それではぼくも近況報告。といきたいところですが、きょうは13年前の話、遠況報告です。
伊達の大木戸を越して宮城県に入ると、最初の町は白石(しろいし)です。白石はおくのほそ道の旧跡としてより、蔵王山の麓の町として有名です。東北新幹線の駅名も白石蔵王駅です。
この駅は2008年9月15日にいちどだけ利用したことがあります。迫田学、迫田登紀子、石井謙一の各弁護士とともに、岩手山と蔵王山に登った帰りです。
どちらも日本百名山です。このころ百名山の踏破をめざすようになりました。百名山を踏破するには、いちどに2つ、3つの山に登っていかないと、一生のうちに登り終えることができません。とくに九州人にとってはそうです。
9月13日仙台で、薬害肝炎の全国原告団会議が開かれました。同年1月、被害回復法が制定され、政府との間でも被害回復に関する基本合意が結ばれており、仙台だけれどもなごやかな雰囲気でした。
会議を途中で抜け出し、われわれは一路北上し、秋田県の乳頭温泉を目指しました。宿のおかみさんから4時までにチェックインするようきつく言われていました。まかないの女性が近所の主婦らのアルバイトであり、遅くなると自宅の食事がつくれなくなってしまうという理由でした。
東北新幹線で盛岡を経て田沢湖駅へ、そこからタクシー。右手に秋田駒ヶ岳、左手に田沢湖、夕闇迫るなか宿につきました。5時をだいぶ回ってしまいました。
いま考えると、岩手山に登るのに、前泊を乳頭温泉にしたのは無謀。盛岡市内にすべきでした。東北の大きさを知らない者の計画です。
でも山菜料理に外湯は至福。あまりの気持ちよさに外湯のベンチで湯冷ましをしているうちにウトウトしてしまいました。
翌朝、盛岡に引き返し、そこから岩手山へ。岩手山は盛岡から見ると富士山のように見えます。
NHK朝の連ドラに「どんど晴れ」がありました。オープニングで、手前に一本桜、奥に岩手山が美しく配され、印象的でした。主演の比嘉愛未も美しく可愛かったです。深きょん休養にともなう代役も、がんばってほしい。
岩手山は名前のとおり、岩手県の百名山。岩手県と言えば『遠野物語』、座敷わらし、宮沢賢治とイートハーブ。旧新の童話、むかし話のふるさとです。
「どんどはれ」は昔話のおしまいのことば「めでたし、めでたし」とおなじ意味です。福音館の絵本にもいくつか「どんどはれ」のエンディングがあったような。「見えないものを信じる勇気と力」は、「星の王子さま」の専売特許ではありません。
われわれのコースは、馬返し登山口→不動平→薬師岳(最高峰2038m)→焼走り登山口でした。山頂から、北にはやはり百名山の八幡平、南東にはおなじく早池峰山を望むことができました。
早池峰は、遠野の北にあり、遠野物語に出てきます。たしか妖精やら精霊やらが住んでいます(八幡平、早池峰の登山記は別の機会に。あんまり脱線していると、師匠に叱られるので。)。
山頂で食べた秋田こまちのおにぎりは絶品でした。水がおいしいと米はおいしい。地元の米を地元の水で炊くとこんなにおいしいのかと感動しました(米は流通にだすと、いろんな混ぜ物をするのでおいしくないともいいます。)。
下山して盛岡駅についたのはやはり午後5時くらいだったでしょうか。蔵王温泉の宿になんどか電話して、遅参することをわびました。
ここでもわれわれは計算違いをしていました。いまのようにナビタイムで時間計算ができないし、時刻表を丹念に見る習慣もありませんでした。日本地図をざっと見て1時間もあれば行けるかなと思ったわけです。計画がズブズブ。
蔵王温泉宿に着いたのは9時ちかかったでしょうか。旅館のおかみさんがあきれ顔で迎えてくれました。でも一言のぼやきもなく、さすがのおもてなしでした(たしか蔵王四季のホテル)。
翌日はロープウエイを使って地蔵山山頂駅まで。そこから、地蔵山→熊野岳(最高峰1841m)→馬の背・御釜→刈田岳→大黒天→遠刈田温泉→白石蔵王駅というコースでした。
蔵王のシンボルといえば御釜、火山湖がエメラルドグリーンに輝いています。蔵王は宮城県と山形県の県境にあり、御釜が両県のヘソになっています。宮城県の作家・伊坂幸太郎と山形県の作家・阿部和重が競作をしたことがあります。タイトルは『キャプテンサンダーボルト』。御釜が物語のヘソになっています。ご一読を。
いちど蔵王の樹氷を見てみたいと思うのだけれども、天気が悪くていまだ果たせていません。写真は2019年3月。吹雪のなか、地蔵山の地蔵さん。さすが念力がすごくて、雪のうえに賽銭箱を浮遊させておられます。どんど晴れ~。
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