お盆休み中にみた映画の話題のつづき。NHKーBSで『日の名残り』をやっていた。
カズオ・イシグロ著の小説は1989年、これに基づくイギリス映画は1993年のもの。いずれも30年以上(いつの間に!)経っているので、多少のネタバレは許されるだろう。困るという人は以下読まないでくだされ。
カズオ・イシグロは1954年生まれの70歳。そうすると、この小説を書いたときは34歳!驚きだ。
小説の主人公というか語りは、スティーブンスという老執事。第二次世界大戦後の時代。イギリス貴族が没落し、アメリカ人大富豪がイギリス人貴族の館を買い取っている。イギリスにとっても、老執事にとっても「日の名残り」の時代・時間である。
スティーブンスは戦間期(第一次世界大戦と第二次世界大戦の)、同じ屋敷を所有していたイギリス人貴族に仕えた過去をもつ。執事、つまりはスティーブンスにとって、主人の言う事が絶対で、それにどれだけ忠実に仕えることができたかでその「品格」が決まる。家族、恋愛、旅行、政治、社会などは埒外、もしくは副次的なものにすぎない。
スティーブンスは現代、とても苦労している。広大な屋敷を戦前の10分の1くらいの人手で管理していかなければならないから。ミスもでてくる。そうしたおり、かつて一緒に屋敷を切り盛りしていた有能な女中頭ミス・ケントンから手紙が届く。彼女は結婚してイギリス西部に住んでいるのであるが、娘も結婚し寂しい思いをしている、一緒に働いていた時代が懐かしいと。
おりもおり、主人もしばらく屋敷を空けることに。主人はその間、自分の車を自由に使っていいよ、一度くらい広い外の世界を旅行してみたらなどと言ってくれる。
スティーブンスは、ケントンに会いにイギリスを西に旅する。彼女にふたたび屋敷の切り盛りを依頼するために。だが、スティーブンスにはさらに自分でも意識しない、あるいは、意識下に押し込んだ意図があった。彼女に、恋愛感情をもっていたのである。
スティーブンスは旅の間に、かつての主人とのつながりを否認せざるを得ない場面にでくわす。主人に仕えることがすべてだったのに、自分の前半生の人生そのものの否認である。なぜなのか。
当職も今月66歳になった。これからはまさしく「日の名残り」の時代である。30年前に小説を読んだときはピンとこなかったことがジーンとくるようになった。ケントンは「日の名残り」の時間が人生でいちばん美しいという。
しかし、現実はどうか。この時期になると、選ばなかった、あるいは、選ぼうとしたが選べなかった人生の選択肢、パラレルワールドの行方が気になる。あそこで、ああしていればどうなったろう、こうしていればどんな人生になっていただろうと。
人間、人から批判されたり、揶揄されたりしないように、自然とカラや鎧をかぶっている。男性の場合、特にその傾向が強い。リタイアした後、地域に溶け込めないで孤立している男性が多いという。スティーブンスにとって執事というカラはその典型である。共感的な人間的交流のジャマになってしまう。
映画の終盤、そのカラが破れ、その下からスティーブンスの人間性が噴出してしまう場面がある。アンソニー・ホプキンスの演技がすごい。とても共感してしまった。
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