2021年6月25日金曜日

雄島が磯ー胡蝶の夢

 


 塩竈から船を借りて松島に渡った芭蕉一行は、雄島の磯に着きました。 

 雄島が磯は、地続きて海に出でたる島なり。雲居禅師の別室の跡、座禅石などあり。松の木陰に世をいとふ人もまれまれ見えはべりて、落穂・松笠などうち煙りたる草の庵、閑かに住みなし、いかなる人とは知られずながら、まづなつかしく立ち寄るほどに、月、海に映りて、昼の眺めまた改む。

雄島は松島の多島の一つ。芭蕉が書いているように、陸の一部のようでもあり、島であるようでもあり。陸にも海にも通じている地形です。

そこから、この世とあの世をつなぐ場であるとされ、死者の霊魂が行き来する霊場になりました。高野山もそうであることから「奥の高野」と呼ばれました。

もちろん雄島は歌枕。百人一首の殷富門院大輔の歌はご存じでしょう。
 
 見せばやな雄島の海人の袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変はらじ

本歌は、黒塚の段ででてきた源重之のこの歌。

 松島や雄島の磯にあさりせし 海人の袖こそかくは濡れしか

芭蕉は歌枕・雄島を訪ねながら、こうした色恋の歌には一切触れず、雲居禅師や世をいとふ人々に心をよせています。どうしてでしょう。 

雲居禅師は、瑞巌寺を中興した臨済宗の禅僧。雲巌寺の段にでてきた仏頂和尚の師匠です。雲巌寺も臨済宗の寺でした。仏頂和尚は芭蕉の禅の師匠ですから、雲居禅師は大師匠にあたります。

禅宗は、知識を得ることではなく、悟りを開くことが目的。悟りとは、生きるものの本性である仏性に気づくことであり、仏性とは言葉による理解を超えたものを認識する能力のことだそうです。

悟りは、言葉ではなく、座禅などを通じ感覚的・身体的に伝えられます。が、雲居禅師は、平易な念仏で民衆を教化したという異色の禅僧です。

師匠の師匠であり、感覚的・身体的に伝えられている禅の精神を平易な念仏で人々に伝えたという雲居禅師を芭蕉が慕うのは当然です。

では世をいとふ人はどうでしょう。世をいとふ人としては、すでに須賀川の段で、大きなる栗の木陰を頼む僧がでてきました。世の人の見付けぬ花や軒の栗の人です。

芭蕉が世をいとふ人に心をよせるのは、仏頂和尚に教えてもらった『荘子』の影響です。いわゆる老荘思想のうち荘のほうです。あるがままの無為自然を好み、人為を嫌います。俗世間を離れ、無為の世界に遊び、自由に生きることを求めます。胡蝶の夢です。

禅や『荘子』を学んだことが、蕉風に影響を与えたことは当然でしょう。ものの姿や動きをそのまま平明な言葉で写しとること、やたらと手を加えないこと、いらぬ趣向や工夫を捨て去ること。おくのほそ道の旅を経て芭蕉がつかんだ「かるみ」の考えは『荘子』の考えそのものです。

仏果ならぬ、仏頂を得たことが蕉風飛躍の足がかりになったわけです。先達はあらまほしき事なり。

などと思うほどに、はや日も暮れ、松島の月がのぼりました。続きはまた来週。今夜はストロベリームーンが見られるかな。

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