2012年12月4日火曜日

追悼・池永満先生(2)






薬害肝炎をやっている若手は
K賀K重弁護士から話しかけられるのを恐れている。

しんどいけれど誰かがやらなければならない
そういう課題をふってくるからだ。

しかしその恐怖は,池永先生から
話しかけられるのに比べるとまだまだだ。


95年のこと,裁判所の坂をのぼっていると
背後に気配を感じた。

ふりかえると
池永先生であった。

すると,唐突に
こういわれた。

月30万円の保障で
どうかな?

これは
そうとうやばい話である。

いつものAかBかという
選択肢が示されていない。

いきなり
条件の話である。

しかも
月30万円の保障?

なんの話でしょう?
(あっ,また術中にはまっている)

薬害エイズ福岡訴訟の
事務局長を引き受けてくれないか。

これが池永先生の
依頼であった。

医療被害の救済という場合
当然,薬害被害の救済もそれに含まれる。

当時,やっていた南九州税理士会訴訟や
水俣病訴訟などはいずれも未解決の時期だった。

それらを理由にお断りをしたが
ムダな抵抗であった。


薬害エイズ事件というのは
他に例をみないほんとうに悲惨な事件だった。

訴状の原告目録をつくるだけで
涙がとまらなかった。

原告の半分が鬼籍に入っており
ほとんどが10代で亡くなっていた。

それまでこの事件に関与していなかったことに
罪悪感をおぼえたほどだ。


薬害エイズは,東京・大阪訴訟が先行し
解決局面を迎えていた。

池永先生のお考えは,福岡でも提訴し,解決水準の
さらなる上積みを目指すというものだった。

しかしその後,方針をめぐって大激論となり
必ずしもこのような方針どおりにはいかなかった。

しかしこれにより,わが弁護士人生の
後半の活動分野がおおきく変えられた。

それまでどちらかというと
公害・環境型の事件がおおかった。

それが以後,大規模医療被害事件に
つぎつぎと取り組むことになった。

薬害エイズ訴訟の延長上には
ハンセン病訴訟,薬害肝炎訴訟が待っていたから。


こうして私も他の人々の例にもれず
池永先生の奔流につぎつぎとほんろうされた。

それは極めてたいへんではあったが
豊かな意味のあるほんろうでもあった。

このことは,おなじ立場におかれた
すべての人が認めているところである。


池永先生
ありがとうございました。

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