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2024年2月22日木曜日

太宰府路散策(第2回)(4)

 
 大宰府政庁跡でヨガを楽しむ人々
平和だ

坂本八幡宮、梅花の宴はここで?
我が岡にさ牡鹿来鳴く初萩の・・・

紀卿万葉歌碑
正月立ち春の来たらばかくしこそ・・・
楝(センダン)の花
妹が見し楝の花は散りぬべし・・・
(旅人の亡妻を偲ぶ)
長屋王邸跡
 奈良大宮ロータリークラブ45周年に行った際、長屋王邸跡。聖武系の皇位継承に不安が生じたなか、藤原四兄弟が長屋王家を抹殺(長屋王の変)。
戒壇院。天下三戒壇の一つ
 裏に僧玄坊のさびしい墓がある。玄坊は吉備真備とともに出世したが、これを除こうとして九州・大宰府で藤原広嗣が乱を起こした。乱は失敗(この時、大宰府政庁跡は焼けてしまっている。)。しかしその後、藤原仲麻呂の台頭にともない、橘諸兄が失脚して、玄坊も観世音寺別当に左遷。

 藤原氏が王族を含む他勢力を排除していった結果が藤原北家の隆盛、北家のなかでのさらなるバトル、その末裔である藤原道長の隆盛。父兼家にあっては、王族どころか花山天皇まで排除してしまう。藤原四兄弟、藤原広嗣、藤原仲麻呂の時代も似たようなものだったのだろう、当時の貴族の日記が残っていないだけで。

 それに引き比べて、旅人の時代の梅花の宴や亡妻を偲ぶ歌、はたまたいまの時代に大宰府政庁跡でおこなわれているヨガ教室のなんと平和なことよ。

2024年2月21日水曜日

太宰府路散策(第2回)(3)

 




 大宰府政庁跡に到着。南門跡をぬけ、中門跡に立つ。いつもながら広々としてヌケ感がすごい。背後の四王寺山・大野城ととりあわせて、おだやかな気持ちになる風景だ。

右手大宰府展示館へ向かう。展示館前に教科書にのっていた有名な万葉歌の碑がある。

 あをによし奈良の都は咲く花のにほうがごとく今盛りなり 小野老

大宰少弐として着任した際の歓迎宴で詠まれた。先の大伴旅人とほぼ同時期。歌の趣旨も旅人が着任の際に詠んだ歌と同旨か。大宰府の官人たちへの挨拶。奈良の都は花盛りに栄えていましたよ。

政庁跡の北西角、坂本八幡宮に向かう。大伴旅人邸跡と推定されている(可能性の一つ)。仮にそうだとすれば、万葉集の「梅花の宴」はここで催されたことになる。

「梅花の宴」には前書きがある。このあたりが令和の里と呼ばれるゆえんである。

 初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、欄は珮後に香を薫らす・・

「梅花の宴」収載の三十二首もここで詠まれたはず。このあたりには先の三十二首のうち、いくつかの歌碑がある。まず巻頭歌。

 正月立ち春の来らばかくしこそ梅を招きつつ楽しきを経め 紀男人

主人である大伴旅人の歌(8番)

 我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも

筑前国守であった山上憶良の歌

 春さればまづ咲くやどの梅の花ひとり見つつや春日暮らさむ 

坂本八幡宮から東、観世音寺へ向かう。左手に旅人の歌碑がある。

 世の中は空しきものと知る時しいよよますますかなしかりけり

妻を亡くした後の歌だ。山上憶良も追悼歌を寄せている。

 大野山霧立ち渡るわが嘆く息噎の風に霧立ちわたる

大野山はいまの四王寺山(大野城)のこと。四王寺山に霧が流れると、旅人の嘆きが立ちわたってくる。

2024年2月20日火曜日

太宰府路散策(第2回)(2)

 

 御笠山の名は宝満山になっている。それでは御笠川の名も宝満川になってよいのではないか?もっともな疑問であるが、宝満山南部に発し、南のほう筑後平野へ流れ下り、筑後川と合流する川の名が宝満川となっている。そのせいか、こちらの川は御笠の名を残している。

朱雀大橋を歩いて、御笠川を渡る。渡り終えるとすぐ左手に歌碑がある。

 大君の遠の朝廷とあり通ふ 島門を見れば神代し思ほゆ 柿本人麻呂

この歌には万葉集に題詞がある。「柿本人麻呂の筑紫国に下りし時に、海路にして作れる歌」。筑紫への海路・海峡を見れば、古事記にあるイザナギ・イザナミによる筑紫の国産みの時代が思い起こされるなぁ、筑紫の神さま海路の安全を頼んます。

この場所になぜ、このような歌碑が?この謎は歌碑の裏に回ればすぐ解ける。そこに大宰府正門(朱雀門)の礎石があるから。そして、朱雀大通りの北を見れば大宰府政庁(=遠の朝廷)跡が見えている。島門(海峡)ではなく正門であるが、たしかに大君の遠の朝廷とあり通ふ門なのである。

正門は平城京・平安京でいえば羅城門である。聖俗の境界。鬼も出る。芥川龍之介の小説『羅城門』の舞台にもなれば、黒澤映画「羅城門」の舞台にもなる。

朱雀大通りをはさんで両側にこの礎石があったとすれば、とても大きな門である。VRがあれば、ここから大宰府政庁の豪壮な建築を見ることができるだろう。そこからいまは住宅地になっているところを2ブロック歩くとようやく大宰府政庁跡に到着。

歌碑探しゲームをかねていたところ、参加の子どもが歓声をあげる。三叉路になっている政庁跡の信号をわたると、右手にまた歌碑がある。

 やすみししわが大君の食す国は大和もここも同じとぞ思ふ 大伴旅人

60歳をすぎて大宰帥として大宰府に赴任したときの歌である。九州にやられたけれど、都もここも同じだと思う。赴任時の気概とも、やせがまんともとれる歌である。

妻・大伴郎女をともなっていたが先立たれる。それ以後つくられた、酒を誉め、妻を偲ぶ歌が多数、万葉集に残されている。妻に先立たれなければ、ただの官人に終わったかもしれないが、そうでないところが人生と歴史の妙である。

2023年9月21日木曜日

アクティビティ共同体

 


 軽い運動をまいにち一緒にやりましょう。というグループに入れてもらった。すこしは運動ができるやつとみこまれたのだろうか。

アプリを使って、自身はもちろん、メンバー全員の運動量や達成状況がわかる。一定の運動量に達すると達成ありで、クジをおこなったうえで、景品がでる。

運動を継続すると、健康、睡眠などにもよい影響があるなどと情報も提供される。

一緒に運動といっても、アナログに集まる必要はない。デジタルでつながっているだけだ。一人だといちばんの壁になりそうなアプリの操作方法も、SNSを通じて教えてもらえる。

運動をしたほうがよいと分かっていても、モチベーションの波が壁になる。ある日、体調と気分がよいときがあり、思い立って、ジョギングをはじめる。しかし1週間~1か月くらいしか続かない。仕事の都合や飲み会つづき、雨降りがつづいたり、体調・気分不良の日もあるから。

運動の継続は克己心だけではダメだ。少なくとも自前の克己心では。世の中にはとても強い克己心をお持ちのかたがたもいらっしゃるが。

司法試験の受験期、2年間ほどジョギングが続いたことがあった。このときは受験仲間・先輩といっしょに走ることができたため、長続きできた。

その後、何度か、断続的に運動をしているが、なかなかに続かない。つづいているのは、グループで楽しんでいるものにかぎられる。仲間とやると、互いに励まし合ったり、牽制が働いたりして長続きする。

今回は、運動仲間、アプリ、運動量と達成が目に見える、ゆるやか、歩き、達成感、クジ、景品などモチベーションを支援する道具立てがそろっている。さてどこまで続きますか。