないから。


もちろん半分は
ジョークだ。

2012年12月4日火曜日

追悼・池永満先生(2)






薬害肝炎をやっている若手は
K賀K重弁護士から話しかけられるのを恐れている。

しんどいけれど誰かがやらなければならない
そういう課題をふってくるからだ。

しかしその恐怖は,池永先生から
話しかけられるのに比べるとまだまだだ。


95年のこと,裁判所の坂をのぼっていると
背後に気配を感じた。

ふりかえると
池永先生であった。

すると,唐突に
こういわれた。

月30万円の保障で
どうかな?

これは
そうとうやばい話である。

いつものAかBかという
選択肢が示されていない。

いきなり
条件の話である。

しかも
月30万円の保障?

なんの話でしょう?
(あっ,また術中にはまっている)

薬害エイズ福岡訴訟の
事務局長を引き受けてくれないか。

これが池永先生の
依頼であった。

医療被害の救済という場合
当然,薬害被害の救済もそれに含まれる。

当時,やっていた南九州税理士会訴訟や
水俣病訴訟などはいずれも未解決の時期だった。

それらを理由にお断りをしたが
ムダな抵抗であった。


薬害エイズ事件というのは
他に例をみないほんとうに悲惨な事件だった。

訴状の原告目録をつくるだけで
涙がとまらなかった。

原告の半分が鬼籍に入っており
ほとんどが10代で亡くなっていた。

それまでこの事件に関与していなかったことに
罪悪感をおぼえたほどだ。


薬害エイズは,東京・大阪訴訟が先行し
解決局面を迎えていた。

池永先生のお考えは,福岡でも提訴し,解決水準の
さらなる上積みを目指すというものだった。

しかしその後,方針をめぐって大激論となり
必ずしもこのような方針どおりにはいかなかった。

しかしこれにより,わが弁護士人生の
後半の活動分野がおおきく変えられた。

それまでどちらかというと
公害・環境型の事件がおおかった。

それが以後,大規模医療被害事件に
つぎつぎと取り組むことになった。

薬害エイズ訴訟の延長上には
ハンセン病訴訟,薬害肝炎訴訟が待っていたから。


こうして私も他の人々の例にもれず
池永先生の奔流につぎつぎとほんろうされた。

それは極めてたいへんではあったが
豊かな意味のあるほんろうでもあった。

このことは,おなじ立場におかれた
すべての人が認めているところである。


池永先生
ありがとうございました。

2012年3月26日月曜日

桜の島 by.薬害肝炎事件も手がける福岡の弁護士



 薬害肝炎原告団の総会が
 桜島の国民宿舎でひらかれました。

 まいとし,各県をまわりながら
 開催されています。

 佐賀,宮崎,大分,福岡についで
 鹿児島で5県目です。

 肝炎患者が安心して暮らせる社会の実現,薬害再発の防止
 薬害被害者全員の救済という目的を掲げて5年目。

 医療講演会をはじめ
 役員改選,今後の運動方針などをあつく議論しました。

 懇親会では,ことし和解が成立した人
 治療が奏功した人などにあたたかい拍手がおくられました。

 いまだ治療がうまくいかない人たちも
 来年は笑顔でおあいしたいと思います。

 総会までの時間
 桜島を散策しました。

 もうウグイスが鳴き,サクラが咲いていました。
 なるほど,桜の島でしたね。

                 ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2012年2月15日水曜日

『薬害肝炎裁判史』



 (霧氷。ライオンの親子にみえませんか?)

 きょうは午前10時30分から福岡地裁で
 薬害肝炎の個別救済に関する期日があります。

 私が担当していた原告さんの和解も
 成立する予定です。

 ながくかかりました。
 その理由はこうです。

 被害者はある大学病院で心臓の手術を受け
 その際に、フィブリノゲン製剤の投与を受けました。

 いわゆる糊としての使用で
 臓器の接着剤として使用されたケースです。

 おなじようなケースが
 その時期にもう一例ありました。

 問題は、これらの使用時期が新製品の販売時期と
 かさなっていたことです。

 新製品では加熱処理がなされていたため
 肝炎ウイルスに感染する危険性は少なかったとされます。

 そのため、被告の国と企業から
 新製品が使われたとの反論がなされました。

 当時の執刀医の大学教授も
 国や企業側に立って、新製品だったと証言しました。

 執刀医がそう証言したのですから
 絶体絶命の危機です。

 でもわれわれは、執刀医の証言が他のカルテの記載と
 矛盾することをつぎつぎに明らかにしました。

 その結果、裁判所から和解勧告がなされ
 本日、無事に和解が成立する運びとなったわけです。

 というわけで手前味噌ですが、きょうのお奨めは
 薬害肝炎全国弁護団による『薬害肝炎裁判史』(日本評論社)。

 私もⅢ 運動、第1章 全面解決を求めて
 第1節 集団訴訟における運動の意義(218頁以下)

 第2章 薬害肝炎救済法の制定(298頁以下)
 を書いていますし

 Ⅵ 座談会(366頁以下)にも参加していますので
 興味のある方はご一読くださいませ。

2011年12月27日火曜日

『クライマーズ・ハイ』(10) by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 今朝の朝刊トップは、原発の事故原因でした。
 「甘い津波対策 事故原因」

 「政府事故調が中間報告」
 「国・東電、冷却も不手際」

 見出しが並んでいます。
 日航機の事故原因報道もこんな感じだったでしょう。

 このようなニュースをスクープするかどうかとなると
 報道人としてはやはり大きな仕事だったのでしょうね。

 さて、薬害肝炎救済法の立法内容を調整するに当たって
 もっとも難しかったのはどこでしょう?

 普通は賠償額とかだと思いますよね。
 でも実際は「前文」の内容です。

 前文というのは、個々の条文からはわかりにくい
 法律の趣旨・目的を明らかにするもの。

 憲法の前文はとても有名なので
 知っている人もおおいでしょう。

  日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し
  われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と

  わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって
  再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し

  ここに主権が国民に存することを宣言し
  この憲法を確定する。 

 で、はじまるあれです。 
 このような前文は一般の法律にもあります。

 われわれは、本件が1万人以上もの被害者を発生させた薬害で、国の責任・
 反省に基づき、被害者全員の救済を行うことを明記するよう求めました。

 最大の焦点は、本件薬害の拡大責任のみならず
 発生責任まで認めて謝罪するかどうか。

 薬害肝炎の原因製剤であるフィブリノゲン製剤は1964年に承認され
 1978年にアメリカのFDAが承認を取り消した後も放置されました。

 でも、早い時期の責任をみとめた福岡地裁や名古屋地裁の判決でさえ
 承認時の責任までは認めていません。

 それゆえ、発生責任を認めた前文にするのは
 そうとう高いハードルでした。 

 マスコミの注目度もたかく、協議にはいる前から
 某社が「発生責任を盛り込まず」などと誤報を流していました。

 おそらく与党筋か議員筋からのリークでしょうが
 なぜ一言、こちらに確認する労を惜しんだんでしょうかねぇ?

 とまれ、与党側が提案してきた文言は、ほぼ現在の法文どおり。
 問題の部分はこう。

  政府は、感染被害者の方々に甚大な被害が生じ、
  その被害の拡大を防止しえなかったことについての責任を認め…

 どうです?
 さすがです。政治です。わかりますか?

 この文言は、被害の拡大責任だけを認めているようにも読めますし
 発生責任をも認めているようにも読めます。

 つまり、加害者側と被害者側で文意を読み分けようよ
 という妥協案なのです。

 誰が考えたのかしりませんが
 知恵者はいるものです。

 また、後に与党と弁護団とで法案骨子の合意をみたとして
 共同記者会見が開かれた際、こんなやりとりがありました。

 ある記者が与党PTに
 「前文は発生責任を認めたのかどうか?」と質問しました。

 われわれはこの質問に緊張しました。ファージーにしておく妙案を
 台無しにするおそれがあったからです。

 川崎二郎PT長の回答は「どこかの時点で薬害肝炎を発生させた責任が
 あることは間違いないでしょう。」というものでした。

 これもさすがです。
 内心ほっとしつつ感心しました。

 記者は、発生責任=承認時責任として質問したはず。
 これをとっさに個々の被害発生責任と読み替えて回答したのですから。  

 われわれとしても
 この妥協案に乗ろうと判断しました。

 これ以上無理をして
 元も子もなくすことは避けたかったからです。

 かくて最大の難所をなんとか乗りこえ
 一安心したことを覚えています。

 さて、長い長い前置きになりましたが
 ここからが本論。

 前文について与党と弁護団とのあいだで
 調整がついたあとのこと。

 クライマーズ・ハイ状態からアルコール・ハイ状態に移行するため
 われわれは永田町から赤坂見附へむかって歩いていました。

 携帯電話の呼び出しが鳴り
 相手は某社の知り合いの記者でした。

 運動のはやい段階から
 被害者の声を熱心に報道してくれていました。
 
 記者の要請は
 前文の全文をおしえてほしいというもの。

 他社は与党筋が情報を入手できるけれども同社はパイプが細いため
 弁護団から入手するほか手がないというのです。

 かなり長いやりとりをへて
 なんとかお断りしました。

 与党と弁護団との協議内容は
 他言禁止となっていました。

 弁護団から情報が漏れたことを口実にされ
 協議が流れてしまうことは絶対に避けなければなりませんでした。

 やむを得ないとは思うものの、なんとも後味が悪く
 その夜は心からくつろぐことができませんでした。

 翌朝刊は全社で
 前文の全文が報道されていました。

 与党筋からマスコミに流されたものでしょう。
 ま、こちらとは立場がちがいますから。

 某社もどうやら共同通信から
 情報を入手して落とすことは避けられたよう。

 いまでも、これが記者とおつきあいしていて
 いちばん後味が悪い思い出です。

 でも、われわれ弁護士は依頼人の利益を最大限守るのが仕事
 記者さんたちは真相を報道するのが仕事。

 たがいの理念・目的がちがうのですから
 ときに協力し、ときに反発することはやはりやむを得ませんよね。

           ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2011年12月26日月曜日

『クライマーズ・ハイ』(9)



 (羽田着陸前、東京湾、右手前はディズニー・ワールド)

 『クライマーズ・ハイ』というタイトルのもと
 思いつくまま書き連ねてきました。

 (8)で終わったかと思ったかたもいるかと思いますが
 残念でした。明日の(10)で完結予定です。たぶん。 

 2007年12月23日、福田自民党総裁が全員救済を表明
 議員立法による解決を与党に指示しました。

 議院内閣制のもとでは、国会で多数派をしめる与党の代表者が
 内閣総理大臣になります。

 当時、福田康夫さんが、自民党の総裁であり
 内閣総理大臣でした。

 薬害肝炎被害者の全員救済を政治決断するばあい
 総理として決断するのが自然でしょう。

 ハンセン病訴訟の際、控訴断念の政治決断は
 総理としての小泉純一郎さんがおこないました。

 ところが、薬害肝炎事件では、官僚筋の抵抗がつよく
 福田さんは総理としての決断ができませんでした。

 そこで、自民党の総裁として、当時の自民党・公明党に対し
 議員立法をつくって解決するよう指示したわけです。

 その意味で、政権にとって、ハンセン病訴訟の解決より
 さらに困難な決断であったことがうかがえるわけです。

 さて、われわれはすでに各地に帰参し
 原告のみなさんはそれぞれのクリスマスや歳末準備中でした。

 福田総裁から思いがけぬクリスマス・プレゼントを受け
 われわれは翌24日、東京にふたたび集結しました。

 福田総裁は全員救済を表明したものの
 事前にわれわれとの協議もなく半信半疑の心持ちでした。

 そこで会議をひらき、福田総裁が指示した議員立法の趣旨・内容について
 原告・弁護団の意見を急遽とりまとめました。

 本件が1万人以上もの被害者を発生させた薬害であり、国の責任・反省に
 基づき、被害者全員の一律救済を求める内容でした。

 これをもとに、われわれ弁護団の代表は与党(自・公)の政策責任者と
 都内某所で議員立法の方向性について協議をおこないました。

 与党政策責任者の先生方も戸惑っておられましたが
 われわれの意見と見解がおおすじ一致しました。

 このとき、おたがいの携帯電話番号を交換したので
 いまでも谷垣禎一先生や与謝野馨先生の番号が電話帳に残っています。

 年末もおしせまっていましたが翌25日、福田総理は原告団と面談
 お詫びされ、翌26日から立法作業が開始されました。

 年内合意にむけて、4年前のきょう26日から28日にかけ
 われわれは与党プロジェクトチームから4度、ヒアリングを受けました。

 与党PTのメンバーは川崎二郎先生、阪口力先生らでした。
 マスコミに知られないよう、これも都内某所でおこなわれました。

 裁判上の和解と立法との関係、金員の名目、金額、給付手続、請求期間など
 立法をするうえで必要な論点について、当方の意見を訊かれました。

 それぞれ難しい論点について、われわれも
 急ピッチで議論を重ね、決断をくりかえしていきました。

 われわれとしては全員救済による賠償金の増額がいちばん難しかろうと考え
 総額が大阪高裁の和解案とおなじになるよう配慮しました。

 しかし、そこはあまり問題にされず
 明日述べる論点がいちばん問題になりました。

 いずれにせよ
 貴重な経験と勉強をさせてもらいました。

 ま、間違いなく
 クライマーズ・ハイ状態だったでしょうね。

2011年12月22日木曜日

『クライマーズ・ハイ』(8)



 (あれ?どっかで計算まちがえたので、きょう2本目の記事)

 さて、2007年のきょう12月22日
 薬害肝炎弁護団は重大な岐路に立たされていました。

 同年9月7日、仙台地裁で敗訴
 大阪、福岡、東京、名古屋を含む5地裁の判決が出そろいました。

 われわれは司法解決を追求するため、同月11日
 一番先行していた大阪高裁に対し和解の場を設定するよう上申。

 これを受け、大阪高裁は同月14日、双方に和解解決の可能性を打診
 11月7日、和解勧告をしました。

 その間、大阪高裁を舞台に、あるいは、舞台裏で
 和解解決をめざして協議をつづけました。

 しかし、司法協議の道のりは
 どこまでいっても被害者を切り捨てる解決案でした。

 12月1日、われわれはやむをえず
 司法協議に見切りをつけ、全員救済の政治決断を求めることに。

 原告らは病をおして
 寒風吹きすさぶ街頭で全員救済を訴えました。

 それでも政治解決の扉は開かず、年の瀬も押しつまった20日
 原告団は年内の運動を打ち切り、それぞれの地域に帰郷することに。

 これを発表した厚生労働省司法記者クラブ室内には
 原告たちの嗚咽につつまれました。

 もちろん、われわれも
 原告とともに泣きました。

 各地に散った弁護団は2日後の22日
 テレビ電話会議をおこないました。

 その日の最大の論点は
 和解協議を打ち切るかどうか。

 より正確には
 和解協議を打ち切ったと社会に宣言するかどうか。

 協議継続派は、和解協議を打ち切った場合、政治決断がなされないと
 最高裁までのながく険しい道しかなくなるという危険を懸念。

 協議打切派は、和解協議を打ち切ったことを明らかにしないと
 政治決断をせざるをえない立場に政府を追い込めないという考え。

 そのころ、原告団はうちつづく運動に疲弊しきっていました。
 世論も潮目にあり全員救済されなくてもやむをえないという意見も。

 どちらも相当な困難がみこまれ
 難しい判断を迫られたのでした。

 甲論乙駁、怒号がとびかいました。
 (テレビ電話越しでしたが)

 私は協議打切派の急先鋒で
 怒号のおおくを分担してしまいました。

 われわれもクライマーズ・ハイ状態にあったでしょう。でも
 解決にとってどちらの道が適切かという問題意識は共通していました。

 結局、翌23日、福田総裁が全員救済を表明
 薬害肝炎のたたかいは全面解決へ向かったのでした。

2011年12月20日火曜日

『クライマーズ・ハイ』(6) by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 去年の今ごろ、『ノルウェイの森』は「魔の山」
 =阿美寮に登って下りてくる話だと書きました。

 『クライマーズ・ハイ』も、主人公・悠木が「魔の山」に挑みます。
 しかも2つ。

 ひとつは、日航機事故の報道=御巣鷹山
 ふたつは、谷川岳(衝立岩)。

 谷川岳のほうも
 779人(『クライマーズ・ハイ』)もが遭難死した魔の山。

 悠木は、1985年8月12日夕、谷川岳に向かおうとした矢先
 日航機事故の報に接し、こちらのほうの魔の山に挑むことに。

 しかもいつもの自由な行動は許されず、日航全権デスクに任命され
 リーダーとして会社組織を率いることを強いられます。

 大久保事件・連合赤軍事件の手柄をいつまでも自慢したい上司らは
 日航機事件を若手の手柄にさせじと妨害工作をしかけてきます。

 これまで気ままな友軍記者をやっていた悠木は若手とのパイプも細く
 彼らをうまく指導していけるか不安がいっぱい。

 悠木の所属する地方新聞社は、未曾有の大事件に取り組むには
 スタンスが定まりませんし、人的・物的装備も不足しています。

 悠木は生い立ちに引け目があり、自分の息子との関係をはじめ
 社の上司、部下らの人間関係にいまひとつ自信がもてません。

 こうした不安要素をいくつも抱えながら
 魔の山に果敢に挑んでいきます。

 『クライマーズ・ハイ』が刊行された2003年当時は
 先に書いたとおり、薬害肝炎事件を立ち上げたばかりのころ。

 こちらも1万人以上といわれる未曾有の薬害被害者を出した
 大惨事。

 原告団、支援者、若手弁護士や他地域の弁護団と協働しつつ
 被告の国や製薬大企業と裁判闘争をすすめていく必要がありました。

 なので
 悠木の巻き込まれた立場、心情にはおおいに共感しました。

            ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

『クライマーズ・ハイ』(5) by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 ジョギングをすると最初は苦しいばかりですが
 慣れると途中からふっと幸福感が訪れます。

 ランナーズ・ハイの状態ですね。
 むかし先祖が狩りをしながら幸せだったころの名残りでしょうか?

 これに対しクライマーズ・ハイは、登山者の興奮状態が極限まで達し
 恐怖感が麻痺してしまう状態のこと。

 大きなヤマ(困難)にぶちあたると、火事場のバカヂカラを出す必要からか
 われわれは興奮するように設計されているようです。

 しかし他方で、山は危険がいっぱいですから
 判断を誤りやすい危険な状態でもあります。

 クライマーズ・ハイは、登山家たちがそういう状態にあるのではないかと
 自分を戒めるための言葉のようです。

 司法修習の2年目の夏(弁護修習中、お盆直前)、1985年8月12日
 日本航空123便が墜落事故を起こしました。

 東京・羽田から大阪へ向かうジャンボジェットで
 群馬県の御巣鷹山の尾根に墜落。 

 乗員乗客524人のうち死亡者数は520人
 死者数は当時国内で最多、単独機では世界最多。

 亡くなった方が残した家族へのメッセージに
 涙しました。

 墜落までの恐怖の時間であってさえも
 家族への愛を表現する勇気をおしえられました。

 この事故がわれわれにさらに鮮烈な印象を残したのは
 奇跡的に4人の生存者がいたことでしょう。

 少女が救出された際の映像が
 いまも想起されます。

 事故以降、なんども福岡と東京を飛行機で往復しましたが、その都度
 たとえ墜落しようと人間らしく生き、あるいは死にたいと願いました。

 この事故に遭遇した群馬県の地方紙の記者・悠木とまわりの群像を描いたのが
 横山秀夫さんの『クライマーズ・ハイ』(文藝春秋 2003年)。
 単行本が出版されたのが薬害肝炎事件を提訴した年の夏です。
 もちろん読みました。

 薬害肝炎救済法が成立した2008年
 夏に谷川岳に登り、その際にも文庫で再読しました。 

 佐藤浩一さんでテレビ・ドラマ(NHK 2005)
 堤真一さんで映画(2007)にもなりました。

 このキャスティングだけで
 観てみたくなったでしょ?

                   ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2011年12月9日金曜日

『平成猿蟹合戦図』



 吉田修一さんを知ったのは
 どちらの作品だったか?

 仲間由紀恵さん主演でテレビドラマになった
 『東京湾景』(新潮社2003)だったか?

 そのころ薬害肝炎訴訟を提起。
 東京での会議の際、モノレールのなかで読んだ記憶が。

 それとも芥川賞を受賞した『パークライフ』(文藝春秋2002)
 だったか?
 
 これも東京・弁護士会館での会議がはじまる前の時間
 日比谷公園で読んだ記憶が。

 それから、『最後の息子』(文藝春秋1999)
 『熱帯魚』(文藝春秋2001)

 『パレード』(幻冬舎2002)
 『日曜日たち』(講談社2003)

 『ランドマーク』(講談社2004)
 『7月24日通り』(新潮社2004)

 『初恋温泉』(集英社2006)
 『悪人』(朝日新聞社2007)
 
 『静かな爆弾』(中央公論社2008)
 『元職員』(講談社2008)

 『さよなら渓谷』(新潮社2008)
 『横道世之介』(毎日新聞社2009)

 こうして並べてみると、伊坂幸太郎さんや奥田英朗さんほど
 意識的には追いかけていないけど、そうとう読んでますね。

 『7月24日通り』は大沢たかおさんと中谷美紀さん主演の
 映画(2006)もステキでした。

 妻夫木聡さんと深津絵里さんで映画になった
 『悪人』も記憶に新しい。このブログにも書きました。

 さていま書店に平積みされているのが
 『平成猿蟹合戦図』(朝日新聞出版)。

 タイトルから明らかなとおり
 有名な昔話を下敷きに。

 読む前はこのタイトルはよくないと思っていました。
 話の展開がみえみえな気がして、読む気を削ぐので。

 ところが途中これがなんで猿蟹?と安易な臆断を心地よく裏切られ
 最後はぴしゃっと猿蟹で着地を決めるという見事さ。

 たくみな話運びと
 しっかりとした構築性を堪能させられました。

 長崎、東京、秋田を結んで
 若者たちが政治の世界に挑戦する話。

 近年話題になった虎退治やクマ退治が
 ベースになっているのでしょうか?

 長崎出身の吉田さんの関心からすれば
 やはり「エリのクマ退治」のほうでしょうか?

 そうだとすると、きょうの話
 薬害肝炎提訴からはじまり、うまく着地なのですが。 

 (政治のリアルにもとづいているのでしょうが
 裏勢力との関係が無批判に書かれているのが唯一難点でしょうか)

2011年10月27日木曜日

 ムラサキシキブ



 きのうは女性のお客さま(と後輩)から
 本ブログを読んでいるとお声かけいただきました。

 「お気に入り」に入れていただいているそうです。
 まいどありがとうございます。

 女性読者からのお声がけは、ほんに励ましになります。
 男性のはまぁないよりましぐらいでしょうか(失礼)。

 これで
 またしばらく書きつづける意欲がわいてきました!

 さて、今週はなんとなく花木シリーズになっているので
 きょう、あすと、あと2つ見つくろいましょう。

 京都つながりで、ムラサキシキブはいかがでしょう?
 いまの季節、花木というより実木ですが。

 もちろんムササキシキブ=紫式部ですが
 もとは紫の「シキミ」=重る実=実がたくさんなるという意味だとか。

 「日本人なら知っておきたい日本文学」の紹介により
 『堤中納言物語』のアンチョコを読んだことはまえに書きました。

 このつながりでいま読んでいるのが
 ビギナーズ・クラッシクス『源氏物語』(角川書店=編・角川文庫)。

 むかしむかし与謝野晶子の訳で読んだのですが
 細部はまったく記憶にございません。

 いまの年齢になって読むと
 すごく感慨深い。

 こんな高貴なイケメンの女性遍歴の話を中宮をはじめ宮中の女性たちが
 きゃあきゃあいいながら読んでいたのですから。

 その盛名は上総(千葉県)の田舎(失礼!)まで鳴り響き
 夢おおき少女・菅原孝標の娘の心までわしづかみにしたのですから。

 そして『更級日記』を書かしめ
 ふしぎちゃん一家の生態をわれわれに伝えてくれているのですから。

 各帖のタイトルがそれぞれ深い意味や象徴性をもっていることも
 当然といえば当然でしょうが、トリビア満載。

 「帚木」=遠くからは箒を立てたように見えるが、近づくと見えなくなる
 信濃国の伝説の木=求愛にこたえるように見せかけて、実は冷淡な人。

 同名の作家がおられますが、やはり実は冷淡なのでしょうか?
 「葵」=「あふひ」=「逢う日」。

 「賢木(さかき)」=「榊」(神事に用いる神木)
 =嵯峨野にある「野の宮」。

 「須磨」=罪・けがれを除く意味の「澄ま(す)」
 =源氏が禊ぎをする地。
 
 「明石」=「明かし」(明るくするとの祝意)
 =源氏の運命を向上させる、いわゆる「あげまん」な女性。

 ダジャレ好きにとっては
 たまりません。

 源氏は、政敵・右大臣一派の圧迫が強まるなか
 朧月夜との密会をフライデーされ、やむなく須磨へ下る。

 そして須磨で罪・けがれを澄ませ
 明石で運気を向上させて京都中央政界への復帰をはたします。

 この話
 現代政界の誰かさんに似てません?

 ところで、むかしむかし読んだ本の訳者・与謝野晶子の
 お孫さんが与謝野馨さん。

 薬害肝炎事件における福田総裁の政治決断に際しては
 ご尽力をいただきました。

 源氏を読んだむかしむかしに
 そのような数奇なめぐり合わせになるとは夢にも思いません。

 さすがのムラサキシキブも
 ビックリされたことでしょう。