残念ながら、芭蕉は九州に来たことがありません。二日市温泉に来ていれば、芭蕉ファンがどんどんやってきて、宿泊客がいまの2倍にはなっていたのに。と、ある卓話で話したことがあります。前のほうの席できいたおられた大丸別荘の社長がそうだよねという顔をされていました。
だけれども、いくつか例外があります。その一つは飯塚温泉、いまの飯坂温泉です(名前を変えたのは、芭蕉に悪口を書かれたからでしょうか、笑。)。
五月朔日のことなり。その夜、飯塚に泊まる。温泉あれば湯に入りて宿を借るに、土座に筵を敷きて、あやしき貧家なり。灯もなければ、囲炉裏の火かげに寝所を設けて臥す。
天気も最悪、持病まで・・。
夜に入りて雷鳴り、雨しきりに降りて、臥せる上より漏り、蚤・蚊にせせられて眠らず、持病さえおこりて、消え入るばかりになん。
さて、芭蕉がこのように書いているからといって、ほんとうにそうだったかは別です。草加のところで書いたとおり、「おくのほそ道」はあったことをそのまま書いていると誤解させますが、そうではありません。
あくまで芭蕉の文学作品なのです。自分が言いたいことを明るく際立たせるために、その前段をわざと暗く書いたりしているのです。「草枕」のつぎは、「明暗」の手法です。
短夜の空もやうやう明くれば、また旅立ちぬ。・・・遥かなる行末をかかへて、かかる病おぼつかなしといへど、羇旅辺土の行脚、捨身無常の観念、道路に死なん、これ天の命なりと、気力いささかにとり直し、道縦横に踏んで、伊達の大木戸を越す。
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