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2024年4月18日木曜日

ちくし法律事務所の春研修@嬉野温泉

 

 本年度も、ちくし法律事務所の春研修をおこなった。もう38年やっている。前年度の業績や課題を確認し、次年度の課題や担当を確認する。

法律事務所をめぐる環境は年々変化している。38年前と比べると激変している。

そうしたなか、弁護士の使命としての人権擁護・社会正義の実現をはかり、地域に根ざしつつ、持続的な発展をとげなければならない。言うは易く行うは難し。そのため、年に一度は2日間をかけて議論を尽くす。

ことしも耳の痛い議論が多かった。しかし、耳の痛い議論ができることはよいことだ。耳の痛い課題は解決できていないが、少なくとも耳の痛い意見をいえる環境は整っているということだ(そうかな?)。

耳の痛い議論ばかりやっていると疲れるので、合宿はリラックスできる場所でおこなう。ことしは嬉野温泉だ。12年ぶり。美味しい食事をして、美人の湯にも入る。つるつるする。癒やされた。

翌朝、温泉街を散歩した。写真は豊玉姫(トヨタマヒメ)神社。姫は神武天皇の祖母。日本百名山である祖母山は、豊玉姫が降臨したとして、そう呼ばれる。

宝満山に降臨した玉依姫(タマヨリヒメ)とは姉妹の関係である。いつも妹さんの山にはお世話になっています・・・。礼拝。

豊玉姫は、海神わたつみの娘。竜宮に住む。浦島太郎を接待したのは彼女だろうか。

豊玉姫はじつは「八尋の大ワニ」である。一尋(ヒロ)は1.8メートルだから八尋は14.4メートル。ワニというよりクジラのサイズ感である。因幡の白兎にでてくるワニはサメだというから、サメかもしれない。

合宿のあとは、西九州新幹線に乗り、長崎へ向かった。薬害肝炎九州原告団総会に出席するためである。総会では八尋の大アニ※が待ち構えていた・・・。

※八尋光秀弁護士、大兄貴分

2023年11月16日木曜日

宮古から東京へ

 

 那覇空港で搭乗しようとするとき、かならず思い出す光景がある。

時は22年前、2001年5月。11日に、ハンセン病訴訟に関し、第一審・熊本地裁で勝訴判決がなされていた。

判決後われわれはまず上京し、国会、厚生労働省や法務省、そして支援者らに対し、判決内容を報告するとともに全面解決への支援や行動を要請した。

つぎにわれわれがしたことは全国の療養所をまわって、原告らに対し判決内容の報告と今後の方針を説明してまわることだ。

情勢は混沌としていた。被害者らは高齢化し、隔離の歴史も長期化していた。隔離を受けた被害者は当然裁判に参加するものと思われがちだが、対応は割れていた。

下手に裁判に参加して療養所を追い出されることになれば、高齢化した被害者たちは行き場を失うことになる。それを心配する人たちが裁判に反対し、どちらかといえば原告らは孤立していた。

われわれは勝訴判決をひっさげ、全国各地の療養所に戦勝報告をするとともに、いまだ裁判に加わっていない人たちに参加を呼びかける必要があったのだ。

弁護団内で手分けした結果、八尋弁護士とともに沖縄愛楽園と宮古南静園を担当した。その日は沖縄愛楽園での説明会を終え、宮古南静園での説明会を行うため、那覇空港から宮古空港に向かう途中であった。

『失われた時を求めて』の冒頭ではないが、前後の詳細な事情は忘れてしまった。鮮明に覚えているのは次の場面だ。

宮古行きの飛行機にいままさにチェックインしようとしていた。すると携帯に電話がかかってきた。内容は小泉内閣の法相、たしか森山真弓さんだったと思うが、原告団との面談に応じると言っているという。

急遽、八尋弁護士とその場で協議して、八尋弁護士はそのまま宮古での説明会へ、当職は東京へ転針して法相との面談にのぞむことになった。

弁護士人生のなかで、いくつかある驚きの瞬間の一つである。どんなに時間が経っても忘れることはない。