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2023年11月16日木曜日

宮古から東京へ

 

 那覇空港で搭乗しようとするとき、かならず思い出す光景がある。

時は22年前、2001年5月。11日に、ハンセン病訴訟に関し、第一審・熊本地裁で勝訴判決がなされていた。

判決後われわれはまず上京し、国会、厚生労働省や法務省、そして支援者らに対し、判決内容を報告するとともに全面解決への支援や行動を要請した。

つぎにわれわれがしたことは全国の療養所をまわって、原告らに対し判決内容の報告と今後の方針を説明してまわることだ。

情勢は混沌としていた。被害者らは高齢化し、隔離の歴史も長期化していた。隔離を受けた被害者は当然裁判に参加するものと思われがちだが、対応は割れていた。

下手に裁判に参加して療養所を追い出されることになれば、高齢化した被害者たちは行き場を失うことになる。それを心配する人たちが裁判に反対し、どちらかといえば原告らは孤立していた。

われわれは勝訴判決をひっさげ、全国各地の療養所に戦勝報告をするとともに、いまだ裁判に加わっていない人たちに参加を呼びかける必要があったのだ。

弁護団内で手分けした結果、八尋弁護士とともに沖縄愛楽園と宮古南静園を担当した。その日は沖縄愛楽園での説明会を終え、宮古南静園での説明会を行うため、那覇空港から宮古空港に向かう途中であった。

『失われた時を求めて』の冒頭ではないが、前後の詳細な事情は忘れてしまった。鮮明に覚えているのは次の場面だ。

宮古行きの飛行機にいままさにチェックインしようとしていた。すると携帯に電話がかかってきた。内容は小泉内閣の法相、たしか森山真弓さんだったと思うが、原告団との面談に応じると言っているという。

急遽、八尋弁護士とその場で協議して、八尋弁護士はそのまま宮古での説明会へ、当職は東京へ転針して法相との面談にのぞむことになった。

弁護士人生のなかで、いくつかある驚きの瞬間の一つである。どんなに時間が経っても忘れることはない。

2023年7月5日水曜日

憲法に意味はあるのか?

 


 あすから北海道は大雪山縦走にでかける計画だった。が、予定していた白雲岳のキャンプ地に熊の母子が出没しているということで、今年は縦走を断念することにした。まことに残念。

さて、米連邦最高裁が、これまで容認していた中絶権を否定したり、大学が人種による入試選考をおこなうことを平等権に違反すると判示したと紹介した。

憲法解釈をめぐるこのようなブレを目の当たりにすると、思い出されることがある。ハンセン病訴訟に勝利して、各地でその報告をしてまわっているときだ。北九州のカトリック教会関係者に依頼されて、講演をおこなった。

ハンセン病問題は政府・行政による人権侵害にとどまらない。われわれは、らい予防法という国会の立法行為による人権侵害、それが違憲であると訴えた。

熊本地裁判決は、らい予防法の違憲性を断罪した。小泉首相は、自身の思惑もあっただろうが、これに対して控訴を断念し、判決は確定した。そうした報告をおこなった。

報告後の質疑応答。「憲法9条は戦力を保持しないと明記しているにもかかわらず、憲法解釈により自衛隊が存在している。憲法に意味はあるのか?」という質問がなされた。

一般に、法解釈は算数の問題とはちがう。算数の問題であれば、誰がやっても同じ答えになる。しかし法解釈はちがう。背後には価値判断が存在し、人によって解釈は分かれる(ただし、国会議員の考え方の幅に比べれば、法律家の解釈の幅は狭い。法律の文言を前提とするのであるから、あたりまえだ。)。

憲法解釈となるとなおさら。憲法は法といいながら、半分は政治である。歴史的にも、ちがいがある。フランス革命期には政治的宣言にすぎなかったものが、次第に法に近づいてきている(規範性が増している)。

英米法と大陸法によっても、ちがいがある。大陸法というか憲法裁判所が存在する国では、事件を離れて違憲・合憲の判断がなされる。英米法のばあい、個別事件を審理するなかで、その事件を解決するのに必要な限りで判断がなされる。日本は後者だ。

日本最高裁が憲法9条に基づき自衛隊を違憲だと断じたことはないかもしれない。しかしそのことは憲法が無意味であることは意味しない。

究極の人権は、国民の抵抗権である。憲法とくに人権規定は、政府に対する抵抗のシンボルである。国民がその下に結集できる「錦の御旗」である。それが存在しない場合を思い浮かべれば、その意味は容易に首肯することができる。

憲法とくに人権規定は、国民の運動に支えられている。国民の運動が強くなれば憲法も強くなるし、運動が弱くなれば憲法も弱くなる。

憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって(97条)、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない(12条)。憲法や人権に関するこのような性格は、憲法に明記されているところである。

質問された方はずっと運動経験が豊富そうで釈迦に説法と思ったが、そのように回答した。歴史的な憲法判決と控訴断念の威光もあり、素直に納得していただいた。と思う。