(住宅地のなかの沖の石)
芭蕉一行は壺の碑の後で、野田の玉川・沖の石の歌枕を尋ねました。
3、4年ほどまえ、事務所で仙台・松島旅行に行きました。最終日、半日、自由時間になりました。みなさんはショッピングなどに行かれたようですが、ぼくは多賀城→沖の石→末の松山を訪ねました。
JR仙石(仙台~石巻)線の松島海岸駅から仙台方向へ向かうと6つ目に多賀城駅があります。沖の石も、末の松山も駅から歩いて回れます。野田の玉川には行っていませんが、やはり近くにあります。
(野田の玉川)
夕されば潮風越してみちのくの 野田の玉川千鳥鳴くなり 能因法師
またまた能因法師ですね。白河の関(都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関)、武隈の松(武隈の松はこのたび跡もなし千歳を経てや我は来つらむ)につづいて3度目でしょうか。
(沖の石)
わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らね乾く間もなし 二条院讃岐
百人一首で有名な歌ですね。でもいま現地に行けば必ずガッカリされると思います。涙がでます、乾く間もないほど。悲しい予測変換です。
歌のイメージとかけはなれた歌枕。沖どころか海の近くでもなく、住宅街のまんなかにあります。野田の玉川もそうです。千鳥が鳴くようなところではありません。むかしは海岸がもっと入り込んでいたのでしょうか。
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