2012年12月3日月曜日

追悼・池永満先生





12月1日
池永満弁護士が亡くなられた(享年66歳)。

昨日通夜がおこなわれ
今日葬儀がおこなわれる。

故人の生涯を一言でいえば
「奔流」というこであったろう。

いくつもの
大きな流れをつくりだされた。

われわれはそれらの流れに
巻き込まれ,ときに翻弄された。


そもそも私が弁護士になったきっかけも
かれの後進養成ゼミに負う。

このきっかけがなければ,いまごろ
どこかでサラリーマンをしていたかもしれない。

このブログを
書くこともなかったわけだ。

そのゼミの世話になった者は
3桁におよぶであろう。


池永先生は数多くの課題を見つけだし
取り組まれた。

まるで課題を量産されている
かのようであった。

次々と課題をみつけては,問題提起し
若手に投げ与えるというふうであった。

しんどいけれども誰かがやらねばならない
そんな課題がおおかった。

通夜で盟友の辻本育子弁護士もいわれたが
課題AとBの選択を迫られることがおおかった。

池永弁護士のライフワークの柱は
なんといっても医療の民主化であった。

医療被害救済,患者の権利の確立
医療オンブズマン等次々と取り組まれた。

わたくしの腕もすこしは評価されていたのあろう
難事件の救助をもちこまれることが時々あった。

ある日,池永先生が近づいてきて
こう尋ねられた。

「久留米の事件と北九州の事件
どっちする?」

これは質問の構造からして
誤導である。

この質問をするには
必ずどちらかをしなければならない

という前提が論証されていなければならない
はずだから。

法廷であれば,すかさず
異議!というところだ。

しかし,そこは先輩・後輩の立場ゆえ
そうはいえない。

それぞれどんな事件なんですか?
と,訊いてしまった。(もう相手の術中にはまっている)

久留米の医療被害者は
腹立ちのあまり医者を足蹴にするらしい。

北九州の医療被害者は
弁護士との打合せのあと,病院前でビラを撒くらしい。

いわく。
○○弁護士は必ず勝つと断言した。云々とか。

…。
甲乙つけがたい難事件に絶句した。

数秒,あたまをフル回転させたが
逃げ場はなかった。

久留米の事件を選択した。
近い,という以外に理由はなっかったけれど。

(つづく)

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