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2024年5月14日火曜日

儀同三司母って誰?

 

 忘れじのゆくすゑまではかたければ
     今日をかぎりのいのちともかな

 どんなに忘れないとおっしゃっても、将来のことはあてにしがたいので、そうおっしゃってくださる今日が最後の命であってほしいものです。

 『百人一首』54番として採られている和歌で、よく知られている。しかし、儀同三司母って誰?

 いままでふわふわと断片的な知識として存在していた数々が今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」で凝集作用をおこして、ネットワークを形成するようになった(ことは以前に書いた)。

 儀同三司(ぎどうさんし)というのは、藤原伊周(これちか)のことである。劇中三浦翔平が演じている。前回の「光る君へ」「放たれた矢」で、陣の定めのあとで、道長に暴言を吐いて恥をかいた人物である。中関白(なかのかんぱく)藤原道隆(井浦新)を父とし、親の七光りで弱冠21歳で内大臣に昇進した。

 儀同三司母(ぎどうさんしのはは)は、伊周の母であるから、つまり、道隆の妻である高階貴子(たかしなのきし)。劇中、板谷由夏が演じている。

 貴子は、道隆との間に、伊周のほか、隆家(竜星涼)、定子(高畑充希)を産んだ。定子は、一条天皇(塩野瑛久)の中宮である。つまり、清少納言がつかえていた、あの中宮定子である。なお、隆家は中納言となっている。

 かくて名前のとおり隆盛をほこった中関白家であったが、道隆は早逝してしまった。伊周の昇進は親の七光りによるものでったので、当然のことながら没落する運命であった。

伊周のみならず、隆家、さらには定子までが没落してしまう。そのきっかけとなったのが前記ドラマのタイトル「放たれた矢」である(儀同三司という官名もその結果である。)。矢を放ったのは弟の隆家だった。次回以降を楽しみにしたい。

 さて、儀同三司母の歌であるが、こうした中関白家の哀しい歴史にかんがみると、本来の意味合いと別の意味合いが浮かんでくる。百人一首の撰者である定家は、それも踏まえて本歌を撰んだのだろうとされている。

※現代語訳等は『ビギナーズクラッシック日本の古典 百人一首(全)』谷知子編によった。

2024年2月7日水曜日

~からの、六角堂(頂法寺)


(右は縁結びの六角柳)
(右手の柱に華道発祥の地とある)
(池坊会館) 
 革堂をあとにし、歩いて六角堂(頂法寺)をめざす。まずは寺町通を(南へ)下る。両側に古美術店が軒を連ねている。どこも開店前だ。

夷川通をすぎると、右手(西側)に藤原定家・京極邸跡碑がひっそりとある。嵯峨野で小倉山山荘跡を訪ねる機会はすくなくないが、京極邸を訪ねることはまれ(ところが調べてみると一条京極第跡がほんとうらしい。)。

二条通で右折、西入る。東洞院通で左折して下る。御池通を渡り、中京郵便局をすぎると六角通に到達する。右折、西入ればまもなく六角堂だ。京都の路は分かりやすい。思いがけぬところにでてしまって道に迷うことはない。

本尊は如意輪観音(秘仏)。縁起によれば、聖徳太子ゆらいの如意輪観音で、境内には太子沐浴の古跡や太子堂などゆかりの史跡がある。その真偽はともかく、「光る君へ」の時代までさがれば『御堂関白記』や『小右記』に関係する記述がでてくる。

そして花山院も巡拝した観音霊場。西国三十三所第18番札所。『小右記』の著者・ロバート秋山こと藤原実資も、熱心に参詣したようだ。

華道、池坊の発祥の地としても知られている。太子の命により小野妹子が入道し仏前に花を供えたことが由来、その寺坊が池のほとりにあったことから池坊なのだとか(近世以降)。境内(裏)に池坊の本部ビルがある。

本堂まえの「へそ石」は京都の臍だそう。革堂とおなじく、街中にあるお寺として独特の雰囲気をかもしている。宗教としての超越性はとぼしいが、衆生のなかにあって慣れ親しまれてきた感がつよい。

2024年2月2日金曜日

~からの、近江神宮

 


 ここで時間を巻き戻して京都・滋賀旅行に戻ろう。昨年末、幻住庵まで報告していた。

 http://blog.chikushi-lo.jp/2023/

 幻住庵から京阪石山駅に戻った。さてその後はどうしよう?2つの選択肢の間で悩んだ。一つは石山寺、ふたつは近江神宮である。京阪石山坂本線を北へ向かえば近江神宮であるし、南へ向かえば石山寺である。

駅のポスターは石山寺へ誘っていた。来年(もう今年だが)のNHK大河が「光る君へ」なので、地元は観光客誘致に熱心である。むろん、石山寺は紫式部が『源氏物語』を執筆したところとして名高い。

かなり悩んだが、北へ向かうことにした。芭蕉ゆかりの膳所があることや、さいきん光秀ゆかりの坂本城の「幻の石垣」が琵琶湖の水位低下によって現れたなどのニュースに接していたことから、なんとなく北恋しかったから。

石山から粟津、瓦ケ浜、中ノ庄、膳所本町、錦、膳所、石場、島ノ関、三井寺を経て近江神宮前である。右手に琵琶湖が見え隠れする。

駅から西北へ10分ほど歩く。途中右手に、近江大津宮跡遺跡(史跡)がある。

 近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ 柿本人麻呂

 楽浪の志賀の唐崎幸くあれど大宮人の船待ちかねつ 同

まもなく近江神宮の広大な敷地に到着する。そこからさらに参道をしばらく歩くと、美しい紅葉と響き合う紅い楼門がでむかえてくれた。

天智天皇が祭神。天皇が近江に都を移したことにちなみ、昭和になって創建されている。

天智天皇といえば、なにを思い浮かべるか。われわれ筑紫人としては、百済救援のため斉明天皇とともに九州にやってこられたこと、白村江の戦いで唐・新羅に敗れたこと、その後の防衛のため水城・大野城・基肄城等を築いたこと、斉明天皇の追善のため大宰府観世音寺を創建したこと等が思い浮かぶ。

歴史的・教科書的には、中大兄皇子として中臣鎌足とともに蘇我氏を倒したこと(大化の改新)が有名で、国語教科書・文学的には、大海人皇子とともに額田王に恋したことが有名だろうか。この件は額田王の次の歌で知られている。

 あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 

しかし、一般人にはやはりこの和歌の作者として有名でしょう。

 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ

百人一首の巻頭歌。為政者として農民たちの辛苦を思いやる主題であるとして、藤原定家が巻頭に置いたとされる。

こうして近江神宮は、百人一首かるたの聖地となっている。毎年1月、競技かるたの「名人位・クイーン位決定戦」がおこなわれている。

ここから漫画『ちはやふる』(末次由紀著)の舞台にもなっている。競技かるたに青春を燃焼させる綾瀬千早たち・・・。

テレビアニメにもなり、広瀬すず主演の映画にもなった。かくて漫画も読み、映画のDVDも見た、そして来た(2回目)。というわけです。

2021年6月16日水曜日

塩竈の浦





 ・・塩竈の浦に入相の鐘を聞く。五月雨の空いささか晴れて、夕月夜幽かに、籬が島もほど近し。蜑の小舟漕ぎ連れて、肴分かつ声々に「つなでかなしも」と詠みけん心も知られて、いとどあはれなり。

末の松山で、翼を交はし枝を連ぬる契りの木も、つひにはかくのごときと悲しさもまさりていたら、いつのまにか、つぎの歌枕・塩竈の浦に場面転換しています。

事務所旅行で仙台・松島を旅したときにも塩竈の浦ちかくまでは行ったのですが、残念ながら、塩竈湾(千賀の浦)や籬が島までは見学していません。なんというもったいないことを。師匠や河原左大臣に叱られそう。

残っている写真は、湾にほど近い亀喜寿司で食べた寿司の写真のみ。せめて、これをよすがに「肴分かつ声々」を想像してくだされ。

河原左大臣・源融は、すでに触れたとおり、陸奥の致景に惚れ込んで、京都の六条河原院に塩竈の浦を模して庭をつくらせました。現在の渉成園・枳穀邸です。

 河原の院こそ塩竈の浦候ふよ、融の大臣陸奥の千賀の塩竈を、都のうちに移されたる海辺なれば 名に流れたる河原の院の、河水をも汲め池水をも汲め・・・(謡曲『融』)

塩竈の浦の写真はありませんが、枳穀邸の庭の写真はあります。せめて、これをよすがに塩竈の浦を想像してくだされ。

(籬が島)

 わがせこを都にやりて塩竈の 籬が島のまつぞ恋しき 東歌

(塩竈の浦)

 みちのくはいづくはあれど塩竈の 浦漕ぐ舟の綱手かなしも 東歌

この古今集の東歌を本歌として、鎌倉右大臣が詠んだのが次の歌

 世の中は常にもがもな渚漕ぐ 海人の小舟の綱手かなしも

百人一首に採られているのでご存じでしょう。鎌倉右大臣は源実朝、頼朝の次男。鎌倉幕府の三代将軍となりましたが、鶴岡八幡宮で甥に暗殺された悲劇の人です。

百人一首を編んだ藤原定家のお弟子さんですが、東国武士ですから東歌を本歌に東国らしい詠みぶりです。

実朝はいま目のまえに広がる風景(塩竃の浦ではなく、鎌倉なので由比ガ浜か七里ヶ浜あたり)が永遠に続いて欲しいと願いましたが、願いは果たされませんでした。かなしは愛しいという意味ですが、われわれには悲しいと読めてしまいます。

頼朝は、弟の義経に平家を滅亡させ、奥州藤原氏の泰衡に義経を殺させ、さらにその藤原氏を攻め滅ぼして鎌倉幕府を開きます。が、実子はこうして暗殺され、実権は妻の実家にとられてしまいます。ああ無常。

・・・塩竈の浦に入相の鐘を聞く。ごーん。

2017年12月13日水曜日

小倉山,小倉百人一首と藤原定家


                           (嵯峨野・常寂光寺の紅葉)

 嵯峨野の紅葉狩りのクライマックスは,やはり小倉山でしょう。

 小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば
     今ひとたびの みゆき待たなむ
                  貞信公

 という,あの絢爛豪華な歌にでてくる小倉山です。貞信公というのは藤原忠平。われわれ太宰府の人間にとっては菅原道真の政敵として有名な時平の弟です。

 小倉山は,小倉百人一首でも有名です。藤原定家が小倉山の小倉山荘で百首を選んだので,小倉百人一首です。

 甘味で有名な小倉あんも,小倉山あたりでとれた大納言という種類の小豆がおいしいことから名づけられたようです。

 小倉山の山麓には,常寂光寺と二尊院という2寺があり,いずれ劣らぬ紅葉の名所です。そこでいただく甘味とお抹茶は最高です。